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静岡県富士市

善得寺

2014年01月18日

史跡善得寺跡
本寺は、貞治2(1363)年、大勲策禅師が上杉憲顕の援助によって開山した寺で、戦国期には河東第一の伽藍を誇り、善得寺城をも併設したといわれ、天文年間に今川、武田、北条氏の駿河東部を中心とした抗争の中、太原雪斎の斡旋で成立した「駿甲相三国同盟」の舞台になった所だと伝える。
(石碑記載文章より)


三国同盟の庭

戦国時代(1554年)今川家・武田家・北条家がこの善得寺で会合し、「駿甲相三国同盟」と云う和平協定を結びました。その三国にちなんで向って左側より、駿河・甲斐・相模と各地の石を配しています。
(看板資料より)

 



2008年03月22日

善得寺公園には以前にも来たことがありましたが、その後ここには太原雪斎の墓があるとのことでしたので確認するべく今回立ち寄りました。以前来たときは三同盟の庭のところにある看板の文字は読めなくなっていましたが、今回はちゃんと読めるようになっていました。去年の大河ドラマのおかげかもしれませんね。しかし肝心の太原雪斎の墓がどれなのかは結局分かりませんでした。

 



2004年12月19日

史跡 善得寺跡
本寺は貞治2(1363)年、下野国那須(栃木県羽黒町)雲巖寺の大勲策禅師が開山した寺で、戦国期には駿河国東部でも第一の寺となり、善得寺城も併設したといわれます。
また、天文年間の今川義元・武田信玄・北条氏康の駿河国東部を中心とした抗争のなか、今川義元の軍師といわれるとともに善得寺の住持であった太原雪斎の斡旋で成立した「駿甲相三国同盟」の舞台になったところだと伝えています。しかし、永禄12(1569)年2月、武田信玄の駿河侵攻にともない寺院はことごとく焼かれてしまいました。
ここには、明治初年まで再建された善得寺の小堂宇が残っていたところで、富士市指定文化財の大勲策禅師、太原雪斎をはじめとする善得寺歴代の住持などの墓が残っています。
(看板資料より)


公園の中には、石が置いてある所があり看板も立っていましたが何と書いてあるのか正確には分かりませんでした。要するに三国同盟を締結した、甲斐、駿河、相模のそれぞれの石が置いてあるのだそうです。


善得寺歴代の住持の墓

 
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