弦楽四重奏曲 ニ短調 K.421


ブダペスト四重奏団 (Columbia LP)
 
この曲の第3楽章の有名なメヌエットは鈴木ヴァイオリン・メソードの教則本に含まれている。鈴木メソードでヴァイオリンを習った人にはお馴染の曲だろう。中学生の私は,これの原曲が弦楽四重奏曲だということを知らずに,中間部のトリオの部分の音程と弓使いに悪戦苦闘していた。他の楽章を含めた原曲の全曲を父の持っていたブダペスト四重奏団のモノラルLPで聴いたのは,その後のことである。音は決して良くなかったけれども,3楽章の例のトリオの部分もプロが弾くとこんな素晴らしい音楽になるのかと感動した覚えがある。20世紀を代表する名四重奏団であったブダペスト四重奏団のファースト・ヴァイオリンを長年務めたロイスマンが奏でるトリオは,私はもちろんのこと,私が習っていた先生が弾くのよりはるかに軽やかで天国的に響いた。伴奏がファースト以外の弦のピツィカートで奏されるのも天国的な気分を高めている。教則本でヴァイオリンの下手な生徒に弾かせていては本来モーツァルトに失礼な曲だったのだ。
 しばらくして,ハイドン・セット中唯一短調の作品であるこの曲の魅力は第3楽章だけではないことに気づいた。ニ短調の主題と変奏曲からなる最終第4楽章の切実な音楽。父が持っていたブダペスト四重奏団の古いLP以来,メロス四重奏団,アルバンベルク四重奏団の新旧盤など,現代を代表するいろいろな四重奏団の演奏を聴いたが,この楽章に関する限り,最初に聴いたブダペスト四重奏団に優る演奏はない。とくに第2変奏のシンコペーションをブダペストで聴くと,モーツァルトがときには身震いが起こるほど切迫した音楽を書いたことがわかる。このLP,ジャケットも奏者の顔のデザインなど実にユーモラスで洒落ていた。テープで補修だらけのジャケットを見ると,父はよほどこの盤を聴き込んでいたらしい。そのころ(約50年前)のLPの値段は今のCDの値段とあまり変わらず,普通のサラリーマンの給料からすれば非常に高価なものであったらしい。それだけにLP1枚の価値は今のCDとは比べ物にならないくらい高かったということだ。自分は恵まれた時代に生まれたものだと思いつつ,いったいどちらの時代の方が音楽を本当に真剣に聴くだろうかとしばし考えた。

*MIDI:第3楽章(Menuetto (alegretto) & trio)