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過去(HP開設以前)からの観戦の思い出 あるいは単なるリスト

2000年度 ◆ マリノス編 ◆ (22試合)

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・ 実際にスタジアム観戦した試合だけです。
  (手許にチケット半券の残ってるもの)
・ まだ空欄が多いですが、 コメントはざっくばらんに思い出したものから記入しています。
・ 一番上が最新です。

●2000年12月9日 国立
2000 サントリー・チャンピオンシップ 第2戦   鹿島 vs 横浜F・マリノス


あんな形での1失点目を喫し 「うぉわあ〜〜〜あ〜〜」 という、 いつまで続くかと思われた長くて大音響の鹿島サポの大歓声。 くやしくて、 うらやましくて。
もう、 まだそんな分際じゃなかった、 こんな場に出てくるんじゃなかったとまで思いました。 辛かったね (翌年の方がもっと辛いんだけど・・・)。
(Jan.2004)



●2000年12月2日 横浜国際
2000 サントリー・チャンピオンシップ 第1戦   横浜F・マリノス vs 鹿島


むしろなんとかよく引き分けたって感じ?
(Jan.2004)



●2000年11月26日 横浜国際
2000 J1 2ndステージ 第15節   横浜F・マリノス vs 福岡


この試合のときに、 横国のチケット売り場でチャンピオンシップ第1戦の写真入チケットが販売されていた。
参考までに、 →こちらもどうぞ。 (ここへ戻る時はブラウザの 「戻る」 で。)
(Jan.2004)



●2000年11月23日 等々力
2000 J1 2ndステージ 第14節   川崎F vs 横浜F・マリノス


半年前にマリノスの優勝をアシストしてくれたこのチーム。
この時点でフロンタはもう2部落ちが決まってたんじゃなかっただろうかな。 そんな相手にVゴール負け。 だからこのあと来たるチャンピオンシップにはもう非常に危機感を覚えていた。
この日は怒ってスタジアムを後にし駅前 (武蔵小杉) のラーメン屋で味噌ラ−メンを食って帰った。 これも個人的にあまり良くない思い出の試合。
(Jan.2004)



●2000年11月11日 横浜国際
2000 J1 2ndステージ 第12節   横浜F・マリノス vs 市原


ここまではシドニー・オリンピックによる中断だったのかな? それと、 久々の横国開催。
(Jan.2004)



●2000年8月19日 三ツ沢
2000 J1 2ndステージ 第10節   横浜F・マリノス vs V川崎


終盤かなり苦労して逃げ切った試合だったと思う。 試合が終わって 「こんな相手に何やってんだ!」 と罵声を飛ばしたのだけは良く覚えている。 それを聞いて隣の老 (?) 夫婦が 「そうだ、 ほんとにそうだ。」 と言ってくれた。
ところでこの試合でのヨミウリの得点は2点とも中澤、 そう今や、 そして2003年MVPにあげた人のあるほどマリノスで活躍してくれている彼だった。 この試合当然DFで始まった彼だがのちにFWに上がり恐怖 (こっち側からしてまさにそうだった) のヘッドで2点をウチから奪ってしまった。 マリノスに来る前、 当時は 「バカ澤」 だなんて呼んでしまっていたんだゴメンよ m(_ _)m。
(Jan.2004)



●2000年8月5日 国立
2000 J1 2ndステージ 第8節   横浜F・マリノス vs 鹿島


国立で、 夜の試合だった。 私は今日は大丈夫だろうと高をくくって観戦用のカッパを持ってこなかった。 そうしたら試合が始まってから急に激しい雷雨になり持っていた傘だけではしのぎきれず大変な目にあった。 全身と持ち物のすべてがびしょぬれになった。 国立の、 座席の下の土台を成すコンクリートの段々が、 バックスタンド上段からの雨水をしこたま集めて滝のようになってしまった。 競技場には落ちなかったけど雷もすごく近くてほぼ真上からで恐かったね。 なぜか覚えているけど審判は岡田主審だったと思う。 試合はどうだったろうか(笑)?
(Jan.2004)



●2000年7月26日 三ツ沢
2000 J1 2ndステージ 第6節   横浜F・マリノス vs 柏




●2000年7月15日 三ツ沢
2000 J1 2ndステージ 第4節   横浜F・マリノス vs 広島


この年は横国ができて以後でありながら再び三ツ沢開催がだいぶ増えた年だったと記憶している。 横国に比べ新スタジアム目当てで来るような客が三ツ沢にはいないためか、 '98、'99頃には開催も少ない中観客は1万人を超えることはほとんどなかった。 でもそののち「横酷」 に相対 (あいたい) して稀少価値というか、 その良さが見直されてきて 、 あるいは少ないここでの試合が恋しくて (中には、 初めて三ツ沢にという人もいただろう) 確実に'97〜'99頃にくらべたら多くの観客が観戦に訪れていたと思う、 たしか。 この試合についてさっぱり何も覚えていなくて、 こんなことばかり書いて恐縮ですがね。
でも、 このころこそ三ツ沢に (殿行け!) 外池あり! という時代でした。
(Jan.2004)



