パーセルの音楽


BGM is Rondeau from "Abdelazer".



Henry Purcell (1658-1695)



*CD番号は私が買ったときのものです。購入される場合は必ずご自分でチェックしてください。


■パーセル(1659-1695):劇音楽「女予言者,またはダイオクリージャンの物語」
(CHACONNE CHAN 0569/70)
 これは,パーセルが1690年に作曲した全5幕からなる劇音楽である。「ディドーとエネアス」はもちろんのこと,「妖精の女王」,「アーサー王」といった劇音楽に比べても,もう一つマイナーな存在に甘んじているが,知名度にかかわらずパーセルの音楽はいつもの通りすばらしい。もしかすると,この劇音楽が一般にあまり知られていないのは,古代ローマ史にもとづくタイトルとストーリーが分かりにくいということがあるかもしれない。タイトルの「ダイオクリージャン」とは,古代ローマ帝国の有名な軍人皇帝ディオクレティアヌス帝のことを指す。この劇音楽には,ディオクレティアヌスが権力の階段を上って皇帝の座に上っていくサクセス・ストーリーと,彼が自分の婚約者である「女予言者」を裏切って別の女性を愛してしまう男女の愛憎劇という二つの面がある。なぜ17世紀の末に劇の題材としてわざわざ大昔のローマ皇帝を持ち出したか。一説によれば,1688年の名誉革命で英国の国王に迎えられたオレンジ公ウィリアムと女王メアリを,自らの実力と人気で皇帝の座を手に入れたローマのディオクレティアヌス帝になぞらえ,新王の統治を正当化し賛美するためだといわれる。全曲の演奏に80分を要する大曲であるが,器楽合奏,ソロ・アリア,コーラスと曲の流れに変化があり,パーセルならではの美しい旋律が随所に出てくるので退屈することはない。たとえば,第2幕でアルトが歌うアリア"Since the toils and the hazards"の深々とした情緒。第5幕"Oh, the sweet delights of love!"の甘いデュエット。同じ第5幕で,心に突き刺さるような"Tell me why!"の繰り返しで始まるデュエットなどは,メロディー・メーカーとしてのパーセルの面目が躍如としている。トランペットが活躍する華麗な終結部もすばらしい。このCDの余白にはマスク「アテネのタイモン」が収録されており,こちらの方は軽くキュートな曲が多い。木管の伴奏が美しい。



■パーセル(1658-1695):愛の歌と対話

(HERIOS CDH55065)
 短い生涯に多くの声楽曲を残したパーセルであるが,独唱のための歌曲集や,合唱,独唱,オーケストラのためのオードに比べると,重唱曲はCDの数が少ないこともあってあまり知られていない。このCDで聴かれる男声と女声が交互に歌う(もちろん同時に歌う場合もある)形式の重唱曲は"dialogue"と呼ばれ,日本語では「対話」と訳されている。収録14曲のうち独唱曲2曲以外はすべてこの対話形式の重唱曲である。ダウランド以来の英国歌曲の伝統で,パーセルの「愛の歌」も決して明るく喜ばしい感情に溢れたものではなく,憂いを含んだメランコリックなラブソングである。といっても変化の少ない静かな曲というのとは違い,劇的なところ,しんみりしたところと,曲調は短い曲の中でも変化する。2つのパートの歌詞と声の表現が一体化して進んでいくのはさすがオペラを得意としたパーセルだ。その点で「対話」は最小編成のオペラと考えることができるだろう。エマ・カークビーの澄んだ「天使のソプラノ」と,ディヴィッド・トーマスの深みのあるバスの息がぴったりと合っているのは見事だし,アントニー・ルーリーのリュートが2人の歌唱につつましくも美しい彩りを添えている。カークビーのファンの方にはとくにお薦めしたい地味だが味のある好アルバムである。



