South East

INDEX
■カンタベリー
■カンタベリー大聖堂
■カンタベリー・テールズ博物館
■ロムニー・ハイス・ディムチャーチ鉄道
■パレス・ピア(ブライトン)
■ロイヤル・パビリオン(ブライトン)
■ブルーベル鉄道
■イーストボーン
■Eastborne Miniature Railway
■アランデル城

カンタベリー
 私はチョーサーの「カンタベリー物語」やディケンズの「デビッド・コッパーフィールド」で有名なカンタベリーに行きたいとかねてより思っていた。カンタベリーに向かったのは10月24日,イギリスは25日から冬時間となる。もう相当日は短く,寒くなっていた。私たちのフォードはナンバーがGで89年か90年製である。それまでもあまり調子が良いとはいえなかったが,行く途中のM4上でギアの調子がおかしくなった。ちょうど大雨が降っており,私たちは背筋が寒くなる思いだった。イギリスの高速道路ではよくAA(日本でいうJAF)のお世話になっている車が多い。私たちはまだ入会していなかった。目の前が暗くなる思いで走っていると,なんだかましになってきているようだ。(ここで,戻るべきだったのだろうが,戻るのも結構厄介なので,そのまま行くことにしたのだ。) さらに,2回ばかり道を間違ったのをナビゲーターの私のせいにして怒鳴り散らす夫を皆で無視しつつ,カンタベリーに着いたのは午後2時ごろだった。
 さっそくB&Bを探す。カンタベリーは中世の城壁で囲まれた街である。インフォメーション・センターにB&Bを探してもらうが,ちょうどハーフタームのお休みということもあって,中心部の安い宿はどれも一杯である。仕方なく,城壁の外1マイルぐらいの宿にする。

カンタベリー大聖堂
 その日は,簡単に観光する。運良く雨も上がってきたので,まず,カンタベリー大聖堂を見学する。イギリス国教会の総本山だけあって,非常に立派な建物である。西暦597年,St Augastinによって修道院が建てられたことを起源とするだけに,その歴史は大変古い。
 聖堂内部ではマータダムと呼ばれるトーマス・ベケットの殉教した場所があるが,その場所の”Thomas”と記されグレート・ツイスタートと呼ばれる部分がまさにベケット殺害現場である。薄暗くほのかにろうそくがともされている場所である。その後,彼は地下聖堂に葬られたが,ローマ教皇より殉教と認められた。そのため,多くの人が巡礼にやってくるようになり,また,瀕死のけが人や病人が癒されたりするという奇跡が起こる。そんな奇蹟を信じさらに多くの人たちが巡礼するようになった。チョーサーの書く「カンタベリー物語」の登場人物たちがまさにそうである。そして今もなお詣でる人は絶えない。
 しかしながら,ヘンリー8世のローマ教会からの離脱,破門によって,ベケットの黄金の棺はなくなってしまった。今は静寂さをたたえる広い地下聖堂となっているがここを見学するのも興味深い。この聖堂は12世紀初頭に建てられ,イギリス100年戦争で活躍したブラック・プリンス(エドワード王子)も眠っている。
 また,礼拝堂内部のステンドグラスも美しく,よく保存されているものである。聖歌隊席の仕切り壁にはイギリス国教会の総本山だけあって,歴代の王の姿が彫刻されている。
  (左)カンタベリー大聖堂
  (右)イエス・キリスト像の見えるカンタベリー大聖堂の門



カンタベリー・テールズ博物館
 チョーサーの時代(中世)の「匂い」を再現しているという「カンタベリー物語」という博物館にも行く。蝋人形や音,最新の技術を駆使しているというだけあって見ごたえがある。下の子は,薄暗く,正露丸のような匂いのする館の中でぐずりだしたが,当時の衣装を着けた蝋人形が滑稽で,日本語ガイドもあり結構楽しめるスポットである。
 私たちが宿泊したB&B・CARINAは家族で48ポンド,2ベッドの清潔なB&Bだった。宿の主人は,ちょっと髪の薄い親切なおじさんで,次男の髪を見てしきりに羨ましがっていた。そして,夕食のためのレストランを探している私たちになんとパブを紹介してくれたのだ。イギリスでは法律で16歳未満の子供は夜間パブに入れない。しかし,そのようなパブしかない片田舎では,子供連れの旅行者は食事もまともに出来ないのだ。一般にパブには入り口が二つあり,ビクトリア時代には階級によって,入り口が違ったそうであるが,ゆったりとして,薄暗いパブの中には暖炉があかあかと燃えており,雨や風で凍えたからだを十分あったためてくれた。まあ,メニューは,冷凍のシュリンプフライ,カレーライス,サラダといったものしかなかったが,大人はイギリスのビールに満足した。
  (左)カンタベリー・テールズ博物館
  (右)蝋で精巧に作られた「バースの女房」