●2000年7月1日 国立
2000 J1 2ndステージ 第2節   横浜F・マリノス vs 清水




●2000年6月24日 国立
2000 J1 2ndステージ 第1節   東京 vs 横浜F・マリノス


1stステージ優勝をしたというのに・・・まただ。
1stのこのカード (ホーム) よりももっと屈辱だった。 まさに何から何まで散々な1日。
試合開始前から早々とゴール裏が 「完全優勝!」 コールを始めていたがそれがどうもイヤだった。 気持ちはわかるけど、 って…そう願いたいのはもちろん私だってやまやまだったよ。
本当に完全優勝できた今回 (2003年) とは違い、 当時は相変らずやや戦う姿勢に欠けたずっと不安定なチームだったし (ぶっちゃけた話ネ)、 1stステージ優勝できたくらいでそれは時期尚早な気がした。 それよりまず目の前の敵、 1stでやられた苦手なこの相手に勝たなくちゃ。 とにかくここは、 1stステージ優勝に恥じない試合をして今日の2nd初戦勝っていいスタートを切りたい。 それだけだった。
なのにそれが案の定…だった。 私も怒鳴り散らしたし、 ゴール裏は 「戦え横浜!」 コールを繰返していた (これこそするべきコールだ、 だけどそういう状況はちっともうれしくない。)。
また、 国立ということもあって、 アウェイ側で比較的ゴール裏にも近かったのに東京を応援してる人間がけっこう居て、 ただでさえすごくいやだった。 彼らに3回も歓喜の声をあげる機会を与えてしまう我がチーム。 こっちの心は沈んでいった。 更に辛かったのは周りの東京ファンや中立ファンらしき連中 (それこそ老若男女、 そして外人までいた) が (初めて聞いたらしく) その 「戦え横浜!」 コールを聞いたとたん 「あははは」 と笑い出したことだ。 私は思わず 「こんなのいつものことだ!」 と誰に向けてということもなく叫んでしまっていた。 当然ながらむなしいばかりだった。
もう指定席なんかで見るのは止めようかと思い始めていたのはこの試合あたりがきっかけだったのかも知れない (実際そうすることになるのはこの翌年から)。
ホーム側のガス・サポにはいじられっぱなしだった。 先の 「戦え横浜!」をおもしろがって返してきたし、 そしてさらに (以前からよくやっていた) 「能活!」 コールはもとより、 活躍できなかったこの日たまたま誕生日だった俊輔を皮肉るように 「Happy Birthday Dear 俊輔〜! Happy Birthday to You〜! 」 とやられた。 頭にきたヨ。
この日のウチのチームはまったく無様だった。 敵サポの煽りを浴びながら、 何でこんな目に遭わなくちゃいけないんだろうという気がしていた。
そして最後の最後には真剣にビックリするようなことまで起きてしまった。 ゴール前での接触により、 川口がまさに大の字に上を向いて倒れたまま動かなくなったのだ。 起き上がる気配がない。 私は思わず自分の座っていた場所から立ち上がり、 現場に少しでも近づくために国立の通路を走った (向ったその場所はアウェイ側ゴール裏のメイン寄りあたり)。 そこへ着いて再びピッチを覗いてもまだ能活は動かないままだった。 マジで心配げな女性サポの 「えぇ、 ちょっとやだぁ、 どうしよ・・・。」 などという小声が聞こえる。 選手たちやドクター、 審判などがその現場を取り囲んでいて、 ゲームも中断したままになっている。 大雨が降っていたが容赦無くあお向けの川口の上に降りしきる。 やがて彼は動かないまま担架でピッチ外へ運び出されゲーム再開となったが、 私にはもうそれ所じゃなかった。 とりあえず彼は無事で、 脳震盪だったと分かって大丈夫らしいとホッとしたのは帰宅してネットをチェックしてからだったと思う。
(Jan.2004)



