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ジィジィ宮の由来
ジィジィ宮は天正10年3月11日、武田勝頼が山梨県大和村の天目山麓で滅亡し、その家臣小山田信茂の一族であった小山田八左衛門は折花姫や翁や姥を連れて小田原をめざし落ちのびる途中、神ノ川流域社宮司沢にて翁は織田勢によって殺されました。この地にジィジィ宮をつくりその死をいたみ後世へいいつたえました。
(看板資料より)
ジィジィ宮は青根から犬越路に向って進み、神ノ川キャンプ場の入口の道を挟んだ向い側にあります。道路のすぐ横に看板があり、看板から少し歩いて登って行ったところの右側に小さな祠があります。小山田八左衛門行村の墓、折花宮、ババア宮の位置から考えると、小山田八左衛門行村の墓だけ別の川筋にあるので、彼は翁、姥、姫を神ノ川沿いに逃がせ、自分は殿になって討ち死にし、その後姥が死に、翁が行き絶え、最後に姫が一番奥まで逃げましたが、敵方に追いつかれ殺されたように思われます。
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