フィリパ・ピアス


トムは真夜中の庭で
フィリパ・ピアス 作/高杉一郎 訳(岩波書店)¥1,700

 フィリパ・ピアスはケンブリッジ州のグレート・シェルフォードという自然豊かな田舎町に生まれ,ケンブリッジ大学の修士まで進んだ英国きっての知性派女流作家である。彼女の作品は,長編でも短編でもストーリーの起承転結が実に見事で,豊かなイマジネーションに加えて見事に計算された論理的構成を備えている。
 主人公が現在と過去の世界を自由に行き来する「タイム・ファンタジー」は英国の作家が得意中の得意とするところだが,その中でもこの「トムは真夜中の庭で」は,英国ファンタジー史の中で最高の名作といってよい。カーネギー賞受賞作品(1958年)。「13時を打つ不思議な時計」によって過去にタイム・スリップするという,読む者の興味を強くひきつける巧みな導入部の設定,ハティという「過去の少女」と親しくなった主人公トムの刻々と変わる心理の繊細な描写,昔のヴィクトリア朝の雰囲気が感じられる生き生きとした風俗描写等この作品の魅力は尽きない。この作品を読んだことのない人にあらすじを教えることは,この作品のもう一つの魅力である意外な結末に至る謎解きミステリー的なおもしろさを減じてしまうので,ここでは述べない。この作品のすばらしいところは,ストーリーの純粋なおもしろさに加えて,「時間がたつ」ということは人間にとってどういうことなのか,「子どもが大人になる」ということはどういうことなのかということを,自然にしかも深く教えてくれるところにある。子どもが大人になるということはすばらしいことだが,一方ではつらくて悲しいことだ。大人になって初めてできることもあるかわりに,大人になってしまうと決してできなくなることもあるのだから。小学校2年の息子に「早く大人になりたい?」と聞いてみたら,「なりたくない!」という返事がすぐに返ってきた。子どもの頃の自分と,今現在子どもである息子の姿を重ね合わせて,私も「時間がたつ」,「大人になる」ということはどういうことかということをしばし考えた。


まぼろしの小さな犬
フィリパ・ピアス 作/猪熊葉子 訳(岩波書店)¥1,850

 「トムは真夜中の庭で」の4年後(1962年)に出版された本書は,「トムは真夜中の庭で」とはまた違った意味で非常にシリアスなファンタジーである。原題の"DOG SO SMALL"を「まぼろしの小さな犬」と猪熊氏が訳したこと自体がこの作品のテーマを暗示している。主人公のベン少年は5人兄弟(姉妹)の真中で,上の2人の姉と下の2人の弟に挟まれ,5人の中では一人だけ浮いた存在である。そのベンが誕生日プレゼントとして,田舎に住むおじいさんから子犬をもらう約束をする。しかし,おじいさんから送られてきたのは本物の犬ではなく,チキチトという小さい犬を描いた絵であった。言葉に言い表せないほどの失望を味わったベンは,それ以来目をつぶり空想の世界で手に入らなかった小さな犬「チキチト」の姿を見る行為を繰り返す。ついには,目をつぶったまま道を渡ろうとして車にはねられてしまい重傷を負ってしまう。母親に何を聞かれても本当のことは決して言わないベン。大人の常識的な感覚からいえば,ベンは明らかに正常ではない「問題児」なのである。ところが,おじいさんが飼っている犬ティリーに子犬がたくさん生まれて,そのうちで一番小さく,しかも想像の世界の「チキチト」に一番近い茶色の子犬をもらえることになる。しかし,しばらくしてその子犬を受け取りに行ったときベンを待っていたのは,「チキチト」のように小さくはなく,勇気もない,かなり大きく育った臆病な子犬であった。再び味わう深い失望。ベンは子犬の本当の名前「ブラウン」を呼んでやることもなく,むごい仕打ちを続ける。そして終章の舞台ハムステッド自然公園で,ベンのもとを去っていこうとする子犬をぼんやりと見ていた「ベンは,はっきりとあることをさとった。それは,手にいれることのできないものは,どんなにほしがってもむりなのだ,ということだった。ましてや,手のとどくものを手にしないなら,それこそ,なにも手にいれることはできないということを。(原文のまま)」
 この「真実」が分かるまでにベンはなんと長い回り道をしたことだろう。しかし,ベンの魂が救われるために,また人間として成長するために,この回り道は絶対必要なものでもあった。大人は,ともすれば,すぐ「短気」に自分のいうことを子どもに聞かせようとする。しかし,それでは大切なことを身をもって感得することができない。ときには回り道も子どもにとって必要だという,現代の効率的教育に対するアンチテーゼとしてこの作品をとらえることもできるのではないだろうか。最後の最後になって「理想」と「現実」の深い意味を知ることができたベンの言葉でこの作品は終わっている−「もうおそいよ,ブラウン。さあ家へ帰ろう。」。読者がそれまでのベンを知っているだけに,この静かで,優しさに溢れた最後のシーンはとりわけ感動的である。このようなシーンにハムステッド自然公園の美しい情景がいかにふさわしいことであろう。
 本の表紙カバーの絵からして,少年の複雑な心理を象徴しているかのようなちょっとシュールなものだが,ベンの心理描写一辺倒ではなく,ピアス一流の脇役やユーモアがこの作品に彩りを添えていることも忘れてはならない。たとえば,陽気なバスの運転手ボブ・モス,「エホバだか,エホさんだか知らないけどさ。」,「六百歳だって−じょうだんじゃあないよ,まったく!」というドキッとする反キリスト教的?発言を繰り返すベンのおばあさん。随所に出てくる英国の田舎町の描写もいい。「トムは真夜中の庭で」と同様何回も読み返したくなるファンタジーである。