ロムニー・ハイス・ディムチャーチ鉄道
 次の日はもう一度大聖堂を晴れた空の下で見た後,カンタベリーを出発する。ドーバーまで1時間もかからない。見事なドーバーの壁を見た後,ロムニー・ハイス・ディムチャーチ鉄道に乗車する。伊豆にロムニー鉄道があるが,本家のここより名前をもらったそうである。ここの汽車はとても小型である。大人だと背中を丸めなければ到底客車に乗れない。まるで遊園地の外周列車のようであるが,正真正銘の蒸気機関車であり,勤め人や生徒が使うれっきとした公共鉄道でもある。公共鉄道としては世界で最も狭軌の鉄道なのだ。たくさんの石炭を積んだ超小型の蒸気機関車が驚くほど速い速度で走るのである。おそらく時速40kmくらいであろうが,車体が小さいだけに体感速度は60〜70kmに感じられる。一般に保存鉄道はボランティアによる観光列車ということもあり,非常にゆっくり走るのが普通であるが,ロムニー鉄道は違う。
 小さなボディがピカビかに磨かれ,その小さな運転席に大柄な運転手さんが身をかがめて運転している姿はユーモラスでもある。そして美しいボディと反対に運転手さんの顔はススだらけだ。しかしほんとに楽しそうに運転する。手を振っている子どもには必ず笑顔で手を振り返してくれる。こんな列車に乗ることのできるのはやっぱりイギリスに住んでいたからこそだと思う。機会があればもう一度乗ってみたい鉄道である。
  (左)ロムニー・ハイス・ディムチャーチ鉄道の小さな蒸気機関車
  (右)ドーバーの白い壁。ドーバー城も見える


イギリス南東部はたくさんの保養地がある。ブライトン,イーストボーンなどがそうである。

ブライトン

パレス・ピア

 ブライトンはイギリスでの有数の保養地であり,夏ともなれば国内はもとより,海外からたくさんの観光客も訪れる。子供連れには楽しいピアでのアトラクションも充実している。日本と違って,2歳の子供でも一人で様々の乗物に乗れるから,親としてありがたい。せいじは観覧車やゴーカートに一人で乗ってご満悦であった。ただ私たちが訪れたのは2月の末,海からの風が吹きすさぶピアの上では恐ろしいぐらい寒かった。またここでもゲーム機好きの老夫婦が真剣なまなざしでコインゲームをやっているのが見られ,ほのぼのとした気持ちになった。
  (左)パレス・ピア
  (右)カヌーをこいでご機嫌なせいじ



ロイヤル・パビリオン
 また,ブライトンにはロイヤル・パビリオンもある。ブライトンを愛してやまなかったジョージ4世が1787年から建築に着手し,1802年には内部を中国風に,また1820年から30年にかけて建築家ジョン・ナッシュによって拡張,特徴的なインド風の概観となった。この時代は東洋という異国情緒がブームになった頃で,家具や調度品に至るまでオリエンタルムードである。しかしながら,漢字を意識して使われた装飾は決して読めないものも多く,面白い。また,館内にあるティールームも雰囲気がよくてお奨めである。


ブルーベル鉄道
 英国保存鉄道をご覧下さい。

イーストボーン

 ブライトンのようにピアのあるイーストボーンであるが,私たちのお気に入り場所である。白亜の絶壁が海の青,山の緑とあいまって本当に美しい。また,子供に人気絶大な,SLの格好をした電気自動車(DottoTrains)が楽しい。
  (左)イーストボーンのピア
  (右)ドット・トレインも楽しい

 さらに自家用車で観光される人はこの白亜の絶壁を見下ろせるスポットにも行ってほしい。浜辺から出航するセブン・シスターズやビーチイ・ヘッドへの観光船(Allchorn pleasure boat)は特にお奨めである。天気のよい日ならなおよい。日本ならこのような断崖絶壁のところには,必ずといっていいほど見苦しい柵があるが,ここにはない,おっかなびっくりで覗き込むと余りにも美しい海の色に怖さを忘れるぐらいである。

  (左)観光船でビーチイ・ヘッドを見に行く
  (右)覗き込むと怖い白亜の断崖


Eastborne Miniature Railway
 ここも大変楽しいスポットである。詳しくは英国保存鉄道乗車記をご覧下さい。

アランデル城

 M4でバースに戻らずサセックスのアランデル城を観光してから帰ることにする。この城は11世紀後半ノルマンディー公ウイリアムがイングランド征服のためにブリンテン島に上陸した時,ノルマディー地方の留守を預かったというロジャー・ド・モンゴメリー伯爵が,ヘイスティングの戦い後,この所領を与えられたという。しかしながら,ヘンリー一世の時代に謀反の嫌疑をかけられ,この城は王室の所有となる。そして,様々の変遷があり,ノーフォーク公の所有として現在に至る。
 このノーフォーク家というのはイギリスでも有数の名門の一族である。ヘンリー8世の王妃アン・ブーリン(エリザベス1世の母)とキャサリン・ハワードはノーフォーク公を伯父に持つ。といったように,王族に関係のある人物が多数存在している。
 さて,この城の特徴としては,ゆるい角度の三角錐のてっぺんに円筒を載せたような格好のシェル・キープであろう。また跳ね橋や,清教徒革命の時に砲撃を受けた跡も残っており,興味深い。
 この城のあるアルンデルの街は,城の大きさや格式と比べると,不思議なほど小さな街である.高台にある城を見上げるような格好にあり,そこから仰ぎ見るアランデル城は,おとぎ話に出てくるお城のように美しい。城内部のつくりや展示品も名城の名に恥じない。こんな素晴らしい城が日本のガイドブックにあまり紹介されていないのが不思議なくらいである。
  (左)アランデル城のシェル・キープ
  (右)美しく詳細なアランデル城のパンフレット