アーヤンの置き引きから発展した、人探し。
とりあえず、ミレニア、シルン、ターヴィ、アーヤンの4人は、
サーザン=セレナの住むという村、ラセンを目指すことにした。
しかし、その道中に待ち受けるものの存在など、4人は知る
よしもなかった――――…。


せるふぃっしゅ道中記 第1章 集いし仲間
2.

つん、と潮の香りが鼻を突く。波間を分けて船はユプシロンのモネル港から、オミクロンのキリマ港へと進んでいた。
限りなく広がる海と、遥かに広がる水平線。幾度見ても壮大な光景だとシルンは感動を覚えた。
「あの時は、海を美しいなんて感じる余裕はなかったけど…」
三年前―シルンは故郷で起こした事件のため、最愛の人を失い尊敬する人を己の手で殺めて追われる身となった。
故郷も大切な妹も、全てを捨てる覚悟でシルンはユプシロン行きの船に飛び乗った。
あの頃はまだ、瞳に映る景色は全て色を失っていて、全てを包むような広大な海も決して自分を許してはくれないように思えたけれど。
「今度は、人探し―――か」
海は、この船は、サーザン=セレナという、親を失った子のもとへ自分たちを導いてくれるのだろうか。
シルンがそんな風に感傷に浸っていると、隣でターヴィがものすごい奇声をあげた。
「ぅおおおおおえええぇぇぇぇぇぇっ」
「!?」
見れば、いつもはやや知性に欠けるものの自信に満ち溢れた表情を浮かべているターヴィが、今は見る影もなく青ざめていた。美しさを自称するこのナルシスト少年も船酔いには勝てなかったようだ。
「お、お…おおおぇぇっっ!!……ぜぃ、ぜぃ…。……ううぅ…」
「ターヴィ、だいじょーぶ…?しっかりしてよう!!」
「ぎゃー、ちょっとあんたこっち来んじゃないわよ!!」
ふらふらと足取りもおぼつかないターヴィの顔面を、ミレニアは容赦なく足蹴にする。
「おえっぷ………っっ!!」
「ぎゃ―っ!!何吐いてんのよっ!!しかも、この私のビューティフル・ドレスにかけたわね!!」
「ターヴィ、ターヴィ、しっかりしてよぅ!!」
当たり前の反応としてターヴィを心配するアーヤンはともかく…と、シルンは溜息を吐き、無駄とは知りつつ口を開いた。
「ミレニア…本人は苦しんでるんだ…。もうちょっと労わってやれよ」
「冗談じゃないわよっ!!なんで、この私がターヴィごときを心配しなくちゃいけないのよ!!」
「お…俺様はごときじゃ…うぇっぷ…」
「ぎゃ―――っ!!近寄るなって言ってんでしょ!!」
ミレニアが足元にあった木箱を、ずべしっ!!と容赦の欠片もなくターヴィの脳天に打ち下ろした。
「ぐごげっ!!」
さすがのターヴィも、意識が吹っ飛び沈黙する。
「ふぅ、手ぇかけさせんじゃないわよ」
「ミレニア…お前な…」
「わ〜ん、ターヴィ、しっかりしてよう!!ターヴィってばぁ!!」
アーヤンががくがくとターヴィを揺さぶるが、ターヴィは白目をむいたままだった。
「ミレニアちゃん、ひっど――いっ!!」
「冗談じゃないって言ってんでしょ。この私が、ターヴィごときを心配してやる必然性がどこにあるっていうのよ。あぁ、これがサーザン様だったら―――…

(以下、ミレニアの妄想)
  「うっ」
  「きゃあサーザン様、しっかりして下さい!このミレニアがついてますわっ!!ほら、鬼太郎袋もここに!!」
  「はっはっはっ!こぉいつぅ、気が利くなぁ」
  「ああん、嫌ですわ、サーザン様ったら」
  「うげっ!!」
  「ああっ、サーザン様、しっかり!! まぁ、…サーザン様昼食はトマトでらしたのね」
  「いや、それはニンジンさ…」

   …―――ふふ…ふふふ…」

「ミレニアちゃん…こわーい…」
「アーヤン目を合わせるな」
