隣のPickwickさん


Jeanとの出会い
 私達が始めてジーン・ピックウィックさん(以下ジーン)に会ったのは,初めてSt Aubinsの家の前に,重い荷物を持って立った時だった。お出かけの帰りだったらしく,この見知らぬ東洋人に,「わたしはお隣のPortreathに住んでいるピックウィックです。はじめまして。ええ,ピックウィック・ペーパーのピックウィックです。」と声を掛けてくれたのだ。わたしは,初めて見るこの隣人に対して多少緊張して「はじめまして。わたしは日本から来ました。え?あのピックウィックですか?ディケンズの・・ですね!」そして,いきなり一時間後には主人をせきたてて,このウィッコム地区のGP(ホームドクター)やら,生活のノウハウを聞きにPortreathを訪ねた。初対面にもかかわらず,きれいに整ったお部屋でお話する機会を得たのだ。イギリス人の家(彼女は中流階級に属する)は,いきなりお客さんが来て大騒ぎする我が家と違って,非常にきれいに整えられている。ただ,そのとき彼女はピアノを弾いていたらしく,開け放たれたピアノの楽譜立には何枚か楽譜がおかれていたが・・・。それにもかかわらず,彼女はしきりに,ピアノに埃がついていると言っていた。

頼りになるお隣さん
 それから,私達の交流が始まった。でもこちらは慣れない海外生活ということもあり,なかなか思うように英語が話せなかったが,彼女はすごく筆まめなので,小さなメモ用紙のやり取りをよくしたものだ。「庭が荒れ放題なんだけれど,庭師を紹介してもらえないか?」と頼んだ時などは,「初めからひどい状態なんだから,としこ(私)はするべきではない。」と言って,自ら不動産屋に直談判に行ってくれた。そして押しても引いても動こうとしない不動産屋に二人して腹を立てたものである。帰国にあたり最後に家を出るときに不動産屋が「庭がひどいのはおまえ達のせいだから,自前で庭師を雇ってきれいにしろ!」という手紙をよこしたときには,本当に親身になって私の口になってくれたのだ。(ただ,私たちが帰国してからも,この不動産屋とのトラブルは終わっておらず,一度手紙に,「今日はこれから,喧嘩に行ってくる!」との文を見たときには夫婦で「まだ,やってる!」と笑ってしまった。

庭の手入れに余念がない
 こんなちょっとお節介なジーンは,ほんとに頼りになる隣人である。そして,いつも暇があれば庭の手入れをしている。イギリスの庭にはすごく大きなナメクジがいる。これが玄関の道を這っている朝には,長男は半べそをかいて足がすくみ,「学校行かない。」という。そんなナメクジはジーンの敵である。彼女は左手に塩水を入れた容器を持ち,右手で庭のナメクジを次から次へと捕まえてゆく。ある日なんか,「今日は40匹も捕まえたんだ。」と得意げだった。そのかいあって,ジーンの庭は整然として美しい花がいつも咲いている。ウィッコムの人々は競うように皆庭造りにいそしんでいる。そして,洗濯物は絶対見えるところには干したりしないばかりか,雨がいつ降るかわからないせいもあり,干さない家も多いのだ。
   

Pickwickさんが石塀に咲かせた美しい花々      Pickwickさんが撮影したWarminster Roadの水仙


若々しさの秘密
 彼女は,いわばオールドミスなのだけれど,うちの二人の息子の相手によくなってくれる。お正月に招待したときには,長男とスヌーカー(ビリヤードに似ているがビリヤードではない)をした。「私はジミー・ホワイト(実力者ながらなぜか決勝では負けてしまう)だ!」といいながら,失敗すると,ほんとうにくやしそう。長男は「僕はスティーブ・デイヴィス(80年代の名チャンピオン)。」(夫は,二人の試合を眺めながら,なんで二人とも今弱い奴ばかりになるんだ!俺ならスティーブン・ヘンドリー(7度のワールドチャンピオンに輝くスコットランド人)さ!と思っていたそうだ)彼女は会うたびに,私の英語が上達した!と誉めてくれる。私も調子に乗って「ほんと?ありがとう!」なんて返事するのだ。息子達にも「これは食べられるよ。」なんて言って,庭に生えている小さなイチゴをくれたりするのだ。次男は彼女が大好き。まだよくしゃべれないのだけれど,「ピッチャン!」と呼んでいた。しょっちゅう会っているはずなのに,「大きくなったね!」と抱き上げてくれる。彼女は体育教師をしていた上に,仲良しのメアリーと二人で,トドラーグループや小学校で,ボランティアをした経験がある。大柄な上に絶えずジョークを飛ばす彼女はウィッコムでも有名人だったようだ。そして,75歳近くなのに,階段を駆け上がる元気さの秘訣はなんだろうか,と羨ましくもなる。

イギリスの元気なお年寄り達
 イギリスは本当に一人暮らしの老人が多い。それにもかかわらず皆おしゃれでチャーミングである。90歳は優に越えていると思われる老人が平気で車を乗り回しているし,町なかで楽しそうに観光している車椅子の人も多い。バリアフリーなんかでは決してない,でこぼこのバースの街を観光しているのだ。歩道が狭い?段差が多い?階段で,エレベーターがない?こんなのバースには当たり前である。バスだって,そんな車椅子用の高度な機械を積んだ車なんてないと思う。彼らは絶対「恥ずかしい。」なんて思わないし,別に車椅子で観光しても,「格好悪い」なんて誰も言わない。さりげなくバスに乗る時,手を貸してくれるし,バスの中でも,皆が何気なくおしゃべりしている。よそ者の私だって,どんなに英語が下手だって,時々話の輪に入る。日本は表面的な個人主義だけを西洋から輸入したのだ。プライバシーを尊重するのと,他人を無視するのとでは意味が違うのだ。これはバースが田舎のためか,毎日顔を合わせるようになって(通学・通勤途中で)お互い,なんとなく顔を覚えた時点で,もう挨拶を交わすようになる。スーパーでも,レジの人が後ろにたくさんの人が順番待ちをしているにもかかわらず,面倒な顔もせず年寄りの話をゆっくり聞いてあげている。当たり前の光景である。そして,困っている隣人に対して,求めに応じて期待以上に答えてくれるイギリス人。たくさんの日本人がイギリスに生活したがるのはこの辺に理由があるのかもしれない。

