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長野県佐久市

自成寺

2007年10月07日

余地峠は長野県と群馬県の間にある峠ですが、現代の余地峠は道路は長野県側にしかないので途中で行き止まりになってしまうとのことです。残念ながらまだ私は余地峠に行ったことがないので現代の余地峠の様子は分かりません。しかし戦国時代、武田軍は上州に出陣する際に実はこの余地峠をよく利用していたらしいのです。そして、その余地峠に向かう途中にあるこの自成寺には武田信玄の陣鐘があるとのことで今回立ち寄ってみました。山門には立派な仁王様が立っていました。山門を通過した後も長い階段を登りました。大きな木もあり歴史を感じさせられました。大きな本堂に圧倒されました。いつも思うのですがこんな山奥ですがお寺というのはすごいですね。陣鐘について聞きたかったのですが誰もいないようだったのであちこち歩き回っているうちに大きな鐘楼を見つけました。きっと武田信玄の陣鐘はこれに違いない!と思って写真を撮りました。そろそろ帰ろうと思っていたら本道の奥で作業している人を発見したので武田信玄の陣鐘について聞いてみました。するとその陣鐘は建物の中にあるとのことでしたので無理を言って見せてもらうことにしました。本堂の中に入れていただき本堂の右隣の部屋に案内されました。するとそこに思ったより小さな鐘があり、それが武田信玄の陣鐘とのことでした。許可をもらってから写真を撮らせてもらいました。またこのお寺は穴原の内藤氏の菩提寺であるというお話や、武田氏に関係のある位牌もあるというお話も聞かせてもらいました。しかし今日はあいにく住職がご不在とのことで詳しいお話を聞くことはできませんでした。

自成寺の山門

町指定文化財 自成寺の山門・武田信玄の陣鐘
自成寺は、永正3(1506)年、俊庵麟英和尚が、余地の郷士、友野自成と村人の願により開山したと伝えられる。この山門は、江戸時代の元禄11(1698)年に建立されたものである。棟梁は、西上州甘楽郡本宿村の東間庄兵衛正忠であった。切妻千鳥破風の造りで、現在、鉄板葺きの屋根は元来、茅葺きであった。
12本の柱に支えられた2階の正面には祠堂があり、中央に観音菩薩像、左右に十六羅漢が安置されている。門の左右にある仁王像は、昭和60年に作られたものである。
陣鐘とは、陣中で軍勢の進軍や退却の合図のために鳴らす半鐘のことである。自成寺所蔵の陣鐘は、明応8(1499)年10月に、河内の住人、界円下行宗という者が作ったと彫られている。鐘の上部には、兜、旗、采配、下部には菊の花と葉の模様が配されている。
余地峠は、甲州から信州にやってきた武田勢が上州西部に兵を進める際の重要なルートであった。この陣鐘は、武田信玄が永禄4(1561)年11月、西上野に進軍するにあたって、自成寺で戦勝祈願をした際に寄進したものと伝えられている。
(看板資料より)

武田信玄の陣鐘

 
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