一人笑い続けるミレニアから、当然の行動としてシルンは眼を逸らした。こういう時は他人のフリに限る。と、その時。
「何だあれは!!」
「人か…?人が、海の上に!?」
 不意に甲板が騒がしくなった。船の乗組員たちがざわめき、船の欄干に集まりだす人のバタバタという足音が低く響く。
「人…?」
人が海の上に立つこと自体は在り得ないことではない。魔法力のある人間ならば、長時間空中を浮遊するような魔法も操る事が出来るだろう。
しかしそんな事を実行する人間はまずいない。必然性がないからだ。
(曲芸師か、それとも頭のおかしい奴か…)
人並みの好奇心が頭をもたげて、シルンは人々の間からその『海の上に立つ人』とやらを覗いた。
「…?」
はるか遠くに浮かぶ人影。黒い長い髪と、赤い民族衣装のような不思議な服を身に纏っていた。
こちらにじっと視線を向けている。人、といえば人の女にも見えるが…、それは―――。
「人、じゃない」
それは人間族ではなかった。黒い髪から生える捻じ曲がった角や、衣装の裾から伸びる青銀の長い尾。その、独特の姿は…。
「竜族だ!!」
その叫び声に、甲板が騒然となる。
竜族とはかつて三大陸の覇権争いに敗れた種族である。その身体能力・戦闘能力においてははるかに他種族を凌ぐのだが、その圧倒的な能力のために地上で本来の姿をとることは禁じられていた。掟を破り本性を現したが最後、神の裁きによりその身を滅ぼされると言われている。そのため、純血の竜族は三大陸で暮らすために、その姿を常に戦闘力の劣る人型へと変えているのである。捻じ曲がった角と長い尾、そして鱗に覆われた耳は人型竜族の特徴ともいえた。
それはさておき、純血の竜族ほどあまり人間に対して良い感情を持っていないものである。
こんな形で竜族と遭遇するということは、即ち己の身の危険を意味する――!
「……世界に広がる蒼き海よ、生命の源たる水の流れよ…」
淀みなく詠唱の言葉が紡がれる。詠唱によって神に力を乞い、呪文によって眷属の精霊に命ずることで魔法は発動する。
魔力を持つものであれば、集まりだす精霊たちの動きや強大な魔力の存在を感じる事が出来ただろう。
「魔法だ!!」
「竜族の、魔法!!」
それは、竜族の扱う魔法の中でも、もっとも厄介な「海」の魔法の詠唱だった。
八神には属さない海の女神レィシィーアは海の底から供を得ようといつでも手を伸ばしているのだという。
この状況でのこの魔法―竜族の女はこの船を沈めようとしている!
「アーヤン、魔法だ!雷の魔法を打て!!」
「え、えぇっ!?」
突然の展開にアーヤンは事態を把握しきれていない。大きな瞳が戸惑いの色に揺れていた。
「何でもいいから、早く打てる魔法を!死ぬぞ!!」
そんなアーヤンをシルンは一喝した。一般人やミレニアたちと比べても、シルンは潜って来た修羅場の数が半端ではない。
命がけの事態に適切な判断を下す決断力には優れていた。
緊急な事態には強い海の男たちも、それに習って次々と詠唱をはじめた。
相手が竜族であることを考えれば最も有効なのは雷神ルンザラスの『雷』の魔法である。
使える者は雷の魔法を、その力を持たない者は他の魔法を。
『海』の魔法を海上で使われては、直接的に防ぐ手段はない。
自分たちを守る最も有効な手立ては、こちらも攻撃魔法を使い、その力を相殺させることだ。
「伏せろ!!」
シルンが船上の人々に向けて叫んだ。その声に従って、魔法を打てない人々は甲板に張り付くように身を沈めた。
シルンもその衝撃に耐えられるように、剣を抜き甲板に突き立てると姿勢を低くした。それから、ふと後を振り返る。
「……!!ミレニア!!」
ミレニア=ケイトはこの緊急事態にも関わらず、まだ妄想の世界に浸っていた。今から走り寄っても間に合わない――!!