文豪Dickensの”The Pickwick Papers”のモデルの子孫
 ジーンに話を戻そう。そんなチャーミングなジーンは,母親を99歳で亡くした後ずーっと一人暮らしをしている。丘をちょっと下ったところにお兄さんが住んでいる。そんな彼女がチャールズ・ディケンズの出世作「ピックウィック・ペーパーズ」の主人公のモデルの子孫だと知ったのは,私の甲南大での恩師である松村昌家先生のご指摘による。私はこんな珍しい姓の人がいるのですと何も考えずにはがきを差し上げた。すると,バースといえば馬車業親方であるエレイザー・ピックウィックの子孫かもしれないよ。とのお返事。瓢箪から駒。本人に尋ねると,まさにその子孫だということで,びっくり!お互いの話題がより増えたというわけである。
 松村先生の著書に詳しく載っているが,ジーンのご先祖はバースの北東部へ2マイルぐらいのウイック村で孤児として拾われたからピック+ウィックといい,初代モーゼスは旧約聖書のモーゼにちなんで名付けられたそうである。(モーゼはエジプト王妃に拾われたので)彼は馬車業に目をつけ,3代目のエレイザーの時代にはその名前はロンドンまでとどき,今で言うコーチバスみたいなものだ。そして,Bath Abbeyの正面には宿屋「白鹿亭(The White Hart Inn)」を持っていたということだ。バースの市長にもなってる者もおり,ピックウイック一族はまさにバースの名士であった。しかしながら,19世紀には鉄道が敷かれ,バースにも鉄道が走るようになって,急速にその勢力は衰える。ピックウィック・ペーパーが書かれた頃がピークだったのだ。この話は子孫であるジーンももちろん承知で,「あの時代に生れていたらね。」なんて冗談交じりでため息をつくのだ。


白鹿亭の跡地に立つ建物の壁にある記念プレート

 そんな訳で,松村先生がこのジーンに会いに来てくださり,楽しいひと時を持つことが出来たのだ。そして,ジーンからは山のようにピックウィック家の資料をコピーさせていただいた。しかしながら,バースのピックウィック家もジーンとそのお兄さんで終わりということだ。もちろん彼女には子供は無いし,お兄さんにも娘しかないということである。ちなみにこのジーンの姪はギリシャ人と結婚しギリシャに住んでいる。こちらの方でも,子供のバイリンガルの難しさをよく話したものである。


ジーンと松村先生(ジーン宅で)


Jeanとの別れ
 ジーンとのお別れは本当に悲しくつらいものだった。日本の中でもよく友人の引越しは寂しいが,海を隔てて飛行機で13時間。その距離を考えると,もう二度と会えないのではないかと思い,本当に悲しい。 日本人同士なら決してしないが何度も何度も抱きあってさよならをした。彼女も寂しさを紛らわすようにくしゃくしゃのハンカチを出して何度も何度も涙をぬぐっていた。彼女は75歳。まあ,彼女のお母さんは99歳まで元気だったのだから!また会えるよ!といつも家族で話している。


ジーンとのお別れの日(ジーンの庭で)



ピックウィック・ペーパーズを楽しもう!

 上でも触れたように,隣のPickwickさんの御先祖に関係アリの「ピックウィック・ペーパーズ」は,英国ヴィクトリア朝を代表する文豪ディケンズの人気を一躍高めた出世作である。善良なお人よしを絵に描いたような初老の紳士サミュエル・ピックウィック氏が三人の若い紳士と機転のきく好青年の召使サム・ウェラーを連れて英国各地を旅行し,行く先々で滑稽なドジを繰り返す。悪事を働いたわけでもないのに,ついには一時的とはいえ牢屋にまで入れられてしまうピックウィック氏。しかし,ストーリーに悲愴感は全く感じられず,終始ユーモアと揺るぎない人間への信頼が流れている。最後は善良なピックウィック氏にふさわしいハッピー・エンド。
 ピックウィック・ペーパーズの手頃な邦訳としては,「ピクウィック倶楽部」の題でちくま文庫から出ていた(全3巻)が,残念ながら現在は絶版のようである。そのような淋しい出版状況下で,まさに待望といってよい,BBCが1985年に製作した長編ドラマがDVD化されて2000年12月に発売された(IVCF-271)。ディスク2枚で約5時間と長いドラマであるが,これでも原作があまりにも長大なためか,すべてのエピソードがドラマに入っているわけではなく,たとえば残念ながらピックウィック氏がバースに行く話は抜けている。しかしそれは小さなこと。原作自身のおもしろさ,ピックウィック氏のイメージにぴったりなナイジェル・ストックをはじめとする俳優陣の名演技,ヴィクトリア朝を的確に再現した時代考証,木管群で奏される楽しいテーマ曲など,ディケンズ好き,英文学好きの人なら一度見出すとやめられないことうけあいのおもしろさ!日本のディケンズ研究第一人者小池滋氏による作品解説や登場人物紹介の映像特典つき。