長谷寺 |
2008年03月16日 |
山本勘助の遺髪塚
長谷寺には以前にも寄りましたが、去年のNHK大河ドラマを終えてその後どうなっているのか確認したかったので立ち寄ってみました。境内の隣の敷地は駐車場になっていて境内には大きな説明用の資料が展示されていました。お寺の外には旗がたくさん立っていました。最初に山本勘助のお墓の方に行ってみました。お墓そのものは以前と変わっていませんでしたがここにも旗がありました。墓域にはトイレができていました。去年はよほど多くの人が来たのですね。土日であれば摩利支天像の見学も可能とのことでしたのでお寺の方に声をかけてみたところ、快く中に入れてくれました。 |
山本勘助襟掛本尊 摩利支天像
摩利支天像は1寸3分(約4cm)の小像で、当寺壇上の厨子の中に安置されています。山本勘助は25才の時、高野山に登り武芸上達を祈願すること7昼夜、満願の夜に霊験によって、夢中に弘法大師空海の作といわれる本尊を授けられ、以来、襟に掛けて己の守り本尊としました。 |
山本勘助と長谷寺 変質する勘助伝説 |
2004年12月11日 |
山本勘助の墓
山本勘助の墓 戦国の昔、武田信玄の名軍師として有名な山本勘助は、明応9(1500)年8月15日八名郡賀茂村(豊橋市賀茂町)の山本藤七郎の三男として生まれ、幼名を源助と名のっていました。 道端で長谷寺の場所を聞いた人が古文書の勉強をしている人で歴史に詳しい人だったので山本勘助のことや牛久保の歴史についていろんなお話を聞くことができました。 |
→山本勘助の墓(川中島)
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