ダイアナ・ウィン・ジョーンズ


アブダラと空飛ぶ絨毯

ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 作/西村醇子 訳(徳間書店)¥1,600

 「魔法使いハウルと火の悪魔」の姉妹編とも言うべき一冊。「魔法使いハウルと火の悪魔」をまだ読んでいない方は,そちらを先に読むことをお勧めする。しかし,主人公は前作のソフィーではなく,アラビアの国(とは明示されていないが舞台設定は明らかにアラビアン・ナイトの世界である)ラシュプート国に絨毯商人の息子として生まれたアブダラである。ソフィーや魔法使いハウルが住むのが隣国のインガリーという設定である。さて,アブダラは父親の第二夫人の息子として生まれたため,第一夫人の縁戚たちからは何かと下に見られ,頭が上がらない境遇にある。バザールに小さな店を構えて絨毯を細々と売る変わり映えのしない毎日を送っていたアブダラであったが,ある日怪しい男から空飛ぶ絨毯を買ったことから彼の人生は一変する。
 夜寝ている間に絨毯に連れていかれた庭で会った謎の姫君”夜咲花 ”に一目惚れしたアブダラは彼女と駆け落ちしようとしたが,その矢先に姫はジン(魔神)にさらわれてしまう。ところがその姫は何とラシュプート国のスルタンの娘であった。スルタンに捕らえられたアブダラであったが何とか脱出し,姫を取り戻すべく行動を開始する。途中,魔力を持つ瓶の中の精霊ジンニーを手に入れたり,インガリーとの戦に敗れたストランジアの兵士と旅を共にしたり,インガリーのソフィーの加勢を得たりしながら,ついにジンの住む空中の城へと乗り込む。ここから,すべてが丸く収まる最後のクライマックスにかけては意表をつく展開と謎解きのおもしろさが圧巻だ。ジョーンズ得意の「最後の最後まで登場人物の正体を明かさない」手法がこの作品でも生きている。前作で活躍した魔法使いハウル,その妻ソフィー,火の悪魔カルシファー,王弟ジャスティンはいったいどこにいるのか?動物好きの作者だけに,本作でも犬と猫がきわめて重要な役回りを演じていることを一言付記しておきたい。ミステリアスでエキゾチックなアラビアン・ナイト風ファンタジーの傑作。



魔法使いハウルと火の悪魔

ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 作/西村醇子 訳(徳間書店)¥1,600

 本書を買って最初に読んだときには,同じ徳間書店からの「大魔法使いクレストマンシー」シリーズもまだ刊行されていなかったし,他にジョーンズの作品といえば創元推理文庫から何冊か出ている程度で,日本では彼女の名前もポピュラーになっていなかったと思う。しかし,ハリポタの爆発的ブームの影響で新刊が次々に出たのと,スタジオ・ジブリが本作をアニメ化するというニュースが伝わって,人気あるファンタジー作家としての地位を揺るがぬものとした。アニメ化には賛否両論あるようだ。私は宮崎駿のファンでもあるし,楽しみでもあるのだが,ジョーンズの原作のイメージではなく,宮崎アニメのイメージが強くなってしまうのは仕方ないだろう。
 さて,本書の原題は"Howl's Moving Castle (1986)"で,文字通り空中に浮かぶハウルの動く城が物語のメインの舞台となっている。主人公は実は魔法使いのハウルではなくて,帽子屋に生まれた3人姉妹の長女ソフィーである。妹に間違われた彼女が「荒地の魔女」に90歳の老婆に姿を変えられてしまい,生きるすべを求めてハウルの城に掃除婦として住み込むところから物語が始まる。同じ魔法使いと言ってもハウルはクレストマンシーなんかとは違って,キザで移り気で陽気な若い魔法使いである。この2人にからむ個性的なキャラクターがハウルの城を動かす火の悪魔カルシファーと見習い魔法使いのマイケル。ソフィーにかけられた呪い,ハウルとカルシファーの謎の契約,失踪した王弟の正体,荒地の魔女や「真の敵」との対決,ソフィーのハウルへの淡い恋心などが核になって,物語はスピーディに展開する。最後は大団円となり,ソフィーの呪いも解けるが,この結末は分かっていても,飽きさせずに一気に読ませてしまうところが,さすがジョーンズと感心させる巧みなストーリー・テリングだ。スタジオ・ジブリのアニメでは,主人公ソフィーをどういうキャラクターの女の子にするか,ちょっとニヒルでナイーヴな魔法使いハウルの心理をどう描くか,そして不思議な空中の城をどのように描写するかが問われるだろう。アニメでは再現が難しいだろうが,この作品にはシェイクスピアの劇,ジョン・ダンの詩,トールキンのファンタジーなどもさりげなく引用されていて,英文学の香気あふれたものとなっている。いかにも英国らしいファンタジーと言えよう。



魔女と暮らせば

ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 作/田中薫子 訳/佐竹美保 絵(徳間書店)¥1,700

