(第2章)13日の金曜日

 

    私は、ドアを開け、中に,はいるなり私を見て、マスターが言った。

    「あれ!どうしたの?今夜は・・・。」

     私は、その言葉に、我にかえり、そして、ことの重大さに気がついた。

    「そうだ!今日は金曜日だったのだ。」とこころの中でつぶやいた。

     私は、仕事があるないに関わらず、来られる日は毎日のように この店に通っている。

     ただし、この金曜日を除いては。

     普通は、「花の金曜日」一週間で一番うれしい日。でも私にとっては・・。

     なぜ金曜日を拒むのかは、人から見ればきっとくだらない理由かと思われるかもしれない。

     でも、私にとっては、それは大事なことだった。

     その理由とは、とにかく金曜日にはいろいろなことが起こる。それがいいほう傾けばいいのだが

     それは子供の頃から必ずといっていいほど悪い形で起こる。

     小学生の時、遠足の当日におなかを壊し、参加できなかったのも金曜日、

     中学時代、好きな子に告白して振られたのも金曜日。

     高校時代、部活の県大会の前日に怪我をしたのも金曜日。

     そして、大学の第一志望校の受験日も金曜日なら不合格通知も金曜日に届いた。

     追突事故にあったり 財布をなくしたのも金曜日・・・とあげればきりがないくらいに・・。

     私はとにかく金曜日とは相性が悪いのだ。私は、自己暗示にかかりやすいのでいつからだろうか

     金曜日にはできるだけ何もせずじっとしていようと思ったのは。

    「そうか。金曜日かどうりで、いろいろあるかと思ったよ。しかも今日よりによって13日だよ。

     まさに、13日の金曜日!最悪・・・。」

     私は、マスターを見やりため息をついた。

    「まぁー、人生 生きていたらいろいろあるしね。あんまり考えないほうがいいとと思うよ。

     せっかく来てくれたのだからゆっくりしていってね。」

    「それから、いつものでいいかな?」

      私をいつもの席に誘導するようなやさしい眼差しを席のほうに向けた。

     そして、私は、カウンターの一番はじのいつもの席に腰を下ろした。

     この店の食事は、正直言っておいしい。それは、魔の金曜日も行こうかと悩むほどに。

     そして、マスターが作るカクテルもまた格別である。私が思う、いいBARの条件というのは、

     外界との閉ざされた空間をもち、お酒と料理がうまく、またオーナーがお客さんの気持ちが分かり

     しゃべりたいときに話かけてくれて、そっとして欲しいときに感じとってそっとしてくれる。

     そして、心地よいメロディーが流れているようなところだと思っている。

     この店は、ほとんどクリアしていると思うのだが、相変わらずお客さんは少ない。

     正直よくこれでやっていけるのかなとたまに思うこともある。

    「太陽君。いつものでいいかな?」

    私が、しばし、ぼぉーっとしていると改めてマスターが聞きなおした。

    「あっ!すいません。でも、今日は、いろいろあって疲れたので、少し酔いたい気分です。

     ドライマティーニをまず一杯お願いします。」

    マスターは、うなずきカクテルを作り始めた。

    ドライマティーニとはジン・ベルモット(白ワインに糖分やニガヨモギなどを入れたもの)を

    ステアするだけの辛口のショートドリンクのお酒であり、バーテンダーの真価が問われるカクテルでもある。

    また、カクテルの中では、熱狂的なファンを持つカクテルの代名詞的な存在で、

   「老人と海」でお馴染みな文豪ヘミングウェイは、15対1の超ドライを好み、

    イギリスのチャーチル首相は、ベルモットのボトルを眺めながらドライ・ジンを

    飲んだという逸話まである。

    私は、そんなことを再びぼぉーっと考えながらマスターの見事な手さばきに魅了されていた。

     ミキシンググラスに入れた氷とジン・ベルモットがまた絶妙にバー・スプーンによって ステアされていく。

    ステアというのは、かき混ぜるという意味を持つが同時に、材料を冷やす目的もある。

    その冷やし加減もバーテンダーの真価が問われるものである。

    その華麗な手さばきを見ているとまるでグラス中で氷がスイングしながら踊っているようにも見える。

   「さぁー。どうぞ!」マスターがゆっくりとグラスを差し出した。