「何呆けた顔晒してんだ!見れない顔がますます見れなくなるぞ!!」
「……な、何ですってぇ!!」
期待通り激昂しつつも我に返ったミレニアにシルンが叫んだ。
「身を、伏せろ!!」

「雷の矢!!」
「炎の槍!!」
「氷の刃!!」
「の船を沈めよ!!…ミール・レィシィーア!!」

次の瞬間、敵である女竜の魔法と、応戦した船上の者たちの魔法とが炸裂し―――凄まじい衝撃が襲った。
「きゃあぁぁぁぁっ!!」
「うわああああっ!!」
「っ…」
激しい船の揺れに投げ出されないようにと踏ん張りながら、シルンは冷静に戦局を読んだ。
女竜の魔法に従い波は恐ろしい勢いで船を飲み込もうとしていたが、次々と邪魔に入る他の眷属に、その目的を果たせないでいる。
(この魔法戦は、勝った。ならば、敵が次にすることは…)
シルンは反射的に上を見上げた。船の上空で女竜が、憎々しげな表情でこちらを見下ろしていた。
シルンの背に、戦慄が走る―――!!
「お前は何者だ…!何の目的で、俺たちを…!!」
「我が名は、ナーレーダ。我が主人の命に従い、竜の剣を回収に来た」
リュウノツルギ。その言葉に、シルンは耳を疑った。竜の剣を、回収に―――つまり、狙いは自分たちではないか…!
「おとなしく竜の剣を差し出すなら、ここは見逃してやろう。」
「……」
お前たちは何者で、何のために竜の剣を。シルンはその問いを口にすることは出来なかった。
それではこの女の攻撃対象が自分たちであることを周りにも知らしめてしまう。
この『船』という閉鎖空間で、自分たちが危険人物であることをわざわざ暴露する馬鹿などいない。
「だが、渡さぬというのであれば…このままお前たちを殺して、竜の剣を戴く」
女竜ナーレーダの瞳が剣呑な光を帯びる。明らかな敵意に満ちたそれは獲物を前にした獣の瞳だった。
「――――お前は…」
「やい、てめぇ!何しやがんだ!この俺様のビューティフル・フェイスがぼっこぼこじゃねえか!!」
がくっ、と思いっきりシルンの全身から力が抜けた。目が覚めたのはいいが、何もこの状況下でそんな台詞はないだろう。
……いや、その台詞こそがターヴィらしさであると言うべきか。
「そーだよぉ!いきなりふねをゆらすなんてひっどお―い!! あっちこっちぶつかっちゃったんだよぉっ!!!」
「てめぇ、ワケわかんねぇこと言って誤魔化そうったって、そうはいかねえからな!このターヴィー様の…うぉえっぷっ」
「きゃー、ターヴィ!!しっかりー!!!」
この非常事態にここまで緊張感のない展開を繰り広げられるとは、ある意味天晴れである。
シルンだけでなくその船に乗り合わせた誰もが、ナーレーダですら脱力した。
しかし、この事態ですら己を失わない人物が一人だけいた。
「ふん、ターヴィごときが大見栄切ろうなんて甘いのよ。役不足もいいところね」
ずずい、と意味もなく威圧的な態度でミレニアが、皆の前面に躍り出た。結い上げた銀髪を優雅に揺らし、ナーレーダを見据える。
「あんた、ナーレーダとかいったかしら。そんな『取り引き』なんて言い出すようじゃ、小物もいいところね。この、ミレニア=ケイト様の敵じゃなくってよ?」
不敵な笑みまで浮かべて嘲るミレニアの物言いに、ナーレーダの顔色が変わった。それを見てミレニアはますます機嫌を良くし、
「この私の、美しい夢をぶち壊した罪は、万死に値するわ!覚悟なさい」
「ふざけるな!誰が貴様なんぞに…!!」
シルンは呆れて何も言えなかったが、とりあえずナーレーダの気が竜の剣から離れたのは幸いだった。ぐっとナーレーダと闘い易くなる。
