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山梨県大月市

首塚

2007年12月01日

小山田左兵衛門尉信茂顕彰碑

此處中初狩藤嶋の地は詳雲山瑞龍庵竝びに地蔵堂跡で瑞龍庵は側子無量山福聚院の子院である。福聚の本寺は都留市金井の富春山桂林寺で元禄初年その中興四世湘外祖景が瑞龍庵開山となったものと思われる。瑞龍庵は桁間五間半梁間三間半の本堂兼庫裡を有したが、明治40年の水害により流失した。甲斐国誌古蹟部に「小山田古墳」として(中初狩上の原より西南の山足藤嶋と云ふ地にあり、随龍庵の側なり古き石塔あり。士人相伝へて小山田氏の墳墓なりと云ふ)とあり、今僅かに湘南塔の一古塔礎を残すのみであるが、小山田氏、桂林寺、福聚院、瑞龍庵の脈絡の中で当庵に小山田氏墓所あるも不自然ではない。信茂公法名は、羽根子長生寺過去帳に依れば、
青雲院殿武山長文大居士 天正10年3月24日
小山田出羽守 43才
惟ふに戦国以来時移り江戸に入って朱陽の儒家、忠孝順逆の説を普遍して徳川治世の礎となす。即ち順逆は後世の所説で独り信茂公戦国に生きて後世の規範に律せらる慨嘆之に過ぐるものなし。此度有志相集って公を顕彰するの建碑に際し聊か公の為その長怨を雪かんとする。
(石碑記載文章より)

小山田信茂の首塚(湘南塔)

初狩に小山田信茂の首塚があるという情報があったので確かめるために寄ってみました。甲府の善光寺で購入した「ものがたり甲斐善光寺」によれば、小山田信茂の首は初狩の随龍庵に埋められた説もあるとのことだったのです。
初狩小学校から少し甲府方面に行った辺りであるらしいのでまずは目的地を初狩小学校にして現地に向いました。初狩小学校に居た若者に聞いてみましたが彼らは知りませんでした。その後は甲州街道沿いに甲府に向って歩きながら一軒ずつ聞いていきました。なかなか情報を持っている方に会うことができず苦労しました。やっとそれらしい話を聞いたことがある老人にめぐり合うことができました。彼の話によればもう少し甲府側に歩いて行くと「からさわばし」という橋があるのでそこで聞いてみれば分かるはずとのことでした。10分も歩かずにからさわばしに到着。するとちゃんと首塚への案内板がありました。念のため近くのお宅でお話を聞いてみたら確かに小山田信茂の首塚であるとのことでした。昔は瑞竜庵というお寺があったが明治40年か、そのまた40年前の水害で土砂崩れが起きてお寺はなくなってしまったとのことでした。ここら辺の人たちはみんなそのお寺の檀家だったが、お寺がなくなってしまったのでみんなそれぞれ違うお寺に移っていったとのことでした。彼女に教えてもらったとおりに行ったら迷うことなく現地まで行くことができました。確かに看板もありましたが行き方を聞いておかないとなかなか難しいかもしれません。現地に到着してみると確かにお寺の境内だったような痕跡を確認することができると思います。思ったより大きな顕彰碑があり、その右側に小さな湘南塔がありました。

 


小山田信茂の首塚
桂林寺

 

 
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