■パーセル(1658-1695):歌劇「アーサー王」

(ARCHIV 435 490-2)
 1691年にパーセルが作曲した歌劇「アーサー王」は,名高い桂冠詩人ジョン・ドライデン(1631-1700)がチャールズ2世の銀婚式を祝って1684年に書いた劇に基づいている。1688年の名誉革命により苦境に陥った王党派のドライデンは,台本を人気絶頂のパーセルに送り,これをオペラとして上演することで自身のアピールを図ったのである。まさに原作,音楽ともに,当代一流の詩人と作曲家が手を組んだことにより生まれた劇音楽といってよい。パーセルの後の傑作「ディドーとエネアス」のようなフル・オペラではなく,歌劇と言っても歌手が複数の役を掛け持ちで歌うセミ・オペラの形式を取っているが,パーセルの音楽の劇的効果はめざましく,ドライデン自身この作品を"A dramatick opera"と誇らしげに呼んだと伝えられている。
 この作品はブリテン島の伝説の英雄「アーサー王」を主人公にしていることからも分かるように,愛国精神・民族主義が濃厚に出ている。これはドライデンの政治的立場を表したものともいえる。ドライデンは伝統的なアーサー王伝説に基づきながらも,台本自体は完全に彼のオリジナルと言ってよい。したがって,アーサー王伝説でなじみの深い王妃グウィネヴィアや円卓の騎士の活躍を期待していると失望を味わうことになる。あらすじは,アーサー王とブリテン人がオスワルドのサクソン人と戦い,英国(United Kingdom)を打ち立てるというもの。ほとんどのシーンは,アーサーが彼の片腕の魔術師マーリンの助けを得ながら,愛するエメリーンをオスワルドと彼の邪悪な魔術師の手中から救うべく試みに関連している。前述したように,ドラマのシーンは非常に愛国的であるが,同時にユーモラスなドタバタシーンや感傷的なシーンにも事欠かない。様々な要素がミックスされた見事な台本に,これまた天才パーセルがすばらしい音楽をつけた。我々としては,とりあえず台本のことは忘れて,ドライデンの見事な英語の「詩」とパーセルの楽しい「音楽」を味わうだけで十分である。
 全編楽しいソロ,デュエット,コーラスに溢れた「アーサー王」であるが,とりわけ有名な音楽として,第5幕でヴィーナス(ソプラノ)が歌う"Fairest isle(最も美しき島よ)"がある。この曲の高貴で美しいメロディー,ドライデンの愛国的詩は英国人の心を捉え,アーンの「ルール!ブリタニア」などと共に,今に至るまで英国の代表的な国民唱歌の一つとして単独でよく歌われる。 参考として,下に"Fairest isle"の歌詞をあげる。第1節の歌詞は非常に愛国・民族主義的であるのがお分かりいただけよう。もし,英国が第2次大戦で負けていたら,戦勝国の命令で演奏禁止となったかもしれない。しかし,やっぱり音楽としてこの曲はとても素敵である。ピノック指揮のイングリッシュ・コンソートもいつもながら安定した演奏。

 Fairest isle, all isles excelling, 最も美しき島よ,すべての島にまさる島よ
 Seat of pleasure and of love; 喜びと愛の座よ
 Venus here will choose her dwelling, ヴィーナスはここにとどまることを選び
 And forsake her Cyprian grove. キプロスの木立を見捨てるであろう
   
 Cupid from his fav'rite nation, 最愛の国からきたキューピッドよ
 Care and envy will remove; 心配事や妬み
 Jealousy that poisons passion, 恋の情熱を毒する嫉妬
 And despair that dies for love 愛に殉じる絶望はすべて除かれよう
   
 Gentle murmurs, sweet complaining, 優しいささやき,甘い不平よ
 Sighs that blow the fire of love; 愛の炎を吹き消すため息
 Soft repulses, kind disdaining, やんわりとした拒絶,情け深い軽蔑
 Shall be all the pains you prove. 汝はこれらすべての苦しみを味わうであろう

