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神奈川県相模原市

ジジイ宮


2014年01月04日

折花姫ジジイ宮の由来について
ここから袖平山に連なる尾根を可愛尾根と言います。(カワイ尾根)
その昔、村里の言い伝えによると武田勝頼が滅亡し、武田24将のひとり都留の城主小山田信茂の一族のひとり小山田六左エ門は大月市岩殿城より小田原北条氏をたより落ちた。
その途上で焼山登山口、青野原で六左エ門は討たれた。
今でも河原石に甲州の武人小山田六左エ門の碑があります。
さらに一行は神の川入口の音久和ではウバが殺され、此処ではジイが撃たれました。供の衆は一人になった折花姫を憐れみ、ここにジジィ宮を祀りました。
神の川街道の戦国の悲哀は今に伝わっています。
(看板資料より)

 



2004年11月07日

ジィジィ宮の由来
ジィジィ宮は天正10年3月11日、武田勝頼が山梨県大和村の天目山麓で滅亡し、その家臣小山田信茂の一族であった小山田八左衛門は折花姫や翁や姥を連れて小田原をめざし落ちのびる途中、神ノ川流域社宮司沢にて翁は織田勢によって殺されました。この地にジィジィ宮をつくりその死をいたみ後世へいいつたえました。
(看板資料より)

ジィジィ宮は青根から犬越路に向って進み、神ノ川キャンプ場の入口の道を挟んだ向い側にあります。道路のすぐ横に看板があり、看板から少し歩いて登って行ったところの右側に小さな祠があります。小山田八左衛門行村の墓折花宮ババア宮の位置から考えると、小山田八左衛門行村の墓だけ別の川筋にあるので、彼は翁、姥、姫を神ノ川沿いに逃がせ、自分は殿になって討ち死にし、その後姥が死に、翁が行き絶え、最後に姫が一番奥まで逃げましたが、敵方に追いつかれ殺されたように思われます。

 

 
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