オミクロンに向かう船の上で、いきなり竜族の女に
襲われた4人。このまま、サーザンに「竜の剣」を無事
に届ける事が出来るのか―――。
 そして「竜の剣」を狙うものとは、一体…。


せるふぃっしゅ道中記 第1章 集いし仲間
3.

「ナーレーダが死んだ…」
自分のもとに絶えず存在していたはずの気配が失われた瞬間、呆然と少年は呟いた。
特徴的な耳と短いながらも黒く尖った角は、紛れもなく竜族の証である。
しかし少年を完全な「竜族」と呼ぶには余りにも違和感が多すぎた。
その姿は人間族に限りなく近いのに、姿を変えている気配がまったくない。
それもそのはず、彼は『竜族』ではなかった。かといって『人間族』と言うわけでもない。
人と竜の両方の特性を併せ持つ存在―――人と竜の狭間に生まれた『半人半竜』と呼ばれる存在であった。
「ナーレーダは確かに魔術には秀でておりましたが…、彼女には相手を侮る所がありましたから、おそらく相手の力量を見誤り、油断したのでしょう」
少年の傍に控えていた、すらりと背の高い女が少年の言葉に応えた。
金の髪から覗く捻じ曲がった角。緑に光る尾。彼女は少年とは異なり、純血の水竜族であった。
純血という意味ではナーレーダもそうだが、彼女は火と水の狭間に属する者であったため、身に纏う雰囲気は全く異なって見えた。
「それが…俺たちの目的を阻む存在なのか」
「それは、まだわかりません。しかし、私たちの敵であることは間違いありません」
何故、とは少年は言わなかった。理由など分かり過ぎるぐらいに分かっている。
―――『竜の剣』。竜族に力を与えるもの。竜族の願いを叶えるという伝説の宝剣。
「どんなことをしても、手に入れてみせる」
己の悲願を叶えるため、そのためなら何を犠牲にしても構わない。そう、誓った。だから…。
(安らかに眠れ、ナーレーダ…)
彼女の意志の強い瞳を思い描き、ノーレインは静かに黙祷を捧げた。
その様子を見守っていた女竜が強い意志を感じさせる口調でノーレインに誓った。
「ノーレイン様、私にお任せください。このハーベラが、ノーレイン様の御為必ずや竜の剣を持ち帰って見せましょう」

「見えたぞ―――!!」
乗組員の言葉に人々が歓声を上げる。船の向かう遥か先に、霧の大陸はおぼろげながらも、その堂々たる姿を晒していた。
「オミクロン――…か」
シルンも、初めて目の当たりにする『竜の大陸』の姿に感銘を受けずにはいられなかった。
オミクロン大陸―――竜の島。二百年前、かの英雄『竜姫』サータたちが踏み入るまで、未開の地とされていた幻の大陸である。かつて二つの大陸を隔てたと言われる『暗黒の霧』と船を難破させる『魔女の呪風』も、今は消え去り航路が開かれてはいるが、やはりこの大陸にまつわる様々な謎は解明されないままだ。それはこの大陸に暮らす竜族たちの閉鎖的な社会のせいでもある。多くの謎と、独特の歴史を刻んだ『竜の大陸』オミクロン。そこに今自分たちは足を踏み入れようとしている。
「ふわ〜、あれがオミクロンかぁ。なんだかこわいねー」
「なんだか不気味なトコだよな。あんな所で暮らす奴らの気が知れねぇぜ」
思ったままの正直な感想を述べるのはアーヤンとターヴィだ。
確かにオミクロンにはおどろおどろしい雰囲気が蔓延していて、お世辞にも美しいという言葉は出ては来ない。しかし。
「あのなぁ…いちおうこの船には、これからオミクロンで生活していこうっていう人や、オミクロンに住む家族に会いに行こうって人が乗っていることを忘れるなよ」
「相変わらず、つまんないこと気にしてるのね、サラちゃんは」
横から不満げに口を挟んだのはミレニア。他人のことなど歯牙にもかけない、実に彼女らしい態度だ。
「伝説の大陸、なんて言うわりには大した事ないわね。もっと得体の知れない感じなのかと思ってたわ」
ミレニアが何を期待していたのかはあえて聞かないことにして、シルンは肝心の話を振った。
「で、どうする?準備を整えてからその『ラセン』とやらに向かうか…」