●2000年5月27日 国立
2000 J1 1stステージ 第15節   市原 vs 横浜F・マリノス


(↓ 下記前節を受けて) ・・・とは言うものの、 本当に優勝できるとは思ってなかったのが正直なところかも。 だけど当然それを期待する部分は心の中にあった。 でもそれは表面上おさえて、 優勝する可能性は絶対あるぞ、 などと気負ったりせず神妙な気持ちで国立へ向った。 着いたら客が少なくて何か拍子抜け。 5万以上入るここでこの程度の入りかよもったいない、 と思った。
試合中はこの試合に勝つことだけを考えて観ていた。 そして (はしょってすまないが) 2点を取りマリノスはこの最終節アウェー・ゲームを勝った。 やることはやったのだ。
試合が終わって、 スクリーンには大阪・長居のC大阪 vs 川崎F戦の生映像が映し出された。 ホームの市原の関係者様方のご好意に感謝。 優勝がかかっているマリノスのために、 ありがとう。 大阪の戦況は同点で90分を終え延長に突入していた。 ここからは私自身 「行ける、 行くゾ!」 という気持ちになっていた。 ハラハラどきどきしながら他のマリノス・ファンたちと共に、 スクリーンの中の試合のフロンターレを応援し始めた。 「フロンターレ!」コールも繰返された。 映像に向って拍手や歓声がおくられる。 選手たちもまた、 国立のピッチに座り試合の行方を見守る。 今日ベンチ入り出来なかった怪我のサンチョルをはじめとした他の選手たちもみんな背広を着てピッチに現れていた。
大阪の試合は延長後半終盤になり、 そしてついに、 映像の中で右から左へ攻めていたフロンターレがVゴールを決め、 結局C大阪はマリノスより勝点を上回ることが出来ずこの瞬間マリノスの2000年1stステージ優勝が決まった! 映像はピッチのトリコロール戦士たちに変わり、 立ちあがりガッツポーズの能活 (そういえばこの時代彼はオールバックにしてましたね)が大写しになる。 やった!!!
得点したのは我那覇だった。 はるか遠い大阪でのたった一つのこのゴールがマリノスに優勝をもたらした。 端正なマスクのこの選手の名前はマリノス・ファンにとって忘れられないものとなったのだ。 そしてもちろんそれ以上にこの日この国立での試合にきちんと勝って優勝を引き寄せたマリノスに賛辞 (おめでとう) と感謝 (ありがとう)。
こうして目の前での初めての優勝を体験することができた。 うるうるうる・・・。
(Jan.2004)



●2000年5月20日 三ツ沢
2000 J1 1stステージ 第14節   横浜F・マリノス vs C大阪


いつものように2週間ほど前には前売り券を買った。 いつものようにSB指定だ。 そしたらその後みるみるうちに全席が完売したようだった。 無理も無い、 最終節を前にした14節というこんな時期にキャパの小さい三ツ沢開催、 しかも優勝争いの直接対決となった試合だ。 これに勝てばマリノスが第1ステージ優勝だった。 他のスタジアムが塞がってたのかもしれないが、 会場選定の際に優勝争いは頭になかったのだろうか。 まあでも個人的にはそれまで現場で目撃した経験の無かった優勝決定シーンをしかもピッチの極近い三ツ沢で見られるなんてすごいことだと、 とても楽しみにしていた。
当日は雨になった。 まともな大雨での夜19:00からの試合にもかかわらずスタンドは大変な大入りだった。 ずいぶん雨合羽も周囲で売れたことだろう。 今調べたらこの日の三ツ沢は14,561人の入場者。 (ちなみに2003年現在マリノスの三ツ沢での最多入場は2002年7月の仙台戦の14,762人らしい。 むしろJリーグ発足当時は招待券が多すぎてそれほど客足は三ツ沢では延びなかったと思われる。)
試合は言葉どおりの一進一退の攻防だったと言っていいだろう。 前半先制されてしまったが、 追い付いたのは小村の豪快ヘッドでだったと思う。 あのシーンは場内全体が興奮した。 得点したオムさんがゴール裏まで駆け寄って行った。
しかし後半早いうちにまた失点。 その後は長く状況が変わらず、 徐々に焦りがつのる。 雨は止む気配がなく、 拍手をおくる両手が雨にふやけて鈍い音しか出なくなる。 通路からわずかに上の段の座席だったこともあったが、 大雨の中にしてはなぜか異様に多いビール売りが頻繁に目の前の視界をさえぎるのにいらいらして文句を言ってしまったりする。
終盤になって待望の同点弾が入ったが、 なんと終了間際にまた失点して万事休す。 負けた瞬間のショックは確かに大きかった。
これで2位に後退し自力優勝は無くなってしまったが、 別に諦める必要は無かった。 とにかく来週勝てばいい。 今にして、 結末を知ってるからこう思っているのではなくて、 事実そうする他なかった。 1週間後に国立へ行くのはいつも通りに当然のことだった (この日三ツ沢へ来ていながら、 都合もないのに次週国立へ来なかった人は問題だと思う。 まぁ別に他人事だけどさ。)。
試合終了後、 一列に横隊して挨拶に来た我らが選手たちは雨に濡れそぼったせいかみな泣き顔に見えた。 事実泣いている選手も多かったことだろう。 私はこの時ほどウチの選手がいとおしく思い励ましてやりたいと思ったことはないかもしれない。 この試合は負けたけどほんとに良くやった。 「来週勝てばいいんだ!」 と叫んだ。 周囲でも同じように選手に声を掛けていた。 まだ終わっていない。 可能性は消えてないんだから。
(Jan.2004)