日本語訳: St Aubins

■パーセル(1658-1695):歌劇「ディドーとエネアス」

(PHILIPS 416 299-2)
 ジェシー・ノーマンがディドーを歌い,レイモンド・レパードがイギリス室内管を指揮したこの盤は,色々な意味で私にとってかけがえのないCDである。
 そもそも,私がパーセルの「ディドーとエネアス」を知ったのは,残念ながら「耳」からでなく,「頭」からであった。吉田秀和氏若き日の名著「LP名曲300選」を読むと,この曲について「古い時代のオペラを最後まで聴きとおすことはよほどでないと難しいが,パーセルのこの曲は全く例外といってよかろう。」というようなことが書いてある。次に読んだ日本の古楽研究の泰斗,皆川達夫氏の「バロック音楽」には,「このオペラ最後のディドーの辞世の歌「わたしが地中に横たえられたとき」を聴くと不覚にも涙を禁じ得ないのである。」という強烈な体験が語られている。皆川氏がパーセルを聴きながら泣いている姿は容易には想像できないのだが,別の著書でも何回も「涙する」と言われているから,本当に泣いておられるのだろう。
 そういうわけで,パーセルの「ディドーとエネアス」は,私の中でずっと気になる存在ではあったものの,なかなか実際に聴くチャンスには恵まれなかった。大学に入ってしばらくして,高かったCDプレーヤーもようやく手の出る値段となったが(私が買った初代のCDプレーヤーはYAMAHAだった),ソフトの方は1枚3,800円とか3,500円とか,今のNAXOSなら3〜4枚買えるような高価なものだったので,そうそうしょっちゅう買うことは出来なかった。80年代中頃の当時,PHILIPSはソプラノのジェシー・ノーマンを熱心に売り出しており,私も最初にR・シュトラウスの「4つの最後の歌」を聴いてその表現力の深さ,広さにいたく感動し,すっかりお気に入りの歌手となった。
 そしてついにジェシーの「ディドーとエネアス」が発売されたのである。宿願の曲をお気に入りのジェシーが歌っている演奏で聴けるのだ!なんという幸運,タイミングのよさであろう…このとき以来,この曲とこの演奏は私にとって特別の存在である(さすがに聴くたびに泣きはしませんけど)。「ディドーとエネアス」については,パーセルの最高傑作だとか,イギリスで初めての本格的オペラだとか,バロックオペラ全体でも屈指の傑作だとか,あらゆることが語り尽くされているので,今さら素人の私が付け加えることは何もない。とにかく,弦楽合奏によるフランス風序曲から,ディドーの辞世の歌,最後の悲しみの合唱に至るまで,アリア,合唱,オーケストラがすべて一体化して,登場人物の心情を描き尽くす音楽は素晴らしい。退屈なんてとんでもない!息もつかせぬ展開で,最後の頂点,ディドーの辞世の歌へと進んでいくのだ。イギリスのモーツァルトと呼ばれるパーセルであるが,実際約100年後にモーツァルトの「フィガロの結婚」がウィーンで初演されるまで,「ディドーとエネアス」に匹敵するオペラは,イギリスはもちろん世界を眺めてもついに生れなかった。パーセルとモーツァルト,2人の天才が共に30歳でオペラの歴史を転換させる傑作を書いたのは偶然だろうか。
 ディドーの辞世の歌を歌わせたらジェシーの右に出るソプラノはいないと私は思っている。パーセルといえば,今はオリジナル楽器による演奏が普通だけれども,「ディドーとエネアス」ばかりは,最初に聴いたこのモダン楽器とジェシーによる演奏以外のものを聴く気が私にはどうしても起こらないのだ。ちょうどカール・リヒター指揮のバッハの受難曲,カンタータのように。


■パーセル(1658-1695):歌劇「妖精の女王」

(NAXOS 8.550660-1)
 パーセルの当時イギリスで流行していた,劇に付帯した音楽はマスクと呼ばれ,はじめからオペラを想定して作られた台本に作曲されるフル・オペラとはやや異なる。そのため,セミ・オペラと呼ばれることもある。解説書にはパーセルがオペラを何曲も書いたように述べているものもあるが,純粋なオペラはやはり「ディドーとエネアス」1曲だけというべきであろう。その点,NAXOSのカタログや日本語帯に歌劇「妖精の女王」とあるのは,やや問題である。しかし,「妖精の女王」がオペラではなく,シェイクスピアの「真夏の夜の夢」をベースにしたマスクであるからといって,少しもこの作品の価値が減じるものではない。確かに「ディドーとエネアス」のように最初から最後まで一瞬の緩みもない凝縮されたドラマトゥルギーはないけれども,ここにはパーセルの別の一面,明るく大らかな音楽が鳴り響いている。
 楽しいアリアはたくさんあるけれども,私が好きなのは,第2幕のソプラノと合唱による軽妙で楽しい「Sing while we trip it on the Green」,同幕のカウンター・テナーによる短調のメランコリックなアリア「One charming Night」(リコーダーのバックも美しい),第3幕のソプラノによるしみじみとした「If love's a Sweet Passion」,第5幕のソプラノによる華麗なコロラトゥーラ・アリア「Hark! How all things in one sound rejoice」など。伸び伸びとしたスコラーズ・バロック・アンサンブルの演奏は,この曲の持ち味を十分引き出している。2枚組2000円でこの曲が聴けるのは幸せなことだ。


