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愛知県新城市

医王寺

2014年08月15日

医王寺と武田勝頼本陣跡
長篠山医王寺は永正11(1514)年に創立され、曹洞宗で薬師如来を本尊とし、克補契嶽大和尚によって開山され、現在7つの末寺がある。
天正3(1575)年の長篠の戦の時、武田勝頼がここに本陣をしいた。境内の弥陀が池には、勝頼の設楽原出撃を諌めたアシが、勝頼の勘気にあって切りつけられ、片葉になったという「片葉のアシ」が生えている。
また長篠の戦の時使用した槍の穂先、矢尻、陣茶釜などが保存され、庫裡には民俗資料を豊富に集めた資料館がある。
(看板資料より)


弥陀ヶ池

長篠・設楽原合戦で長篠城を包囲していた武田勝頼が本陣を設楽原に進めようとした時に、弥陀ヶ池に茂っているアシの葉を勝頼(勝頼の家臣との説もあるとのこと)が切り落してしまい、それ以来この弥陀ヶ池のアシは片葉になってしまったとのことです。その後次第に物語が脚色され次のような物語が残っているそうです。
武田勝頼が長篠城を包囲しているときにこの医王寺に本陣を構えていたが、あるとき池のアシに向って今度の戦いに武田軍が勝つことができたら知行を与えようと言った。その夜勝頼は夢でアシの精霊から、今度の戦いは神人共にくみしない所だから合戦をやめて国に帰るようにとのお告げがあった。
しかし勝頼は家臣の意見を聞かずに設楽原にて決戦を行なうことを決めてしまい、その日の夜再び夢にアシの精霊が現れて勝頼の無謀をいさめ、汝が目覚めなければ予も汝を見限るであろうと告げた。怒った勝頼は翌日の出陣の時にこの地のアシに向って、我々を助けなければ片輪にするぞと刀を抜いて葉を切り落そうとしたところ、突然池は波立って天地が暗くなり、「無謀な戦いをするならば汝もこの戦いで片腕と頼む家臣を失うであろう」とのお告げがあり、池を見てみるとアシの葉はすべて片葉になっていたとのことです。
(長篠合戦余話より)


医王寺山武田勝頼本陣跡

この医王寺山は、天正3(1575)年武田勝頼が長篠城攻略に際し、陣城として使った跡といわれ、広島市立図書館、浅野文庫所蔵の諸国古城図のうち「勝頼陣城」として描かれた絵図と同様な平坦地(曲輪)が今に残っています。
なお、ここは国指定史跡「長篠城跡」、市指定史跡「馬場美濃守信房の墓」を南に控え、「鳶ヶ巣砦」跡はじめ武田軍陣地の全部が展望できる位置にあたります。
(看板資料より)

 



2006年05月06日

早朝に訪れたにもかかわらず、お寺の修行僧が快く出迎えてくれた。本曲輪にある物見櫓には以前にも行ったことがあるのですが以前行ったときとは逆周りで行けば近道のような気がしたのでお寺の方に行き方を教えてもらって物見櫓に向いました。本曲輪から下りてきてから医王寺の中になる資料館を見学させてもらいました。
また、境内にある弥陀ヶ池のアシについても聞いてみたのですが、現在は池の奥の方にあるかもしれないが、池に生息する雷魚が食べてしまうのでなかなか見つけることができないとのことでした。

医王寺と武田勝頼本陣跡
長篠山医王寺は永正11(1514)年に創立され、曹洞宗で薬師如来を本尊とし、克補契嶽大和尚によって開山され、現在7つの末寺がある。
天正3(1575)年の長篠の戦の時、武田勝頼がここに本陣をしいた。境内の弥陀が池には、勝頼の設楽原出撃を諌めたアシが、勝頼の勘気にあって切りつけられ、片葉になったという「片葉のアシ」が生えている。
また長篠の戦の時使用した槍の穂先、矢尻、陣茶釜などが保存され、庫裡には民俗資料を豊富に集めた資料館がある。
(看板資料より)

弥陀ヶ池

長篠合戦余話によれば、片葉のアシの話について次のように記されています。
長篠・設楽原合戦で長篠城を包囲していた武田勝頼が本陣を設楽原に進めようとした時に、弥陀ヶ池に茂っているアシの葉を勝頼(勝頼の家臣との説もあるとのこと)が切り落してしまい、それ以来この弥陀ヶ池のアシは片葉になってしまったとのことです。その後次第に物語が脚色され次のような物語が残っているそうです。
武田勝頼が長篠城を包囲しているときにこの医王寺に本陣を構えていたが、あるとき池のアシに向って今度の戦いに武田軍が勝つことができたら知行を与えようと言った。その夜勝頼は夢でアシの精霊から、今度の戦いは神人共にくみしない所だから合戦をやめて国に帰るようにとのお告げがあった。
しかし勝頼は家臣の意見を聞かずに設楽原にて決戦を行なうことを決めてしまい、その日の夜再び夢にアシの精霊が現れて勝頼の無謀をいさめ、汝が目覚めなければ予も汝を見限るであろうと告げた。怒った勝頼は翌日の出陣の時にこの地のアシに向って、我々を助けなければ片輪にするぞと刀を抜いて葉を切り落そうとしたところ、突然池は波立って天地が暗くなり、「無謀な戦いをするならば汝もこの戦いで片腕と頼む家臣を失うであろう」とのお告げがあり、池を見てみるとアシの葉はすべて片葉になっていたとのことです。

 



1999年11月23日

奥平貞昌500名の守る長篠城を15000人の武田勢が包囲して攻撃したときの勝頼の本陣がおかれたところがこの医王寺である。寺の右横から「史跡コース」があったので登ってみたが、医王寺の裏の小高い山の上に物見櫓があった。ここからは長篠城の様子や見方の陣地も一望できたそうだ。

医王寺裏山の物見櫓

医王寺物見櫓から長篠城方面を見る

 
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