トルコ最後の観光。私が一番行きたかったアヤソフィア。 |
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1616年にアフメト1世が建設させたモスク。アヤソフィアの南隣、アト・メイダヌの東隣に位置し、一帯の地名、スルタンアフメトの由来となっている。 6本のミナレットと直径27.5mの大ドームをもち、数万枚のイズニク製タイルによって青く輝くことから「ブルー・モスク」の通称で広く知られている。 |
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スルタンアフメト地区の地下に広がるローマ時代の貯水池。 コリント式の円柱で支えられた広大な地下空間で、 ヴァレンス水道橋を通じて市街のはるか西の郊外の水源地から 引かれた水がたくわえられた。円柱の基部として、 ビュザンティオン時代のものと思われるメデューサの巨像の 頭部が使われていることでも有名である。 |
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ここの地下宮殿は、なんとも趣十分です。しかし、大変混雑しているためなかなか撮影は厳しいですね。 |
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360年建設、537年再建のキリスト教の大聖堂。15世紀からのオスマン帝国時代にはモスクに転用され、20世紀に無宗教の博物館に変えられた。 再建時以来の直径31mの大ドームとモザイク画、モスク時代に付け加えられた4本のミナレットをはじめとするモスクとしての装飾が残る。 |
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【聖母子と大天使】 |
【聖母子と12世紀の皇帝ヨハネス2世コムネノス夫妻】 |
【ディシス】 |
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キ リスト教の大本山として君臨しながらも、後にイスラム寺院に姿を変えた建物。 この建物は、新世界7不思議に選ばれており、 私がイスタンブールへ来て一番見たかった建物でした。 時間は40分くらいしかなかったのがなんとも残念でしたが、 モザイク画を見れたのは大変よかったです。 |
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メフメト2世が、1460年代頃造営を開始し、1478年頃までに完成した。メフメト2世がここに居を定めてからは、1453年にコンスタンティノープルを征服して以来の宮殿が 「旧宮殿」と呼ばれるようになったのに対して「新宮殿」(サライ・ジェディードあるいはイェニ・サライ)と呼ばれ、 またイスタンブルに営まれた多くの宮殿のうちの正宮殿として「帝王の宮殿」(サライ・ヒュマーユーン)とも呼ばれた。現在使われているトプカプ宮殿の名は、 19世紀にこの宮殿から皇帝が去った後、トプカプ宮殿の丘がある岬の先端にある「大砲の門」(トルコ語:トプカプ)にちなんで呼ばれるようになった。 宮殿は君主の住居であると同時に、オスマン帝国の行政の中心地として機能した。君主(のちには大宰相)が主催するオスマン帝国の 最高意思決定機関である御前会議(ディーワーヌ・ヒュマーユーン)は、宮殿の「ドームの間」(クッベ・アルトゥ)と呼ばれる部屋で開かれ、 古い時代にはさらに「ドームの間」の隣には中央政府の書記局と、帝国の公文書や宝物・税金を蓄える国庫が置かれた |
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ガラタ橋名物サバサンド 味はというと、塩サバにレタス・玉ねぎをはさみ、レモンソースをかけた味です。 それ以上でもそれ以外でもありません。 欠点は、鯖の骨が抜いておらず食べづらいことです。 |
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イスタンブール最後の夜は、イスタンブールの5つ星ホテル コンラッドイスタンブールです。 部屋も大変広く快適でした。 しかし、滞在時間が短くなんとも残念。 |
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約8日間のトルコの旅。天候にも恵まれ最高の日々でした。 やはり、旅はいい。本当に。 さて、次の旅はいずこへ |
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