(第4章)シングルボーイ・シングルガール
「沈黙は、金なり」という古い有名なことわざがある。この言葉は、言いえて妙であるが
しかしこの時、この場合にはあたらない。このような事態になったのは、時計を1時間ほど
前に戻す必要がある。
僕らが、話している最中、突然、ギムレットがカウンターの上からすくっと立ち上がり
そして、飛び降りドアの方へ歩いていき,急にドアを引っかき始めた。それもすごい勢いで。
「おい!ギムレットどうした?」マスターがギムレットの方へ向かった。
そして、マスターがギムレットを抱きかかえようとすると、必要に嫌がり、マスターの
腕からするっと飛び降りるとまた、ドアを引っかきだした。
「おい!ギムレットどうした?外へ出たいのか?雨がまだ降ってるぞ。」
マスターがやさしい口調で言うと、まるで、人間の声でも理解しているかのように、 ギムレットが声をあげた。
「仕方ないな。それ・・・。」マスターがドアを開けると、ギムレットが勢いよく飛び出して行った。
「ちょっと?マーシーいいの?ギムレット行っちゃったよ。」彼女は、驚きの表情でマスターに言った。
私も正直びっくりした。ここに通って2年近くいつもここに座り酔っ払い達の戯言に耳を傾けて
ほとんど動くことのなかったギムレットが急に騒ぎ始めたことに。
もっとも、例の出版パーティでは見ているのだが・・・。
「マーシー!ちょっと探しにいったほうがいいんじゃないの?」
「どうしたんだろう。こんなことは初めてだね。」マスターは困った表情で僕らを見やった。
「店は、僕らが留守番していますから、探してきてください。なんか心配だし。店の方は、
今日は、こんなに天気だからお客さんは来ないと思うし・・。それに、昔、バーテンのバイトを
していたので、カクテルならなんとか作れますので。もし、誰かくれば代わりにやっておきますよ。」
私は、彼女に合わせてついつい 軽はずみにも言ってしまった。
「そうかい。じゃーお願いしようかな?残念ながらこの天気では、お客さんは来そうにないし。ちょっと
心配なんで、少し近所を探してくるよ。」マスターは、すまなそうに僕らに言った。
「わかりました。任せておいて。もし、お客さんが来たら、私もウェイトレスしてあげるわ。」
マスターは、軽く頭を下げ、傘と上着を持ち、そして、店を出て行った。
私は、とりあえずネクタイをはずし、神聖なカウンターに入った。
「行っちゃったね。頼むわよ。マーシー代行さん。」彼女は、冷やかすような表情を浮かべ私に言った。
「はい。はい」私は言いながら後悔していた。
いくら昔、バイトでやっていたからといって、そう簡単にできるものではない。
オーナーが作る味を作るのは不可能にちかい。私は、只々お客さんが来ないことを祈った。
「ねぇ!マーシー代行さん。何かカクテルを作ってくれる?」
彼女は、私に悪戯な笑みを浮かべオーダーしてきた。
とにかく、作れるカクテルから作るしかなかったので、「サイドカー」を作った。
このカクテルの由来は、ドイツ軍に追われたフランス将校が逃げる途中、景気付けのため、
あり合わせの酒とレモンを混ぜて飲んだのが始まりらしい。
中身はというと、ブランデーが1/3コアントローが1/3そしてレモンジュースが1/3の割合で作られる。
とにかく、フランス将校ではないが自分を景気付ける意味でも作ってみた。
「はい。お客様どうぞ。お召し上がりを」私は、マーシーの口調を真似て言った。
彼女は、まず一口、口をつけそしてさらにもう一口飲んでから私に言った。
「まぁー素人だったら合格の80点かな。マーシーと比べたら20点くらいだけどね。」
「マーシーと比較するのが、間違っているよ。あっちはいわば名人。でも、とりあえず
いい意味で解釈して、褒めてもらったと素直に喜んでおくよ。」
「うん!」彼女も素直にうなずいてくれた。
「でも、これならお客さん来ても大丈夫じゃないの?」
「所詮こっちは、素人。あぁー神様。早くマーシーが帰ってきますように・・。」
私はことさら大袈裟に言ってみせた。
こんなたわいもない話をしながらいくばくかの時間が過ぎていった。
しかし、突然店のドアが開いた。そして、そこには、年の離れた男と女が立っていた。