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山梨県山梨市

万力の御林

2013年09月21日

今から四百年も五百年も昔、笛吹川は毎年のように大雨が降ると氾濫し、近郷の村々は大洪水に見舞われ、人々は苦しみきっていた。
時の領主であった武田信虎公は、この災害を防ぐため笛吹川の流れをつぶさに調べさせ、治水の場所として、差出を起点とする様計画し、我が子信玄その工事を命じた。信玄公未だ二十歳を越えたばかりの若者であった。
孫子の兵法を学んだ信玄公は、笛吹川の急流を眺めながら、その兵法を応用する事を思いついた。こうして差出を起点とした雁行堤は、信玄公の発案で設計され、労力奉仕の立札が立てられた。
信玄公が立てた人足集めの立札をみて、どこからともなく来た、お万、力三の夫婦がいた。夫婦は毎日よく働き、歌をうたって皆を笑わせたり励ましたりした。そのうちにお万が女衆頭を、力三が男衆頭を命ぜられてからは、工事が順調に運び、二人は皆の尊敬の的となり、翌年の夏には雁行堤も見事に並び植樹作業も完了していた。その頃には二人はどこともなく旅立って人々は不思議に思っていた。その後見事に生育する林を見て人々は二人の力と大衆の力を思い起こして万力林と呼び領主の造った林だからと御林とも呼び、万力の御林と愛称される歴史ある自然林となった。
(看板資料より)

 

 
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