実は、肝心の『ラセン村』の場所がよくわかっていなかった。
オミクロン大陸が詳細に描かれた地図がユプシロンでは手に入らなかったのだ。
さすがにオミクロン大陸に到着すれば、そのぐらいの地図は簡単に入手できるはずだが。
「そんなまどろっこしい事に時間割いてらんないわよ。場所が分かり次第、即座に向かうに決まってんでしょ!!」
「一応聞くが、この先何もないなんて、気楽には考えてないよな?」
ナーレーダと名乗る竜族の女が攻撃を仕掛けてきたのが、つい一昨日のこと。
彼女は確かに『竜の剣』と言った。そして彼女が残した『ノーレイン』という名前。
自分たちに竜の剣を託したシュトラルが言った『奴ら』が、彼女たちをさしているのかはまだわからない。
限りなくその可能性は濃いが、今の情報量で確実にいえる事は、まだ何も終わってはいないと言うことだけだった。
「あぁ、あの女みたいなのがまた来るって事?そんなの来たら片っ端から叩き潰せばいいじゃない。いつもみたいにさ」
いつもみたいに。ミレニアの言葉が指す内容に、シルンは思い切り顔をしかめた。
「……同じレベルで考えるなよな」
「同じことよ。向かってくる奴は倒す。これが私の主義なの」
「ま、この俺様がいる限り、どんな奴が来ようと敵じゃねーけどなっ!!」
「そーだよぅ!アーヤンもいるんだよぉ!!」
口々にわめき立てる仲間たちに、シルンは小さく溜息を吐いた。そうだ、恐ろしいほどの楽観主義者たちの集まりだったのだ。心配などするはずもなかった。
「そうだな。ま、なるようになるかな…」
そんな彼等の性分に自分も染まりかけている気がして、シルンは自嘲気味に笑った。
船は徐々に速度を緩め、ようやくキリマ港に到着した。
順番など大人しく待っていられない、と人々を押し退ける勢いで渡り板を駆け下り、ターヴィは一週間ぶりの「揺れない」大地を思う存分踏みしめた。
「やあ――――っと、着いたぜ!!」
続いてミレニア、アーヤン、そしてシルンの順にオミクロン大陸に降り立った。
船が入港した港街は乳白色の霧が立ち込め、晴れていると言うのにそう視界は開けていなかった。
今まで暮らしていたユプシロン大陸とは、明らかに異質な土地だった。
「なぁんだか湿っぽいとこね」
「まえがよくみえないよぅ!!」
「霧が深いな…」
初めての土地で得体の知れないものと闘うというのは、あまり気分のいいことではない。
もっとも、これはアーヤンの蒔いた種なのだから、そう文句ばかり言ってもいられないが。
「とりあえず、入国の手続きをしないとな、こんな土地じゃ右も左もわからないし…って、言ってるそばからはぐれるなよ!アーヤン!!」
「ねぇねぇ、サラちゃん!すーっごくおいしそーなにおいだよ!」
「だからなぁ…」


「旅の一座か…」
「そうよ。この私の占いと言ったら、ユプシロンじゃあ知らない者もないってくらい有名なんだから」
じろり、と胡散臭い者でも見るかのような審査官の視線がミレニアを舐めまわす。
「……とてもそうは見えないけどな」
ぼそっと呟いた審査官の言葉はミレニアの耳には届かなかったようで、ミレニア陽気に鼻歌を歌っていた。
「で、芸人が二人と…その護衛か」
「何だ、俺様の素晴らしい芸が見たいのか?高くつくぜ」
「………結構だ」
秘技・髪伸ばしを披露しようかと目論んでいたターヴィは何やら不満顔である。
アーヤンは相変わらず何の事だか分かっていないらしいが、「後で好きなもの買ってやるから一言も口を聞くな」というシルンの言いつけはしっかりと守っていた。
それを片目で見守りながら、シルンは緊張した面持ちを崩す事が出来なかった。
入国審査官が持つ四枚の書類に書かれている事は半分以上が虚偽だった。
ターヴィとアーヤンの二人に関しては、ほぼ正確な事実しか書いていない。
しかし些細なことばかりではあるが各地で犯罪を繰り返してきたミレニアには、小額ながらも賞金がかけられているため実名での書類を通すにはやや不安が残る。
