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千葉県長南町

大林寺


2009年09月20日

長南武田氏の墓は、曹洞宗醫王山大林寺の境内にある。
長南武田氏は、甲斐の国(現山梨県)武田氏の出で、戦国時代の康正2年より天正18年長南城落城までの約140年間上総に根を下ろした。
武田氏の菩提寺として知られている大林寺は、長南町長南字武田にあり、大永5年、鉤海全金大和尚續を開祖として、武田氏により創建され、天正年間に五代武田豊信再興と伝えられている。
寺は、元禄年中と明治年中両度の火災に罹り、古記録類は一部を残して焼失してしまったため、その全貌は明らかでない。
家臣団の墓は一部を除いて、当大林寺・市野々の玉泉寺・長南の長久寺にある。
(看板資料より)

長南武田氏の墓

上の写真は境内にある長南武田氏の墓です。左からそれぞれ塔に刻まれていた文書を記します。
その後ご住職と思われる方にお話を聞くことができました。上の写真の一番左にある大きな石碑が武田豊信公記念碑なのですが、彼は武田信玄公の三男で甲斐から婿養子としてこの地に来たとのことでした。長南町史にも「4代目武田清信は子がなかったため、甲斐の守護武田晴信(信玄)の第3子を養って跡継ぎにしたものといわれており、兵部少輔信栄ともいった」と記されていました。

奉造立為上総庁南武田氏五代兵部大輔上総介豊信菩提大林寺殿祝峯全松大居士

奉造立為上総庁南武田氏三代兵部大輔上総介吉信菩提瑞徳院殿億年祖庭大居士永禄十一年戊辰四月十七日歿享年九十四歳

右志者為上総庁南武田氏初代上総守護代上総介道信菩提
興龍院殿乾山道卜大居士文明十三年辛丑三月二十一日歿享年四十六歳

右志者為上総武田氏祖右馬助信長菩提龍山道興大居士文明九年丁酉四月六日歿享年七十八歳

右志者為上総武田氏二世上総守護代上総介信高菩提信定院殿道喜宝山大居士文明十二年庚子十一月十五日歿享年五十一歳

奉造立為上総庁南武田氏二代上総守護代長谷院禅寺大林禅寺開基上総介宗信菩提長谷院殿音山道観大居士天文廿年辛亥十一月十五日歿享年九十三歳

奉造立為上総庁南武田氏四代信濃守清信菩提

奉造立為上総庁南武田氏六代右衛門尉七郎次郎氏信菩提大光院殿喜翁道富大居士

 


長久寺
玉泉寺

 

 
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