もっとも、まったく気にならないということはない。「竜の剣を回収に」――その言葉を真に受けるなら、シュトラル=セレナの言っていた『奴ら』とは彼女の事ではないのか。シルンは剣の柄を握る掌に力を込めた。
「貴様なんか、私の敵であるものか!」
「ふん、弱い犬ほど、良く吠えるってね!!」
対峙したまま、互いに魔法を発動させる気配。
「冷厳なる氷神ケルシアよ、凍てつけり輝き我が元に集いて…」
ミレニアは彼女が最も得意とする―――正確には、それしか扱うことの出来ない、唯一の攻撃魔法である『氷』の魔法。
「気高き炎神マミーアよ、紅蓮の炎、我が元に集いて槍となり、彼の者を刺し貫け!」
対するナーレーダは、炎神マミーアの『炎』だ。
神の力に由来する魔法には、それに応じた相性というものがある。
氷神ケルシアは、炎神マミーアに対して劣等感を抱いている――互いの魔法値がどうであろうと、相性的にはミレニアが不利!
「ミレニア!」
「……我が元に集いて、盾となり、わが身を守りたまえ…」
ミレニアもそう悟ったらしく、魔法の性質を変更させた。攻撃から、防御へと。
その変更にシルンは表情を一変させた。氷の防御魔法。それほど嫌われる魔法などこの世界には早々存在しない。
ナーレーダの魔法が一瞬早く完成した。
「炎の槍!」
無の空間から生まれた紅蓮の炎が強大な槍となって、ミレニアに襲い掛かる―――!!
「甘いわね!氷の盾!!」
ミレニアの呪文に応じて、光り輝く氷の盾が彼女の前に姿を現した。
氷の防御魔法が嫌われる理由はその性質にある。全てを包み込み消滅させる『地』や『水』の防御魔法とは異なり、その氷の美しい盾は情け容赦なく炎の槍を四方に弾き返した。
「きゃあああぁ!!」
「どぅわあああっ!!」
いきなり自分たちに向かってきた攻撃魔法に、観戦者となりきっていた人々は慌てふためいた。
何人かは炎の直撃を受けて、冗談ではすまないような怪我も負っている。
「ミレニア!」
「うるさいわね!避けない方が悪いのよ!!」
身を守る術を持つことは生きるための義務だ。
何の力も持たずただ守ってもらうことで生き延びようとする甘い人間を守る必要などどこにもない。
それがミレニアの理屈だった。生きたければ、自分自身が強くなればいい。
そうするものにこそ生き抜く権利が与えられるのだから。
「ふん、今のがあんたの全力何て言うんじゃないでしょうね、その程度で、この私に 立ち向かおうなんて百億万年早いのよっ!!」
「な…なんだとっ!!」
「こんどはこちらの番ね。思い知るがいいわ。さぁ、行くのよサラちゃん!!」
「って、何で俺が行くんだよ!?」
散々けしかけておいて、いきなり話を振られたシルンにしてみればたまったものじゃない。
「昔から、家来は主人の命令を聞くものって相場が決まってるでしょ」
「誰が主人で、誰が家来だ…」
「細かいこといちいち気にしてると禿げるわよ。ほら、行った行った」
「―お前なぁ…」
本当に戦う気がないらしく、ミレニアは聞く耳持たずである。まぁ、はなから自分で闘うつもりだったのだから仕方ない。
シルンは空からこちらを見下ろすナーレーダを見据えた。
(空中の相手に、剣での勝負って言うのもな…)
ナーレーダを宙からひきずり下ろさない限り、勝機は見出せないだろう。
シルンは船の隅っこでターヴィの背を擦っていたアーヤンを呼んだ。
「アーヤン、魔法を打てるか?」
「んー、まほうにもよるけど」
