←前のページ トップページ↑ 次のページ→

愛知県新城市

天神山陣地

2014年08月15日

本社は源頼朝が勧進創立し、足利氏を経て一色氏の守護神になった(縁起)。元禄11(1698)年10月、一色氏の所領替えにより、下総国木之崎村より現在地に遷営された。本殿は全体的に形姿がよく整い、細部に唐様や天竺様を折衷するほか、架構、組物などの随所に奇抜さがみられる。虹梁、木鼻、懸魚などの繰り形、絵様や擬宝珠の形も優れ、蛙股、脇障子の彫刻などの意匠にも見るべき点が多く、桃山建築装飾の名残をよくとどめている。
(看板資料より)

天神山陣地
一条信龍:山梨西八代上野の城主。信玄の弟。
真田信綱:長野小県松尾の城主。幸隆の長子。
真田昌輝:信綱の弟。
土屋昌次:山梨中巨摩島上条に住む。
・東方に長篠城を望み、また西方の設楽原方面が監視できる場所である。この陣地から長篠城を盛んに攻めた。
・5月13日の夜、大手門の前へ望楼を建て城中を見下ろそうとしたが、城中からの鉄砲で壊された。
・同20日、豊川を渡って設楽原へ進出し、連吾川上流付近へ陣を敷く。
・同21日、織田・徳川軍との決戦。真田兄弟、土屋昌次は戦死した。
天神山
元禄11(1698)年旗本一色氏が旧領から天神社をこの所に移した。それより天神社という。
(看板資料より)

 



2012年05月04日

荏柄天神社本殿

本社は源頼朝が勧進創立し、足利氏を経て一色氏の守護神になった(縁起)。元禄11(1698)年10月、一色氏の所領替えにより、下総国木之崎村より現在地に遷営された。本殿は全体的に形姿がよく整い、細部に唐様や天竺様を折衷するほか、架構、組物などの随所に奇抜さがみられる。虹梁、木鼻、懸魚などの繰り形、絵様や擬宝珠の形も優れ、蛙股、脇障子の彫刻などの意匠にも見るべき点が多く、桃山建築装飾の名残をよくとどめている。
(看板資料より)

天神山陣地
一条信龍:山梨西八代上野の城主。信玄の弟。
真田信綱:長野小県松尾の城主。幸隆の長子。
真田昌輝:信綱の弟。
土屋昌次:山梨中巨摩島上条に住む。
・東方に長篠城を望み、また西方の設楽原方面が監視できる場所である。この陣地から長篠城を盛んに攻めた。
・5月13日の夜、大手門の前へ望楼を建て城中を見下ろそうとしたが、城中からの鉄砲で壊された。
・同20日、豊川を渡って設楽原へ進出し、連吾川上流付近へ陣を敷く。
・同21日、織田・徳川軍との決戦。真田兄弟、土屋昌次は戦死した。
天神山
元禄11(1698)年旗本一色氏が旧領から天神社をこの所に移した。それより天神社という。
(看板資料より)

 

 
←前のページ トップページ↑ 次のページ→