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静岡県静岡市

久能山城

2001年10月08日

久能山には16時30近くになって到着。麓の案内板にはニの門が閉まるのが16時と書いてあり既に時間オーバー。ちょうど階段を下りてきたおっちゃん連中に聞いてみましたが二の門がどれなのかは不明でしたが、とりあえず千段の階段を登ることにしました。
一の門は無事開いていたので更に進み、勘介井戸を通過して東照宮の入口で聞いたら、もう少し先まで入っても良いとのことだったので更に進みましたが、一番奥の神廟を見ることはできませんでした。
一の門から望む駿河湾は絶景でした。勘介井戸では100円払ってのぞいてみましたが井戸の内部がちゃんと明るく照らされて中の様子を確認することができました。


永禄11年12月武田信玄は当山が要害の地であることを知って寺院を清水北矢部に移し城砦を築いて久能山城と称した。天正10年武田氏が滅亡したので徳川の有となった。山上の勘介井戸、愛宕の曲輪等は当時を物語るものである。
徳川家康公は生前、久能山城を駿府要害の地なりとして重要視し且つ風光を愛さられた。元和2年4月17日家康公が駿府城に没するとき遺言により、この地に葬られ2代将軍秀忠公は壮麗な権現造りの社殿を造営された。これが現在の東照宮で13棟が重要文化財に指定されている。
(看板資料より)


勘介井戸

この井戸は、戦国時代に山本勘介が掘ったといわれ今から約400年前の久能山城を語る貴重な文化財である。深さ33m石垣積で今回蓋を作り保存につとめると共に照明装置を施し、内部がよく見られるようにした。
(看板資料より)


門衛所

江戸時代久能山の門を守る与力がいた番所で、ここで登拝者を制限した。今回老朽化のため復元解体修理を施し保存したもので、この種の建物は全国でも少なく貴重なものである。
(看板資料より)


一の門

元和3年の建立といわれ当初は櫓門であったが明治17年9月に暴風で倒壊し後に平門に改め現在に至っている。古くは久能山の総門であった。
(看板資料より)


階段を登る前は千段という段数に登ることを躊躇してしまいましたが登ってみたらそんなにたいしたことはありませんでした。皆さんもロープウェイではなく階段を登りましょう。
その後慎之介殿と分かれて清水インターから東名高速に乗って帰ってきましたが途中で飲んだカフェイン入りのドリンク剤のおかげで居眠り運転をすることなく20時前には帰ってくることができました。

 

 
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