「なんでもいい、あの女の気がそらせれば」
「おっけー、わかった!」
それから、とシルンは視線を下に落とした。船上にうずくまる黒い影。
「ターヴィ、しっかりしろ」
「あぅー、俺様はもう…だめだ―――…」
うめくだけのターヴィの腕を掴んで強引に身体を引き起こすと、言い聞かせるように言った。
「駄目じゃない、駄目じゃないから、あれ、やってくれよ」
「あぁ…?」
「頼むぞ、男前」
そうとだけ言い残すと、ぱっと手を離した。これで動かなければターヴィはもう使えない。
闘うだけの準備を整えて、シルンは改めてナーレーダに視線を向けた。
確実な勝算があるわけではない。けれど生きなければ果たせない目的がある。
だから、どうしても負けるわけにはいかない。
「行くぞ、アーヤン、ターヴィ!!」
シルンは二人に合図をすると、鞘から剣を抜き放った。ナーレーダに対する宣戦布告だ。
「お前たちのような、地を這う獣に何ができる?我ら竜族のほうが、お前ら人間どもよりよほど優れた存在なのだ!それを、今ここで証明してやろう!!」
ナーレーダが左腕を高く掲げた。魔法の力が一点に集約する。ナーレーダにしても早く決着をつけたいのは同じだった。
ただでさえ浮遊にはそれに応じた魔力を消耗する。人間からは恐れられる魔力の持ち主であっても、竜族の間での『格』はけして高くない。空中浮遊を続けながらの魔法戦には、やはり限界があった。
(この一撃で決める…!)
全ては、竜族の威厳と己の存在証明のためだ。主人のため、この者たちを打ち破ってみせる!
「剛健なる雷神ルンザラスよ…天駆ける一筋の光、我が元に集いて鞭となり、愚かなる者共を薙ぎ払え!」
「…てやとなり、このおばさんにとんでけ!『ほのおのや』!!」
ナーレーダが魔法を放つより早くアーヤンの魔法が完成した。へろへろの炎の矢がナーレーダに向けて放たれる。
「こんなもの…!」
ナーレーダは、発動寸前の魔法『雷の鞭』で炎の矢もろとも薙ぎ払おうとした。その一瞬の間に。
「ぅうおりゃああああああぁぁぁぁっっっ!ターヴィ様必殺・髪のばしいいぃぃぃっ!!」
「…ん、なっ!?」
いきなり背後から襲い掛かって来たものに、ナーレーダは狼狽した。意識の乱れで魔法が霧散する。
「一体これは…!?」
腕に足に、顔に、身体中に巻きつく糸状の気味悪いもの―それが、一人の少年の髪の毛であろうなどとは、ナーレーダには思いもよらなかった。
「あぅっ!!」
避ける術もなく、ナーレーダはアーヤンのへろへろ魔法を全身で受ける羽目になった。
その衝撃に耐え切れず、ナーレーダの身体は船上へと落ちた。
「うぅっ…。く…この、虫ケラどもが!!」
全身に傷を負いながらもナーレーダは獣の目で立ち上がった。それはもう本能と呼べるものであった。
しかし、船上に降り立った彼女の前にシルンが立ち塞がる。
「同等の条件の闘いだ。覚悟しろ、ナーレーダ」
「ふん、貴様らなんぞに、誰が負けるものか!」
それが地上戦の始まりの合図だった。
シルンが剣の届く間合いまで距離を詰めようと駆け出すが、ナーレーダは距離を離そうと後進しながら最後の詠唱を始めた。
「…天駆ける一筋の光、我が元に集いて剣となり、我が敵を打 ち滅ぼせ!」
「おおぉぉぉっ!」
シルンが剣を振り上げるのと、ナーレーダの魔法の完成が、ほぼ同時!
「雷の剣!!」
バリバリと磁場が発生して、ナーレーダの掌からうねる雷が剣のようにシルンに襲い掛かる。
しかしシルンはそれを恐れずに、一気に剣を振り下ろした!!
