野球型社会からサッカー型社会へ
スポーツを観ていると、プレーやコメントなどからいろいろな発見があっておもしろい。
野村監督 率いる阪神タイガースで所属選手の反発が相次いでいる。 ヤクルトの時には、少なくともこういう話しがオモテに出ることはなかった。 なんといっても日本一になるだけのチームを創ることができる監督であるから 選手からそれなりの評価や信頼があって当然で、従って選手も 黙ってついてくれば良いはず であったが、今回の騒動はどういうことなのだろうか。
野球 というスポーツには本来 絶対服従型の上下関係 が存在する。 監督と選手との上下関係は絶対であり、たとえば攻撃の場面で監督からバンドのサインというシュチエーションで、監督のサインを無視して打ちホームランが出た場合、たとえその得点でゲームに勝利したとしても、その選手はダメな選手というレッテルを貼られるし、そういう選手のいるチームは強くならない。
サッカー などは 全く逆で 監督の言いなりに従うことはワンパターンな攻めや守りにつながり 相手にとっても組みやすいチームにしかならず 結局は勝つことができない。サッカーの優れたチームには選手と監督との葛藤があり 選手からの意見や能動的な動き なくして強いチームはあり得ない。
本来野球というゲームは創造性をもって相手の裏をかく場面よりも 忠実なプレー をすることの方が遙かに重要なゲームである。その為そうした人間関係や所属団体に対する自己犠牲の精神 といった考え方が根強く存在する日本の社会制度に合致しており、それが日本での野球人気の支えになって来た。
しかし そうした野球というゲームの日本一のチームを創ることのできる野村監督が、ああいった 反発 に合うのはどうしてなのだろう。
好むと好まざるとに関わらず 現在の社会は 個人が自立した社会 になりつつあり、それが達成できているかどうかはともかく、そういう人間関係の中でしか能力を発揮できない状態になっているということではないだろうか。
そうした人達が集まった社会では 選手個人の犠牲を前提としたフォア・ザ・チームはあり得なくて 常に 個人のプライドを尊重したチーム しか創れないのだろう。
昨年の優勝チームを観てみると、横浜ベイスターズは選手の自主性に任せたトレーニングや攻撃、西武ライオンズはコーチを信頼したチーム作りや投手にゲタを預けた戦い方等を観ることができ、そうしたことがチームの歯車を噛み合わせおり、両チームの前シーズンの結果はその成果にほかならない。 また 読売ジャイアンツの長嶋監督は昔のようなハードなだけのトレーニングは現在では行えないと言っているし、以前は鉄拳制裁による選手育成をしたことがあると噂されるが現在ではしていないどころか考えられないだろう。
サッカー型の社会 が始まっているということである。 野村監督の能力の問題というよりも 社会全体が変化している時代にあって 当然噴出した問題ということなのである。 |