 「クリストファーと魔法の旅」同様,「大魔法使いクレストマンシー」シリーズ中の一冊で,原題は"Charmed Life (1977)"。著者本人によれば,物語は「わりと最近起きたこと」という設定らしいが,出版されたのはシリーズ全4作中で最初である。ジョーンズは,この作品により英国の権威ある「ガーディアン賞」を受賞し,児童文学作家としての地位を確固としたものにしたのであった。本書は,偕成社から「魔女集会通り26番地」の訳ではじめて邦訳されたが,長らく絶版になっていた。ジョーンズ作品の出版に力を入れている徳間書店から新しい訳が出たことは大変喜ばしいことである。
 「大魔法使いクレストマンシー」シリーズの4作はどれもおもしろいが,その中でもストーリー的に最も充実しており,最後まで息つかせぬ展開で楽しませてくれるのが本作だと思う。とにかくこの作品は大人が読んでも先の展開が全く読めないおもしろさがある。物語は,グウェンドリン,キャットの姉弟が外輪船の事故で両親を失い,三流魔女のシャープさんに引き取られるところから始まる。姉の勝気なグウェンドリンは自他共に認める優秀な魔女なのだが,弟のキャットは姉なしでは何もできないような内気でシャイな男の子。姉弟が大魔法使いクレストマンシーの城に引き取られると,自己顕示欲の塊である姉のグウェンドリンは次々と事件を起こす。一方でおとなしい弟のキャットは影が薄い。ところがキャットには驚くべき秘密が隠されていたのだ…。
 ジョーンズは巧みな構成で読者に最後まで「真実」を明らかにしない。まず主人公のキャット少年自身,自分が何者であるか最後の最後まで分からない。登場人物の誰が善玉で誰が悪玉なのかも最後まで分からない。大魔法使いクレストマンシーやソーンダーズ先生が何を考えているのかもなかなか分からない。魔法ファンタジーとしてのおもしろさがたっぷりある上に,次々と予想外の事件が起き,謎が謎を呼んでいく展開,そして驚くべき結末は,ミステリーとしても一級品だ。並の書き手なら一つの「ネタ」を水増しして長くするところを,ジョーンズはすばらしいアイデアを次から次へと惜しげもなく繰り出して一つの作品に仕立てている。5冊分くらいの(長さではなく内容が)充実した読後感!小4の長男が最近この作品を読んで,「こんなおもしろい本今まで読んだことがなかったよ。」と言っていたが,それも尤もだと頷ける大傑作である。


クリストファーの魔法の旅

ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 作/田中薫子 訳/佐竹美保 絵(徳間書店)¥1,700

 新聞によると,ダイアナ・ウィン・ジョーンズも「ハリポタ」ブームの影響で本の売上が大幅に伸びたファンタジー作家の一人らしい。彼女は「魔法」とか「魔法使い」を題材にしたファンタジーが得意だから,魔法学校が舞台となる「ハリポタ」に熱狂した日本の読者がジョーンズの作品に向かっても何ら不思議はない。しかし,彼女をJ・K・ローリングの追従者のように受け取る読者がいるとしたら,それは彼女にとってあまりにも酷というものだ。ダイアナ・ウィン・ジョーンズは年齢的にもキャリア的にもローリングの大先輩であり,「ファンタジーの女王」とも呼ばれる英国ファンタジー界の第一人者なのだから。オックスフォード大学で,今では神格化されているJ・R・R・トールキンとC・S・ルイスから教えを受けたという経歴が物語るように,その作風はスケールが大きくかつ理知的,しかも師と同じくユーモアのセンスにも富んでいる。
 彼女の作品は数多いが,本書は連作シリーズ「大魔法使いクレストマンシー」の中の一つで,原題は"The Lives of Christopher Chant (1988)"である(英国では「ハリポタ」よりずっと前に刊行された)。クレストマンシーとは,魔法使いの名前ではなく称号で,あらゆる世界で魔法が悪用されていないかを監督する大魔法使いである。そのクレストマンシーの少年時代を描いたのがこの作品なのだ。ジョーンズ本人によれば,物語は現在より約25年前という 設定らしい。
 幼時から別世界へ自由に旅することができるという強い魔力を持っていたクリストファー・チャント少年は,彼の力を利用しようとするレイフおじさんに命じられた実験をするうちに,奇妙な世界で猫と暮らす「女神」と名乗る少女に会って親しくなり,自分が九つの命を持っていること,次のクレストマンシーになるべき特別な魔力を持っていることをだんだんと理解していく。この過程がおもしろい。やがてクリストファーは老クレストマンシー・ゲイブリエルの城に引き取られるが,クリストファーの力を狙った悪の軍勢の攻撃を受け,邪悪な力が彼の九つの命を徐々に奪っていく。しかし,クレストマンシーのシリーズが続いていることからも,話の結末がどうなるかはある程度予想がつくだろう。
 この作品を魅力あるものにしているのは,何よりもクリストファーの「別世界へ旅する力」だ。この力のゆえにクリストファー少年は自分の命を失ったが,同時に大切な友人の命を救うこともでき,クレストマンシーになるべき自分の運命を受け入れることができた。この観点からいえば,この作品は非常にスリルある楽しい魔法ファンタジーであると同時に,少年の心理と心の成長を実に巧みに描いた青春小説であるともいえる。「夢」が一つのキーワードにもなっているし,ユング派心理学者の河合隼雄さんや山中康裕さんがいかにも好きそうな作品でもある。