真夜中のパーティー
フィリパ・ピアス 作/猪熊葉子 訳(岩波少年文庫)¥640

 新しくなった岩波少年文庫の新刊として2000年6月に出版されたピアスの短編集。8つのおはなしを収録している。「よごれディック」は,お金にも物にも執着せず,動物を愛し,最後はふらりと村を去っていく「よごれディック」の生き方が共感を呼ぶ。「真夜中のパーティー」は,4人の子どもたちが両親の寝ている間に台所でパーティを開く。次の日の朝どうやってお母さんにバレないようにしようか?そして長女アリソンの考えた作戦が大成功。「牧場のニレの木」は,古くなったニレの木が倒れそうで危ないので切り倒してしまおうということになるが,好奇心旺盛な少年たちが大人の目を盗んで自分たちで木を引き倒してしまう。こういう少年たちの姿は今や英国でも少なくなっているのだろうか。「川のおくりもの」は川で見つけた宝もののイシガイをめぐる従兄弟同士の2人の少年の揺れ動く感情を巧みに描いた好編。「ふたりのジム」は,耳の聴こえないおじいさんのジムと,無口な孫のジムの暖かい交流とささやかな冒険を描く。終わりの方では,英国的なユーモアもあり,暖かいイングリッシュ・ブレックファストも出てくる。本書で私が一番気に入った作品である。「キイチゴつみ」は,せっかくつんだキイチゴをすべて落として台無しにしてしまい,お父さんから怒られると思ってその場から一目散に逃げた少女ヴァルが,見知らぬ家で親切な女の人から紅茶とスコーンをごちそうになる(いかにも英国的!)。お父さんのハンカチをその家に忘れてきたことに気づき,翌日その家を探しに出かけたヴァルとお父さんであったが,ついに家は見つからないのだった。「アヒルもぐり」は,太っているために皆から「ソーセージ」と呼ばれてからかわれている少年(今の日本なら「いじめ」とみなされるだろう)が池に「アヒルもぐり」をして,コーチが池に投げたレンガを取ってくる。しかし,池からあがってみると…。大変短いがユーモラスな一編。「カッコウ鳥が鳴いた」のカッコウ鳥とは,カッコウ鳥の鳴きまねのうまい近所の小さい女の子ルーシー。彼女を連れて民家へ「不法侵入」したパッドは未知の川辺を探検する。英国の作品ながら,この作品に何となく昔の日本のようなノスタルジーを感じるのは,「近所の頼りになるお兄ちゃん」が最近少なくなったせいだろうか。本書に収められた8編は,いずれも子どもの日常生活を題材にしながら,登場する子どもの心の動きを鮮やかにとらえている。挿絵を担当しているフェイス・ジェイクスの繊細な線画もよい。