「はぁっ!!」
雷の剣とシルンの剣が交わり、そして―――…押し負けた雷の剣が消滅し、シルンの剣がナーレーダの身体を切り裂いた。
「……アアァァッッ!!」
赤い血飛沫が跳ね、致命傷にも等しい一撃にナーレーダは悶絶した。肩で息をしながら呆然とシルンはその姿を眺めた。
己の命を守るためとはいえ、自分が一つの命を奪ったことには変わりない。
「ア…あ…こんな…こん…な、こと…あ…ノーレインさ…ま…」
死んでもおかしくないほどの血を流しながら、それでもナーレーダは立ち上がった。
「…!!」
さすがのシルンも息を呑んだ。しかしナーレーダの瞳は何も映していなかった。
ふらふらと幽鬼のような足取りで船の欄干にもたれかかると、躊躇わずに海にその身を投げた。
「おやくにたてず…もうしわけ…ありません」
すうっと、ナーレーダは身体が軽くなるのを感じた。命が果てる時が来たのだと実感した。
(ああ、還るのだ…この、海に…)
遠くなる意識の片隅で安らぎのような暖かさを感じて、ナーレーダは薄く微笑んだ。
一方、突如始まり唐突に終わった結末に、船上の人々は言葉を失ったままだった。
シルンにしてもそれは同じだった。呆然としながら、ナーレーダが沈んだ海を見下ろしていた。
「あの女竜のやつは、海に還ったのさ」
突如、横からそんな答えを寄越したのは、この船の乗組員の男だった。逞しい腕に刻まれた古傷が年季を感じさせる。
「海に…?」
「竜族っちゅう奴らは、死ぬときは決まって還る場所があるって話だ。空や、大地…大抵の奴らは海だけどな」
「還る…」
「何考えてんだかわかんねえ連中だけど、この『海』への愛は、俺たちと同じってことさ。さぁ、行くぞ!!」
乗組員の男の合図で、固まっていた人々がぱらぱらと散り始めた。止まっていた船が、ゆっくりとではあったが動き出す。
(海へ、還るか…)
ナーレーダだけではなく、ここには多くの竜が眠っているのだろう。
敵ではあったが、最後まで勇敢に闘った彼女のために―と、シルンは黙祷を捧げた。
結局、彼女の目的はわからなかった。ただ一つ彼女が残した言葉は「ノーレイン」。それがおそらくは彼女の主人であり、今回の件の黒幕の名か。
(考えたってわかるわけがない。ま、なるようになれ…かな)
この先もきっと彼女のような敵は現れるのだろう。いずれは事の顛末もわかるときが来るかも知れない。
「随分と、楽観主義になったよな…」
そんな自分の考えに思わず苦笑して、シルンは仲間たちの方を振り返った。
「やい、アーヤン!てめえ、俺の髪の毛に炎の矢ぶつけやがったな!おかげでアフロになっちまったじゃねーか!!」
「しらないよー、アーヤンのせいじゃないよっ!!」
「嘘つけこの野郎!」
ターヴィの必殺技(特殊能力と呼ぶべきか)である「髪のばし攻撃」中にアーヤンが魔法で攻撃したことがどうやらケンカの原因らしい。ターヴィは自在に髪を伸縮できるのだから、アフロなど切り落としてさっさと伸ばしてしまえば元通りになるのに、それに気付かずケンカしているところがあの二人らしいといえばあの二人らしい。
「ほーっ、ほっほっ!やっぱりこのミレニア様の敵じゃなかったわね!!」
「…ミレニア…」
「相変わらず美しさに欠ける闘いよね、サラちゃんは」
「余計なお世話だ」
「ま、このミレニア様を敵に回そうだなんて、愚かしいこと極まれりって感じだけどね」
何もしていないくせに偉そうに…と思わないでもないが、やはりこうでなければミレニアではないだろう。
「なににやついてんのよ、気味悪いわね」
「別に」
纏まりがなさそうで実はチームワークはいいのかもしれないと思ったなんて、口が裂けても言えないとシルンは思った。

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