←前のページへ トップページ↑ 次のページへ→

山梨県笛吹市

成就院

2014年07月12日

六角山成就院(浄土宗)
当寺院は新羅三郎義光の孫逸見清光が久寿年間(1155年頃)に開創した真言宗の寺で清光院と称した。
応永25(1418)年、武田信元が甲斐守護職として入国以来武田伊豆千代丸、続いて武田信重の三代32年の間甲斐守護職の居館として周囲に防備を施して使用された。宝徳2(1450)年、武田信重が黒坂太郎信光と交戦中、穴山修理大夫満春に背後を衝かれ、寺はその兵火に罹って全焼し、信重も寺の附近で自刃した。
翌宝徳3(1451)年、信重の長子武田信守がこれを再建して、六角山成就院と改称して臨済宗に改め父信重の位牌寺とした。
永禄年間(1550年頃)、武田信玄が岩窪にこれを移して瑞岩山円光院と改称したので、旧境内は放置されていたが慶長年間(1610年頃)、僧心誉円通が旧境内地に寺院を再建して六角山成就院を復興し、宗旨を浄土宗に改めた。円通が再興したので円通院とも称した。
寺宝に成就院系図と呼ばれる武田氏系図一巻、平岡宗寿証文一通、信重時世の和歌一首などがある。境内には武田信重の墓があり町指定の文化財になっている。
(看板資料より)


武田信重の墓

信重は信玄の五代の祖で甲斐の守護職として嘉吉元(1441)年、この所に館を構えた。黒坂太郎と小山の城主穴山伊豆守の軍と戦い宝徳2(1450)年この地に自刃するまで小石和は支配の中心で、今なお当時をしのぶ城下町としての地名も残されている。
(石碑記載文章より)

 



2004年08月14日

六角山成就院(浄土宗)
当寺院は新羅三郎義光の孫逸見清光が久寿年間(1155年頃)に開創した真言宗の寺で清光院と称した。
応永25(1418)年、武田信元が甲斐守護職として入国以来武田伊豆千代丸、続いて武田信重の三代32年の間甲斐守護職の居館として周囲に防備を施して使用された。宝徳2(1450)年、武田信重が黒坂太郎信光と交戦中、穴山修理大夫満春に背後を衝かれ、寺はその兵火に罹って全焼し、信重も寺の附近で自刃した。
翌宝徳3(1451)年、信重の長子武田信守がこれを再建して、六角山成就院と改称して臨済宗に改め父信重の位牌寺とした。
永禄年間(1550年頃)、武田信玄が岩窪にこれを移して瑞岩山円光院と改称したので、旧境内は放置されていたが慶長年間(1610年頃)、僧心誉円通が旧境内地に寺院を再建して六角山成就院を復興し、宗旨を浄土宗に改めた。円通が再興したので円通院とも称した。
寺宝に成就院系図と呼ばれる武田氏系図一巻、平岡宗寿証文一通、信重時世の和歌一首などがある。境内には武田信重の墓があり町指定の文化財になっている。
(看板資料より)

武田信重の墓


清光寺
義清神社
円光院
谷戸城

 

 
←前のページへ トップページ↑ 次のページへ→