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山梨県甲府市

秋山伯耆守信友屋敷跡

2007年10月28日

秋山氏は、甲斐源氏の支流で、武田家の譜代家老の家柄である。信友といわれるが、実名は虎繁が正しい。天文15(1546)年に侍大将に抜擢され、信玄の信濃伊那郡制圧に伴い、高遠城代を、次いで飯田城代を歴任したという。また、弘治年間には伊那大島城に在城している。信友は、武田家の伊那郡支配に深く関与し、赤須・大島氏を始めとする春近衆などを配下に置き、織田・徳川氏を監視する役割を担った。元亀3(1572)年、信玄が西上作戦を開始すると、信友は伊那衆を率いて美濃に侵攻し、遠山景任未亡人(織田信長の叔母)の守る岩村城を包囲した。城方との交渉の末、景任未亡人を信友の妻とし、遠山氏の養子御坊丸(信長の子)を人質として甲府に送還することで開城させ、信長と対峙する最前線を警固した。長篠敗戦後、織田信忠軍に包囲され降伏し、岐阜で処刑された。
(看板資料より)

秋山伯耆守信友

(大永7年〜天正3年10月21日)
織田信長と対峙した勇将
(看板資料より)


岩村城
高遠城
大島城

 

 
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