弦楽四重奏曲 ト長調 K.387


アルバン・ベルク四重奏団 (EMI CDC 7 49220 2)
 
交響曲でも弦楽四重奏曲でもモーツァルトは先輩ハイドンより優れた作品を「はじめから」書いたのではない。ティーン・エイジャーの頃のモーツァルトは,明らかにハイドンを見習い,ときには真似し,どうしたら偉大な先輩が書いたような立派な曲を書けるのかと必死に研究していたのである。1773年に書いた6曲からなるいわゆる「ウィーン四重奏曲」は,そんなモーツァルトが頑張ったんだけれども,1年前(1772年)にハイドンが書いた同じく6曲の「太陽四重奏曲」に比べれば,音楽的密度でもモーツァルトが得意としたはずの”メロディー”でも全然太刀打ちできなかった。天才モーツァルトにしてもハイドンに対抗するだけの実力はまだ備えていなかったのである。モーツァルト自身不本意だったと思う。さらにハイドンは1781年に「冗談」や「鳥」といった名作を含む6曲の「ロシア四重奏曲」を上程する。この時点で,モーツァルトは弦楽四重奏曲の世界で完全にハイドンの後塵を拝していた。そんなモーツァルトが放った逆転満塁ホームランとも言うべき作品群が1782〜1785年にかけて書かれた一般に「ハイドン・セット」と呼ばれる6曲の四重奏曲である。
 記念すべきハイドン・セットの第1曲目であるK.387は,「それまで地球上に存在した」四重奏曲のすべてをはるかに凌駕する真に偉大な作品である。モーツァルトの独壇場ともいうべき美しい歌がどの楽章でもあふれ,技法的にも最終4楽章では苦手だったはずのフーガ(「ジュピター」交響曲の第4楽章に類似した音型に注目されたい)に挑戦して見事な成果をあげている。「ハイドン・セット」の中でも最高傑作にあげる人が多いのも尤もと思われる出来ばえだ。
 解説書では,モーツァルトがK.387を含む6曲を尊敬する「多くを学んだ」先輩ハイドンに捧げたということになっている。それも一面の真実ではあろう。しかしモーツァルトには「どうだ,俺の曲の方がすごいだろう!」という自信,自分の実力のほどをハイドンに見せつけてやるという気概があったと思うのである。ともかく,彼はK.387を境に四重奏曲の世界で一気にダッシュした。

*MIDI:第4楽章(Molto allegro)