     私は、グラスに口をつけた。そして、体全体が清涼感につつまれた。

    「いつ飲んでもおいしいですね。まるで口の中で風が駆け抜けていくよう感じです。」

     それは、言葉で表現するのが難しいくらいで、まさに芸術品と呼ぶにふさわしいものであった。

     そして、私も学生の頃、バイトでカクテルを作っていたがついにマスターすることが出来なかった  カクテルでもある。

     私は、この芸術品に対し、すぐに飲んでしまうのがもったいないような気もするが、

     ショートドリンクは、時間が勝負のカクテルなので「ぐぃっと」飲みほした。

     それは、すべていやなことを洗いながしてくれる魔法の飲み物であった。

    「次は、何にないさいましょうか?」笑みを浮かべながらオーナーは言った。

    となりに座っている黒猫を見ながら 「そうですね。次は、あれをお願いします。」

    そう、「ギムレット」である。こちらもドライ・ジンをライムで割ったシンプルなカクテルである。

     ちなみに、レイモンド・チャンドラーの小説では、「やわらかさと甘さと鋭さが一緒になったような味  と紹介されている。

     マスターは、再びうなずき、ギムレットを作りはじめた。

    そして、私は、黒猫のギムレットを見やった。  

     それにしても、相変わらず目が合うとドキッとしてしまう。

     何か心を見透かされている感じがするし、まるで、超能力でもあるかのようだ。

     彼を見ていると古くからエジプトでは、猫は、神様として扱われていたのもうなずける。

   「ねぇーマスター。ひとつ前から思っていたことがあるのだけど、聞いていいですか?」

     マスターがやさしい表情でうなづいた。

   「私が、この店に、初めて来た時のこと覚えていますか?そう、このギムレットを追いかけて来た夜のことを。」

     マスターは、手を休めることなく、静かに答えた。

    「よく覚えているよ。ちょうどあの日も確かこんな感じだったかな。 いきなり大雨が振り出してきて、

     そして、私が、雨があがったか確認をしようと思ってドアを開けると黒い猫が入ってきて、そして

     ずぶ濡れの君が立っていた。」

   「そうですね。ちょうどこんな感じの夜でした。」

     それは、私が、福岡から東京の本社に戻ってきた翌日のことだった。    あるイギリスのベストセラー作家の本の

     新作発表会があり上司とそれに参加することになった。

     その発表会とは、その作家の書いた、確かこんな話だったと思うが・・。

    いたずらをした天使が、神様の逆鱗にふれ黒猫にされ人間界に送られ、そこで、

    人々を 幸せにすれば天界にもどれるといった話だった。

   その中で、黒猫は、夢を捨てた王子様と夢をあきらめたお姫様との恋を授受させるために活躍する。

    そして、もちろん最後はハッピーエンドで、王子様とお姫様は結ばれ、

    その国は平和が訪れ人々は幸せな暮らしを手にいれ、

    黒猫も神から許され天使に戻れたという、

    それはいかにも「シンデレラ」や「美女と野獣」といったディズニー映画にでもありそうなストーリだった。

    そして、物語の内容は、ともかく、その会は、その本の版権争奪戦でもあった。

    そして、その後のレセプションでは、その版権を手に入れるため各出版社が、

    こぞって その作家に取り入ろうとするごますり合戦が始まった。

    そんな中、版権を手に入れるため、私の上司が考えたのがモチーフになった黒い猫に

    似た猫をプレゼントしようということであった。

    今、考えればおかしな話だが、その頃は、必死だった。

    私は、上司命令で、黒猫を探してくるように言われた。「天使に見える黒猫。」という特別な注文を受けて。   

    実際、そんな黒猫など見つかるはずがなかった。そもそも天使なんかみたことなかったし・・。

    そして、何件もペットショップを回った。

     無論、黒猫はいるのだが、私のイメージする天使とは程遠かった。

     歩き疲れ、私は、近くにあった公園のベンチに腰をかけた。

     会場に行けるわけもなく、下を向きため息をつきそして、あきらめようと顔を上げると、

     このギムレットが目の前に座っていた。

     そして、それは、まさにすべてをお見通しといった風に私を見やっていた。

