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電車のドアが開くと、酒臭い空気から開放される
まだ春も浅い四月。頬にあたる夜風が少し冷たくて、心地よかった。
人ごみに揉まれながら、改札をぬける一人の若い男。
渋谷のハチ公前に出ると、いつもの人ごみが見えた。
品定めをしては、かけよって女性たちの気を引こうとするホストたち。
奇抜な色の服を着て、携帯電話で話しながら駅に歩いてくるガン黒茶髪の男。
こんな時間にも、まだ制服を着ておしゃべりに興じてる女子高生らしき3人組。
そんな人ごみの中を足早にすり抜けて交差点の前にきた。
すでに信号は青だったが、ふと立ち止まって空を見上げると夜空が少しだけ曇っている。
雨が・・・降りそうか?
湿度の高い空気の中、青白い陰のある月が、ただ儚げに雲の合間に漂っている。
男は明滅しかけた青信号を横目に見ると、銀行へ向かって歩き出した。
今月もまだ給料日には遠い・・・よな。
男は少しだけひるんだ自分の心に呼びかける。
決着をつけにいくんだろう!?
・・・そうだ、決着を。
ガラス張りの自動ドアをくぐり、キャッシュディスペンサーにカードを押し込んだ。
決意が鈍らないうちに素早くディスプレイにタッチする。
電子音が響き、かしゃんと音を立てて開く、現金の取り出し口。
おもむろに男は札束を取り出す。
それは、若い彼にとって決して安くない金額だった。
・・・さて、行こう。
銀行から出る間際、ちらりと腕時計をみると、デジタルの文字盤は暗闇にAM00:10を浮かび上がらせていた。
・・・それは13日。
彼にとって、決戦の金曜日だった。

そこは深夜の渋谷。
道玄坂の途中で見上げると、その看板が見える。
ピンク色のキャバクラの看板。
男は客引きの脇をぬけるとビルに入った。
1階から6階まで、飲食店等が各階に入っている雑居ビル3F。そこに店はあった。
エレベータのスイッチを押す間もなく、扉が開き、一組のカップルがエレベータから降りて来た。
すれ違いに入る男。
何度となく来たはずのこの場所が、今日は特に落ち着かなかった。
おちつけ、何を緊張することがある。
低い唸るような音を立てるエレベータの中で、男は必死に平静を取り戻そうとする。
ゆっくりと、上へあがっていくエレベータ。
1、2、3・・・。
停止、そして、開く扉。
男が一歩踏み出すと、そこは不快な空間が広がっている。
「いらっしゃいませ。」
受付の女と黒服が、同時に貼りついた笑顔で頭をを下げてきた。
男は二人を一瞥する。
良くできた笑顔。
こいつらの本心はいったい何を考えているんだろう?
真意の見えないその顔に疑問をぶつけてみたい衝動に駆られたが、男はそのまま黙ったいた。
黒服は言った。
「いつもの様にケイさん、でよろしいでしょうか?」
男が「あぁ、はい。」と、短く答えると、黒服が部屋の隅の席へ案内した。
男は通された先のソファーに腰を下ろす。
自然と、ため息が出た。
・・・また来ちゃったな。
ポケットから、携帯電話と財布を目の前の小さなテーブルの上に放り出すと、一瞬、薄暗い室内の雰囲気に飲まれそうになる。
ブラックライトの光が、女の笑い声が、煙草の煙が、あらゆる思惑をかきまぜて包み込んでいた。
頭の痛くなるような、嫌な空間。
でも唯一、彼女に会える空間。
男にとってそれはジレンマの空間だった。
しばらくの間、男は目を閉じて、そして今日の「計画」をもう一度思い起こす。
ホントに・・・これでいいのか?
・・・これでいいんだよ。
しょうがないんだよ。
俺は何も間違ってない。
つらいんだよ・・・・いつまでも。
こんなことは・・・もう終わりだ。
・・・・これでいい。
男は幾度となく問い返した自問自答をもう一度繰り返した。
・・・ふと、男の耳に声が届く。
「いらっしゃい、来てくれたん?」
目を開けると目の前に小柄な若い女が立っていた。童顔で、セミロングの栗色の髪。
彼女の着ているチャイナ服の胸には蛍光のネームプレート、そして、その中に「ケイ」の名前が入ってる。
顔を見上げると、はにかむ笑顔と、えくぼ。
そして、薄紅色の愛らしい唇。
この三ヶ月間、何度この笑顔を思い返したことだろう。
男は「よう」と、曖昧な笑顔で返した。

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