ピアノ・ソナタ 変ロ長調 K.333



(左)ワルター・ギーゼキング(P) (Columbia LP)
(右)クリストフ・エッシェンバッハ(P) (Deutsche Grammophon LP)



 
ケッヒェル番号が「ゾロ目」の中ではいちばんの名曲。この曲には昔から愛着がある。ケッヒェル三百三十番台には,4曲のピアノ・ソナタK.330,K.331(有名な「トルコ行進曲つき」),K.332,K.333があるが,曲想が華やかで全部の楽章の出来が揃っているという点ではK.333に優る曲はない。とくに第3楽章は,主題がとてもチャーミングで,曲のスケールも大きい。終盤にはピアノ協奏曲風のカデンツァもある。私がもしピアニストだったらいちばん弾きたいモーツァルトのソナタがこの曲だ。
 モーツァルトのピアノ・ソナタを弾いてLP初期に名演を残したのがドイツのワルター・ギーゼキングだ。当時のモノラル盤は今のデジタル録音のCDに比べるとダイナミック・レンジなど比較にならないほど狭いが,ギーゼキングの演奏を聴くと,モーツァルトのソナタを弾く上で「センス」というものがどれほど大切であるかがよく分かる。モーツァルトのソナタはプロのピアニストにしてみれば,後のベートーヴェン,ショパン,シューマンなどに比べれば技巧的には遥かに易しいはずなのだが,「技術」だけではどうにもならない「センス」と「バランス感覚」が絶対必要だ。ロマン派〜近代の大曲を得意とするピアニストのモーツァルトを聴いてどうしようもない違和感を感じることがある。これは,往々にしてそのピアニストが「弾き過ぎて」いることから生じている。しかし同時に「抑え過ぎた」演奏からは,モーツァルト特有の生き生きとした躍動感は生まれない。速過ぎず,遅過ぎず,「ちょうどよい」テンポで弾くこともきわめて重要だ。こういうことすべてを含めた「センス」というか「バランス感覚」においてギーゼキングはすばらしい。それはきわめて「モーツァルト的」な演奏ということだ。
 同じドイツの大分後の後輩クリストフ・エッシェンバッハの演奏はギーゼキングよりはモダンな演奏だが,モーツァルトに必要な「センス」はしっかり持っている。CD 時代になって,わが日本の内田光子は日本人として初めて「モーツァルト弾き」として本場ヨーロッパで認められたピアニストである。彼女の設定するテンポは総じて速めだがタッチは明瞭でリズム感がいい。現在私は彼女のCDを愛聴している。

*MIDI:第3楽章(Allegretto garzioso)