    「神様って本当にいるのだ!」と天 に向かって感謝をした。そして、

     私は、夢中で捕まえようとした。首輪もはめていなかったので、捨て猫だとかってに解釈した。

     だが、その黒猫は逃げるどころか、私に近寄ってきた。

     そして、私が抱きかかえると、逃げるでもなく、おとなしくしていた。

     ちょうど、レセプションの時間も始まっていたので急いで、タクシーに乗り、会場へ向かった。

     上司もこの黒猫を見るやイメージ通りだったのだろうか!大喜びをし、

     レセプションの中心にいるベストセラー作家のもとへ向かった。

    だがそこで、悲劇が起こった。

     上司が、説明をし、まさに黒猫を作家に渡す直前、急にこの黒猫が騒ぎ出したのである。

     テーブルの上の皿を落とし、ワイングラスを倒し、作家の顔にひっかき傷を与えて逃げまわった。

     当然、会場は、大混乱。 

     作家は、気を悪くしてしまいホテルへ帰ってしまった。 

     各出版社から、怒られ散々な一日だった。当然、版権は手に入れられなかった。 

     上司も私のせいにして、これもまたこっぴどく叱られた。

     途方にくれた私は、黒猫を抱いたまま元の公園に返しに行こうと思い歩いていると

     道に迷ってしまった。そうこうしているうちに急に雨が降り出し、雨宿りの場所を探そうといたところ、

     抱いていた黒猫が、私の手からすり抜けて逃げていった。

     なぜだろう。普通なら捨て猫なので、後を追ったりしないのだが何故か追わなければならない気がした。

     そして、その黒猫は、一軒の店の前で立ち止まった。

      それがこの店「The Long Good Bye」であった。

     そして、その時、偶然にドアが開き、黒猫は、中へ入っていった。 

     するとドア越しにマスターが立っていた。 

     そして、その黒猫は、何事もなかったように、そしてあたかもここが自分の指定席だと 

     言わんばかりにこのカウンターのこの場所にしゃがりこんだ。そう、今と同じように。 

    「そうだったね。あの時のことは、今でもよく覚えているよ。」 

    「ずぶ濡れの君が、私に聞いてきたね。この黒猫の飼い主はあなたですかってね。」 

    「そして、私が違うよ。」って言ったらたら少しほっとしたような表情をして「よかった。」と。 

    「いゃー。すごい気品ある猫だったのでもし盗んだと思われたらやだなと思ったんで。」

   私は、当時を思い出しながら言った。 

    「そうだね。こんなに気品があり威風堂々としている猫はお目にかかったことがないね。」 

    「それで、もし、よかったらこの猫を私に譲ってくれないかな?このカウンターがいたく 

     気に入っているみたいだしね。」 マスターは言った。 

  「いや。私の猫ではないので。なんとも・・・。」

  「いいんだよ。本当の持ち主がいるかどうかもわからないし、第一、今、現在 、連れてきたのは君  

   なんだからね。それにもし、本人が帰りたければきっとかってに帰るだろうし」  

   私は、しばらく考えてみた。確かに言われてみればそうかもしれない。

   少なくても彼は自分の意思でここまで来て、そしてカウンターの上に座っている。 

   「わかりました。よろしくお願いしますというのも変ですがお願いします。」私は言った。 

   「彼は、言葉を理解しているのか尻尾を振り、うれしそうな表情を浮かべこちらを見やった。

   「店を始めてまだ、すぐなので、めずらしい住人は大歓迎だよ。」

    いまと同じやさしい口調でマスターは言った。 

   そして、この黒猫は、その日以来この店の住人となった。 

   そして、それ以来、私もこの店の常連となった。 

     もっともこの話には、後でおまけがついていて、あのベストセラー作家が書いた本は 

     他人の盗作だと分かり、騒ぎになり、日本の発行物は、回収騒ぎとなった。 

     今思えば本当に被害にあわずに良かったと思っている。 

     本当に、人生なんてわからないものである。

     そして、それから、しばらくマスターとの昔話に花が咲き、今日の疲れを吹き飛ばしてくれた。 

    しかし、次の瞬間、静寂を破るかのように、店のドアが開いた。

     そこには、雨に濡れた白いコートを着た女性が立っていた。