■パーセル(1658-1695):歌劇「インドの女王」

(NAXOS 8.553752)
 これは,曲の長さとしては上述の「妖精の女王」より大分短く,CDも1枚である。しかし,明るいパーセルよりもちょっとメランコリックなパーセルが好みの私としては,こちらの方をよく聴く。パーセルが35歳で世を去る直前に書いた最後の大作。恋人2人が苦難の末に結ばれるというストーリーは,モーツァルトの「魔笛」にちょっと似ている。全体的にオーケストラの響きがきわめて充実しており,声楽を伴わない序曲や舞曲の楽しさも天下一品。パーセル得意の「トランペット」の勇壮な響きも随所で登場する。バロック・トランペットの響きが好きな人にはこたえられないだろう。
 第2幕のカウンター・テナーと合唱による明るい「I come to sing great Zampoalla's story」,第3幕のソプラノによる速いテンポのチャーミングなラブ・ソング「I attempt from love's sickness to fly in vain」,同幕の短調の旋律が美しいソプラノ・デュエット「We the spirits of the air」あたりが聴き物だが,全曲の白眉はただ1曲だけの第4幕でソプラノが歌う「They tell us that your mighty powers」。まず物悲しい主題の序奏が耳を惹きつける。その後で切々と歌われる歌は,後年のバッハの「マタイ受難曲」の中の悲痛なアリアを思わせる。パーセルの真骨頂は,この6分余りのアリア1曲を聴くだけでも明らかであろう。何度聴いても素晴らしい。スコラーズ・バロック・アンサンブルの演奏は,「妖精の女王」と同じくオケ,声楽陣ともテンポ感がよく,溌剌としている。


■パーセル(1658-1695):Music for a While

(L'OISEAU-LYRE 443 195-2)
 これはL'OISEAU-LYREの多くのパーセル録音から,劇音楽に関する聴き所を集めたアンソロジーである。下のカークビーの録音からも3曲が選ばれている。重複は嫌だが,これは元々 "Abdelazer"を聴くために買ったCDなのだから仕方ない。"Abdelazer"のロンドの旋律を用いたことで有名なブリテンの「青少年のための管弦楽入門」の冒頭は,いかにも現代オーケストラ的な重く厚い響きがするが,このパーセルの原曲の方はいかにも「ロンド」という感じで軽くテンポも速い。珍しい"The Libertine"および"Circe"という劇音楽からも何曲かが収められている。前者は短いソプラノのアリアがなかなかよい。後者は,冒頭などモーツァルトのような和声の響きがするところがあり,一瞬古典派の曲?と思ってしまった。劇音楽とは関係ないはずだが,弦のための名作シャコンヌト短調も収められており得した気分になる。


■パーセル(1658-1695):歌曲集

(L'OISEAU-LYRE 417 123-2)
 聴く前からエマ・カークビーの歌うパーセルが悪いはずがない…ということで,意外感はないけれども,改めてパーセルの歌とカークビーの声の素晴らしさを確認した1枚。「妖精の女王」や「インドの女王」の有名なアリアも歌われている。スコラーズ・バロック・アンサンブルのソプラノ陣も悪くないが,比べるとやはり声の質,表現力共にカークビーの歌唱は一枚も二枚も格が上である。
 私が好きなのは,まず「妖精の女王」の再演時に付け加えられた有名ないわゆる「嘆きの歌」。ソロ,ヴァイオリンのオブリガート,ヴィオールの低音が一体となって悲痛な雰囲気を盛り上げる。劇的な表情の「If music be the food of love」もいい。パーセルより約100年前のキャンピオンが書いた「道徳的」リュート・ソングを思わせる清澄な「An Evening Hymn」で静かにプログラムを閉じるという趣向も素敵だ。


■パーセル(1658-1695):オード集(「来たれ,なんじら芸術の子よ」 他)