そして、それ以上に厄介なのがシルンだった。このパーティ内で、一見まともそうに見えるシルン=サラこそが、もっとも世間からは外された存在なのだ。――五万R。懸賞金の金額としてはそう高い方ではない。しかし、その額と彼が犯した罪とでは、あまりにも釣り合いが取れていなかった。シルンは故郷のあるイプシロン大陸全土で指名手配された賞金首なのだ。罪状は、殺人。殺されたとされるのは彼の養父と義理の姉だ。しかし、シルンは人二人を殺したにしては、不自然すぎるその金額の本当の意味を知っている。それは酷く理不尽なことだったけれど――。
しかし、まだ立ち向かう力がない限り自分は倒れるわけにはいかない。シルンに全てを託した、彼女の遺志を果たすために。
「まぁ、問題はないだろう」
ぽん、と審査官が『可』と彫られたスタンプを書類に押した。
気取られないよう安堵の溜息を吐きつつ、一礼をしてシルンは門を通り過ぎた。
余計なことは考えない方がいい。今は「ラセンに向かい、サーザンに竜の剣を渡すこと」そのことだけを考えていればいい。
どうせ人は、幾つもの望みを同時に果たすことなど出来はしないのだから。


「おいし―――っ!何だかよくわかんないけど、これおいしいよ!!」
「どれどれ?おおぉっ!ホントだ、うめぇ!!」
「あ――っ!!だめだよターヴィ、これアーヤンのだからね!!」
「うるせー、俺様にもよこせ!!」
「仲良く食べろよな…」
現状の問題などそっちのけで飯にがっつく二人に、シルンは申し訳程度に言葉をかけた。
一方マナーも何もあったものではないという、ものすごい勢いで御飯を食べつつ地図を熱心に見入っていたミレニアは、突然瞳を輝かせると高らかに宣言した。
「運命だわ!!」
「……は?」
「運命としか言い様がないわ!これはまさに神が私に与えてくれた奇跡なのねっ!」
「どーでもいが、ご飯粒飛んだぞ…」
シルンの言葉など耳に入っていないように、ミレニアは本能の赴くまま高笑いした。
周りの突き刺さるような視線にシルンは胃が痛くなる思いだった。
「で、何が運命だって」
「ふっふっふっ、見て御覧なさいサラちゃん。これを!」
ずびしっ!とミレニアが指差したのは地図上の一点だった。ものすごく小さい字で「Lsen」と書かれている。
「見なさい!この距離を!!この近さを!!!これはまさに、神が定めた運命だわっ!!」
「というか、こんな小さい字よく見つけたな…」
運命と言うよりはまさに執念としか言い様がない。
「さ、わかったからにはこんな所でのんびりしてる暇はない わ!一刻も早く、ラセンに向かうわよ!!」
「って、食事中だぞ…」
「んなことはどうでもいいのよ!ほら、さっさと食べなさいよ、アホターヴィ!」
「何おぅ!?よく噛んで食わねぇと消化不良しちまうんだぞ!!」
「そーだよ、よくかまないとふとるんだよぉ!!」
「あんたたちがどうなろうと知ったことじゃないわ。私の恋路を邪魔しようってんなら、ただじゃ済まさないわよ!!」
「もー、勝手にしろ…」
慌しい食事を終え、ずんずんと先頭を突き進むミレニアに、シルンたちは付き従う形だ。
ここまで来たら、勝手にしてくれとしか言い様がない。もっとも、急ぐ気持ちがわからないわけではない。
ラセン村はこの港街キリマから馬車で数刻という所にあったのだから。
そんなミレニアの率直な行動だけを見れば、可愛らしくも見えるのだが。
「な、何ですってぇ!?行けないってどういうことよ!!」
突如、ミレニアの凄まじい非難の声があがった。
見ればミレニアは、貸し馬車屋の店頭で店員らしい男と問答を繰り広げていた。
「だから…ラセンには馬車は出せないっていうことだ」
「ことだ、じゃないわよ!納得できないわ!!理由を言いなさいよっ!!!」
胸倉を掴まんばかりに詰め寄るミレニアに、店員は困った様子で返答した。
「ラセンは…もう『村』じゃない。一週間ほど前、突如襲撃があったらしく…あの村は、一夜にして壊滅したんだ」
「「えっ!?」」
一瞬、シルンでさえ耳を疑った。向かうはずの…目的地の村がない?