●2000年5月17日 横浜国際
2000 J1 1stステージ 第13節   横浜F・マリノス vs 川崎F


覚えていないので (^^) 調べたところ、 4-1で勝った試合のようですな。 このおかげで優勝に王手を掛けられた。 でも水曜とはいえ観客数は8,000人台。 このころ平日夜の試合で横国に向ってスロープを登って行くと試合開始時間が近くても他にほとんど誰も歩いてない・・・すごい寂しい光景だったですよ。
(Jan.2004)



●2000年5月6日 横浜国際
2000 J1 1stステージ 第11節   横浜F・マリノス vs 京都




●2000年4月29日 横浜国際
2000 J1 1stステージ 第9節   横浜F・マリノス vs G大阪


この試合を忘れるわけにはいかない。
これさえなければ実にすばらしい試合のまま終わっていたはずだった。 前半のうちに3−0のリードをしていてそのうちの2点はFWのサンチョルだった。 しかし彼が2点目を入れてくれた後間もない時間、 ガンバの宮本が完全なるアフター・タックル状態でまともにサンチョルのひざ付近めがけてスパイクの裏で蹴りかかって来た・・・! 宮本はこのプレーで退場はおろかイエローカードすらもらわなかったのではないか。 オレは (私は) これ以来宮本のことが大っ嫌いだ。 あんなやつが代表なんぞに選ばれつづけていることがこの上なく憎らしい。 ヤツがオシャレ・ヒールか何か知らないが妙なプレーで失点に良く絡んでいることなんぞどうでもよくてそれよりも私はこのときのことが絶対に忘れられない。 我がチームの大事な (当シーズンのサンチョルはウチのトップ・スコアラーだった。 リーグの得点王すら狙える勢いだったのだ!) 選手に重症を負わせ病院送りにし結果マリノスに大損害を与えた男。 今でも私はヤツがたとえ大怪我をしても少しも残念に思わない、 悪いけど。
(Jan.2004)



●2000年4月22日 柏の葉
2000 J1 1stステージ 第8節   柏 vs 横浜F・マリノス




●2000年4月15日 横浜国際
2000 J1 1stステージ 第7節   横浜F・マリノス vs 名古屋




●2000年4月8日 国立
2000 J1 1stステージ 第6節   V川崎 vs 横浜F・マリノス




●2000年4月1日 国立
2000 J1 1stステージ 第4節   鹿島 vs 横浜F・マリノス


夕方からの試合で、 肌寒かったと思う。 変な話で申し訳無いが、 後半ついに我慢できなくなって、 試合が盛り上がる中トイレに立ってしまいました。 今のところ後にも先にもこの時だけです。 今後そのようなことの無いよう気を付けます (と、 自分の肝に銘じたのでした(^^) )。 ゴールは見逃しませんでした。
ってのは、 どうでもいいことでしょうかね(笑)? でも試合中に席を立つなんて… ○球なんかじゃああるまいし!
(Jan.2004)



●2000年3月25日 横浜国際
2000 J1 1stステージ 第3節   横浜F・マリノス vs 磐田


この試合に限ったことじゃないけど、 この年井原がいなくなってDFは若手ばかりになり、 安定さに欠け不安を抱えたままのディフェンスの時代がしばらく続いていた感じではなかったか。 能活の超絶スーパー・セーブのおかげでやっと助かっているという試合も少なくなかった。
でも、 そんな中でもマツはこのころからトルシエの代表に呼ばれ試合に出場するようになり自信をつけ確実に強くなっていった時期ではあったと思う。 (井原の番号をもらった波戸もまた、そう。)
ちなみにこの試合はヤラれましたが。
(Jan.2004)



●2000年3月11日 横浜国際
2000 J1 1stステージ 第1節   横浜F・マリノス vs 東京


あまたある中でもいやな思い出の試合の一つだ。
アルディレス監督になった。 試合前のウォーミング・アップのパターンも変わった。 それを見ながら心なしか今季は行けるのではないかという気がしたりする。 (まぁそれは開幕前はいつも、 そして新監督になったときもだいたいそうなのだけど。)
友人を伴い、 開幕戦だ、と意気勇んで横国へ向った。 だが、 苦手な東京の術中にはまりあえなく敗戦。 私の気分は一気に暗転した。 帰り途こともあろうに一緒に来てくれた友人をののしる始末だった。 私から言われる所以の無い譴責を受けた彼は、 その後2003年の9月になるまでマリノスの試合には来てくれなくなってしまった。 全くあたりまえだ、 正直すまなかった…。
(Jan.2004)


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Jan.2004 byま