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山梨県甲斐市

泣石

2014年07月20日

下今井字鳴石のJR中央線と県道との間にあり、現在地より約100m南東にあった。高さ約3.8m、巾約2.7m、奥行約3.7mで中央部から水が流れ出ていたが、鉄道の開通により水脈が断たれてしまった。
天正10(1582)年3月2日、高遠城が落城すると武田勝頼一行は完成したばかりの新府韮崎城に自ら火を放ち、岩殿城に向けて落ちのびて行った。その途中、勝頼夫人はこの地で燃える新府韮崎城を振り返り涙を流したという言伝えがある。
(看板資料より)

 



2004年12月30日

下今井字鳴石のJR中央線と県道との間にあり、現在地より約100m南東にあった。高さ約3.8m、巾約2.7m、奥行約3.7mで中央部から水が流れ出ていたが、鉄道の開通により水脈が断たれてしまった。
天正10(1582)年3月2日、高遠城が落城すると武田勝頼一行は完成したばかりの新府韮崎城に自ら火を放ち、岩殿城に向けて落ちのびて行った。その途中、勝頼夫人はこの地で燃える新府韮崎城を振り返り涙を流したという言伝えがある。
(看板資料より)

国道20号線を韮崎から甲斐市(旧双葉町)の黄梅院に向う途中、車道の左側に大きな石があって看板があったので本能的に車を止めて看板を見に行ったらなんと武田勝頼にかかわるものだったのです。看板を読むと、武田勝頼が新府城から落延びる際に夫人が振り向いて、燃える新府城を見て涙を流したという話でした。似たような話は回看塚涙の森にもありますが、こんなところでもまた見つけてしまいました。
看板の説明の中で「中央部から水が流れ出ていたが、鉄道の開通により水脈が断たれてしまった」という説明が何を意味するのかはよく分かりませんでした。

 


回看塚
涙の森

 

 
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