(Po POCA-1002)
 数多いパーセルのオード(頌歌)の中でも,「来たれ,なんじら芸術の子よ」(メアリー2世の誕生日のためのオード)は屈指の名作である。序曲から最後の合唱まで一時も緩むことのない20分余りの充実した音楽が繰り広げられる。このオードの主役はカウンターテノールだといってよい。序曲の後の「来たれ,なんじら芸術の子よ」が,まずカウンターテノールで晴れやかに朗々と歌われ,この曲を強く印象づける。全曲の白眉,短調のメランコリックな「ヴィオールをひき,リュートをかきならせ」もカウンターテノールの独壇場。リコーダーのオブリガードも素晴らしい。併収された聖セシリアの日のためのオード「嬉しきかな,すべての愉しみ」もパーセルの代表的なオード。歌詞とは裏腹に終曲以外はもの悲しい雰囲気で,カウンターテノールのアリアなどパーセル特有のメランコリーが存分に味わえる。最後に収められている「その昔勇者は故郷にとどまるを潔しとせず」は冒頭からトランペットが活躍する明るく勇壮なオード。しかし,合間には短調のメランコリックなアリアが挟まれる。「されば,白銀に輝く夜の女王が」のテノールによるアリアは,バッハの最上のカンタータを聞いているような切実感がある。  いずれの曲も,本来は「オード」という祝典的な性格の合唱曲でありながら,単に楽天的な音楽に終わらず,転調を駆使し,変化に富む音楽をつくるのはさずがパーセルである。ピノック指揮のイングリッシュ・コンソートは,合唱,合奏ともに万全で,独唱陣も特にカウンターテノールのマイケル・チャンスが素晴らしい。オペラやマスクといった劇音楽とは一味違うパーセルの楽しさを味わうのに好適の一枚。


■パーセル(1658-1695):テ・デウム,聖セシリアの日のためのオード 他

(NAXOS 8.553444)
 NAXOSの選曲の多彩さが光る一枚。祝典的な「テ・デウム」や「ユピラーテ・デオ」に,ピノック盤にも収められている名オード「嬉しきかな,すべての愉しみ」,さらには世界初録音のオード「外国の戦争の騒音」というおもしろい曲名のオードなどが収められている。曲としては,壮麗な「テ・デウム」と,メランコリックな「声をあげよ」,聖セシリアの日のためのオード「嬉しきかな,すべての愉しみ」が聴き物。合唱,合奏とも精度が高く,速めのテンポでキビキビとした演奏は気持ちがよい。ソロ陣も優秀。


■パーセル(1658-1695):フル・アンセム&オルガン音楽

(NAXOS 8.553129)
 このアルバムは,天才パーセルが教会音楽の分野でも素晴らしく感動的な音楽を残したことを証明するだろう。テノールとバスのソロが効果的な「エホバよ,われに敵する者いかに多き」をはじめ,教会音楽ならではのハーモニーの美しさを味わえるアンセムがたっぷりと収められている。オードのような華やかさはないけれども,パーセルの奔放な作風のおかげで,決してワン・パターンに陥らない。併収されている「メアリ女王の崩御によせる音楽(1695)」が,この曲を書いてまもなく世を去ったパーセルの葬儀でも演奏されたというエピソードは,モーツァルトと「レクイエム」のエピソードを思い起こさせる。オックスフォード・カメラータのハーモニーの美しさは特筆もの。


■パーセル(1658-1695):The Fantazias & In Nomines

(Virgin VC 5 45062 2)
 ヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)の名作といわれて私がまず思い浮かべるのは,フランス・バロックのマラン・マレが残したソロ・ヴィオールのための組曲集。メロディーメーカーとしての天分を遺憾なく発揮しているのに加え,彼自身が大変な名手だったため,「ヴィオールでこんなことが出来ます。」といった感じの相当技巧的な曲も多い。
 それに比べて,パーセルのヴィオールのための合奏曲集は渋い。ソロと合奏という違いもあるだろうが,メロディアスな旋律も華やかな技巧もほとんどない。それが,聴いてみると実におもしろい。聴けば聴くほど味が出てくる。それはなぜだろうか。ひとつには,パーセルが得意な「明と暗の交代」がある。1曲1曲はきわめて短い小品なのだが,その中でも,曲の雰囲気ががらりと変わる。今上機嫌だと思っていたら,急に憂鬱な気分になるというような。たとえて言えば,快晴の空から急に雨が落ちてくるといった,英国の変わりやすい天候のような音楽だ。そもそも英国伝統の対位法的ファンタジア(幻想曲)はそのような音楽に向いた形式であるが,パーセル自身が持っているファンタジーが豊かであるからこそ,伝統の形式が生きてくるわけだ。もちろん,バロック時代の音楽であるから,近現代のオーケストラ曲などと比べると,「明と暗の交代」はずっと控えめでおとなしいものだ。微妙なハーモニー,テンポ,音量の変化でその「交代」を表現しているのだが,それは本当にパーセルに独特のものだ。
 パーセルの室内楽曲で一番好きなのは何かと問われれば,私はパーセルのイマジネーションが自由に飛翔しているといった趣のある,このヴィオールのための合奏曲集を躊躇なくあげる。昔アルヒーフのLPで聴いたウルザーマー・コレギウムの演奏も味があってよかったが,演奏技術の進歩を反映してか,このフレットワークの演奏の方が技術的精度は上。しかも,ただ楽譜通りに弾くだけでは,パーセルの巧みな「交代」は見えてこないが,彼らの演奏ではパーセルのファンタジーがちゃんと伝わってくる。素晴らしい演奏と思う。


