ヴィクトリア朝の文学


■「シャーロック・ホームズの推理博物館」

小林司・東山あかね 著(河出文庫)¥720
 本書は,1978年に立風書房より刊行された「ガス燈に浮かぶシャーロック・ホームズ」が一部加筆・訂正されたものである。1978年当時も,日本にシャーロック・ホームズの愛読者は数多くいたに違いないが,いわゆるホームズの研究書は僅かしかなかったという。ホームズ本が濫発されている現在からすれば淋しい状況だったのである。そういう20年前の日本で,シャーロック・ホームズが活躍したヴィクトリア朝後期にスポットを当て,作品と当時の社会状況との関係を考察したのは画期的で,さすがは日本を代表するシャーロッキアンのお二人である。しかも著者の一人小林氏は精神医学を専門とするだけに,心理学や麻薬の知識を生かした作品の分析も鋭い。作品の舞台をロンドンに訪ねてみたい人には,「ロンドンに足跡を探る」が大いに参考になるし,ヴィクトリア朝の歴史が好きな人には「「栄光の時代」の舞台裏」が見逃せない。第1章「探偵の理想的人間像」から,あとがきの日付が「2001年5月4日(スイス ライヘンバッハ決闘の日から111年目の日)」となっているところまで,徹頭徹尾シャーロック・ホームズのファンには楽しい読み物である。文庫本ながら,多数の図版があるのも嬉しい。巻末には200編に及ぶホームズ関係の参考文献リストもついている。



■「子どものイメージ」

松村昌家 編(英宝社)¥3,000
 本書には「十九世紀英米文学に見る子どもたち」という副題が付いている。今日では,日本,欧米を問わず,子どもを主人公,あるいは子どもの成長をテーマとした小説は珍しいものでも何でもなくなっているが,100年余り前までは決してそうではなかった。だからこそ,松村先生が本書の序で述べているように,チャールズ・ディケンズが「オリヴァー・トウィスト」において,成人向きの小説の中心人物として,子どもを登場させ,永遠不滅ともいえる子ども像を作り出したのは,英文学の一大転機ともいえる偉大な革新であったのだ。
 本書では,英米文学を専門とする第一線の研究者10人が,得意の分野をトピックス的に取り上げ,文学と子どものイメージの関係を探っている。「第一部 イギリス文学」では,まず,初期ロマン派のブレイクとワーズワースの詩において,自由で無垢な子どものイメージがはじめて確立されたということが明らかにされる。続いての本書のハイライトともいうべき,ディケンズの小説における子ども像を解析した2篇の論文が実に興味深い。オリヴァー・トウィストやディヴィッド・コパーフィールドをはじめとして,ディケンズは何と多くの心に残る「子ども像」を生み出したことだろう! 「自然の申し子ジェイン・エア」では,主人公の奔放な性格が当時のヴィクトリア朝社会の実相と関係づけて論じられている。終章「不思議の国のアリス」における「言葉遊び」の解析もおもしろい。「第二部 アメリカ文学」では,ナタニエル・ホーソンの「緋文字」における不義の子パールと緋文字の意味付けがスリリングだし,有名なマーク・トウェインの「ハックルベリー・フィンの冒険」では家出少年の遍歴という視点から,「逃げつづける永遠の子ども」のイメージが語られる。これまで知らなかった英米文学の新しい読み方を教えてくれる,知的好奇心に満ちた好著である。



■「ドリトル先生の英国」

南條竹則 著(文春新書)¥710
 少年少女時代に「ドリトル先生」シリーズ(岩波書店)を夢中になって読んだ人は少なくないだろう。この「ドリトル先生もの」が児童文学不朽の古典として世界中の子供たちに親しまれていることは言うまでもないことだが,一方で19世紀ヴィクトリア朝の社会と文化を如実に映し出した歴史的・文化史的にもおもしろい「大人向」の著作であることを知る人は意外に少ないかもしれない。本書は,「ドリトル先生」に隠されている,本来の読者である子供には絶対わからない,当時の英国の文化や風俗を明らかにしようとした試み。一読して実におもしろい本であった。本書は7章構成からなっているが,とくに「興行の世界」,「ドリトル家の食卓」,「ドリトル先生と階級社会」は必見。もうひとつ,本書を読んで考えされられたのは,昔の翻訳家の圧倒的な力量である。ドリトル先生シリーズ全12冊を日本で初めて1960年代初頭に訳したのは井伏鱒二である。本書を読めば,「ドリトル先生」シリーズを訳すにあたって,いかに大作家が一語たりともおろそかにせず慎重にかつ大胆に日本語を選んで訳していったかが分かるだろう。私が子供のとき読んで不思議に思った「オランダボウフウ」という植物や珍獣「オシツオサレツ」という言葉(これらの謎解きについては是非直接本書を参照していただきたい)も井伏の繊細自在な言語感覚の賜物であったのだ。本書を読んで「ドリトル先生」シリーズをもう一度丁寧に読み直してみたくなった。


■「十九世紀イギリスの小説と社会事情」

J.P.ブラウン 著/松村昌家 訳(英宝社)¥2,427
 英文学,特にヴィクトリア朝時代の文学の専門書。しかしながら,有名な作品とその時代背景が解説されているため,英国の歴史を考える上でとても参考になります。"Pickwick Papers"についての詳しい記述があります。


■「シャーロック・ホームズの履歴書」

河村幹夫 著(講談社現代新書)¥640
 日本のシャーロッキアン第一人者の手によるシャーロック・ホームズ・ファンにはたまらなく面白い本。ベイカー街のMuseumを訪れる前に是非読んでおきたい一冊。


■「チャールズ・ディケンズ」

L.K.ウェッブ 著/小池 滋 監訳(西村書店)¥855
 今日の英国社会の基礎は,ほとんど「大英帝国」であったヴィクトリア朝時代に出来たといっても間違いない。だから,ヴィクトリア朝時代をよく知ることは,今日の英国をよく知ることにもなる。そして,ヴィクトリア朝時代を代表する作家といえば言うまでもなくチャールズ・ディケンズである。本書はカラーの図版を多数使いながらディケンズの生涯をコンパクトに紹介したもので,学術的堅苦しさ抜きでこの大作家の生涯をたどることができる。


■「ヴィクトリア朝の文学と絵画」

 松村昌家 著(世界思想社)¥2,300
 ディケンズ研究の第一人者である著者の幅広い知識が感じられる一冊。ディケンズを糸口に,歴史,絵画,ジャーナリズムとの緊密な関係への考察をして,さらには時代的特徴を浮き彫りにする。多くの図版や絵画の挿入もあり理解の助けとなろう。


■「A Christmas Carol」

Charles Dickens/Eric Kincaid (Illustration), Brimax Books Ltd.
 ディケンズの文はそのままに,Eric Kincaidが全ページにヴィクトリア朝風の挿絵を描いた,当時の雰囲気満点の見て楽しめる「クリスマス・キャロル」。


■「クリスマス・ブックス」

C・ディケンズ 著/小池 滋・松村昌家 訳(ちくま文庫)¥660
 英国のクリスマス,それもちょっとヴィクトリア朝時代の昔のクリスマスに興味がある方は,クリスマス前に是非ディケンズの名作を。よく知られた「クリスマス・キャロル」と,「鐘の音」の2作が収められています。ジョン・リーチが描いた挿絵も当時の雰囲気満点です。