■パーセル(1658-1695):Chamber Music

(HMC 901327)
 バッハを別格とすれば,バロックの室内合奏曲でおもしろいのは,イタリアのコレッリとイギリスのパーセルだと私は思っている。両者は活躍した時期もほとんど同じだが,コレッリの音楽が「黄金の均整」とも呼ぶべき楷書風のきっちりした音楽なのに対し,パーセルの音楽には,もう少しくずした草書風のおもしろさがある。中国唐代の詩人になぞらえると,コレッリが「杜甫」なら,パーセルは「李白」であろうか(李白とパーセルは大の酒好きであったという点でも共通している)。
 このCDには,ト短調のシャコンヌのような有名曲も収められているが,他の収録曲(ソナタ,パヴァーン,序曲,組曲)はあまり知られていない曲ばかりであろう。最初の「三声のグラウンド」ニ長調が,パッヘルベルのカノンにそっくりで,おやっと思わせるが,全体的には短調の曲が多く,パーセルのメランコリーが存分に味わえる。全14曲のうち,シャコンヌを含めて「ト短調」の曲が5曲もある。室内楽曲でも,パーセルとモーツァルトにはある種共通の傾向があるのだろうか。ロンドンバロックの弦楽陣は微妙な旋律線をニュアンス豊かに歌わせていて見事。


■パーセル(1658-1695):Sonatas of Three Parts

(L'OISEAU-LYRE 444 449-2)
 「三声のソナタ」といっても,実際は2つのヴァイオリン,バス(ヴィオール),室内(Chamber)オルガンの四声で奏される。パーセルが24才の時に出版された彼最初の室内楽曲集であり,出版に際して「作者は著名なイタリアの巨匠たちを正しく模倣するべく誠実な努力を払った…」という序文が付けられている。この「イタリアの巨匠」がコレッリを指すのかどうかは議論があるらしいが,このソナタ集を一聴してみれば,コレッリのトリオソナタに似ているところがあるのはすぐに気付くことである。
 ところがパーセルはやはりパーセルで,イタリアの澄み切った青い空を思わせるコレッリの音楽とは少し違って,どうしても「英国的」かげりが顔を出す。これは,ラテン諸国とはあまりにも違う英国の風土もあるだろうし,何よりパーセル自身が大陸の新しい形式・技法に惹かれつつも,英国伝統の対位法的合奏音楽(ファンタジア)に対する愛着を捨てきれなかったことが大きいのではないか。パーセルが完全に「大陸ナイズ」されなかったことは,300年後の私達にとって幸運だった。おかげで,コレッリともクープランともまた違う,対位法的で,しかも豊かなファンタジーが息づくたくさんの作品を味わうことができるのだから。このCDでは,主役の2人の若いヴァイオリニストが非常に切れのよい演奏を聴かせる。


■パーセル(1658-1695):Sonatas of Four Parts

(CHANDOS 8763)
 これはパーセルの死後,未亡人が1697年に出版した10曲のソナタ集である。パーセル夫人,遅くまで仲間と飲んでいたパーセルを家に入れず,そのときに引いた風邪がもとでパーセルが死んでしまったというのに,旦那の死後は賢夫人ぶりを発揮したらしい。これもモーツァルト夫人のコンスタンツェとちょっと似ているのでは?「四声のソナタ」と「三声のソナタ」で編成的に違いはなく,書かれた時期も同じ頃であるから,両者は姉妹曲集といってよい。その名も「パーセル・カルテット」による演奏は,キャサリン・マッキントッシュとエリザベス・ウォルフィッシュという英国を代表する2人の女性バロック・ヴァイオリニストの息がぴったりと合っており,繊細な表情がすばらしい。室内オルガンで弾かれるヴォランタリーが2曲収められており,珍しい。