「何で、なんて俺は知らんが、ともかくそういうことだ。そんな危険な場所に、馬車は出せない。悪く思わんでくれ」
「ちょ…ちょっと待ってください!それはどういう…」
一週間前といえば、シルンたちがシュトラル=セレナから竜の剣を託された直後だ。それは竜の剣に関わることなのか。
「詳しいことは俺も知らんよ。ただ言えることは、あの村が何者かに襲われたらしいって言うことだけだ」
そう言ったっきり、店員は店の中に引っ込んでしまった。係わり合いにはなりたくないといった様子だった。
「ふ…ふざけんじゃないわよっ!!臆病風に吹かれてんじゃないわよ!男なら馬車くらい出せってーのよっ!!」
「おいこら、ミレニア!」
いきり立って今にも看板を蹴らんばかりのミレニアを抑えつつ、シルンも焦りを隠せないでいた。
襲撃され消滅した村。それを行ったのは、あのナーレーダの仲間たちなのだろうか。それとも…。
(ともかく、俺たちが相手にしているのは、一夜にして村を滅ぼすような奴らなんだ)
今更ながら、シルンの背を冷たいものが走った。
「どーゆーことだ?サーザンは死んじまったのか?」
「ターヴィ如きの分際で、サーザン様を勝手に殺してんじゃないわよ!!」
「だけど、じゃあどーゆーことなの?」
「サーザン様が死ぬわけないでしょ!!」
ミレニアはどうあっても認めない気のようだが、実際の所はそう楽観も出来ない。
サーザン=セレナ――彼の安否を推し量ることのできるものは何もない。
「ともかく、行って確かめるしかないだろう。別に歩いて行けない距離じゃない」
道中何も起こらなければ、人の足なら二、三日という所だろう。
手がかりが何もない以上は、行って自分の目で確かめるしかないのだ。
「歩いて!?冗談じゃないわ、何日かかると思ってんのよ!!」
「ミレニア、そんなこと言ったって他に方法がないだろう」
「方法ならあるわ。簡単なことよ、馬車が出せないって言うなら、私たちで出せばいいんだわ」
ミレニアの言葉に、シルンは返答を忘れるほど呆れ果てた。
「私たちで出す」と簡単に言うが、そんな馬車が一体どこにあると言うのか。
「御者の役ぐらいは、サラちゃんだって出来るでしょ」
「サラちゃん、ばしゃうごかすの?すっご――い!!」
「あのなあ、ミレニア…」
「お小言は沢山よ。私は私のやりたいようにやるわ」
シルンの反論を許さず、ミレニアは魔法を放つ構えに入った。さすがに、シルンの顔が青ざめる。
「おい、ミレニアやめろ!!」
しかし、ミレニアには最初からシルンの言葉なんかを聞く気はない。
そしてミレニアは、最後の最後でシルンが妥協するしかないことを知っている。
シルンは、ミレニアには言い勝てない。絶対に。
「冷厳なるケルシアよ…凍てつけり輝き、我が元に集いて、数多なる矢となり、かの建物を吹き飛ばせ!」
「馬鹿…っ!!」
シルンの非難が果たして耳に届いたか。ミレニアは高まる魔力を氷へと一変させ、一気に打ち放った。
「氷の雨!!」
破壊の意思を持って鋭利な刃と化した氷の礫が、次々と厩舎の扉に壁に突き刺さる。
その威力に圧倒され壁が次々と崩れ落ちた。
「な…何事だ!!」
先程の店員が慌てふためいて表へ飛び出してくる。
しかし、それよりも早くミレニアは厩舎に繋いであった馬車の一つに飛び乗っていた。
「ぼさっとしてないで、早く来んのよ!!」
その言葉に急かされるように、ターヴィとアーヤンが馬車に乗り込んだ。こうなっては、もう後には引けない。
なるようになれと、シルンは御者台へと飛び乗った。
「ど…泥棒!!泥棒だ―――っ!!」
男が大声で叫んだ。
「うるっさいのよ!」
ミレニアは馬車に積んであった缶を一つ手に取ると、男の頭めがけて投げつけた。
外れてくれ、と祈るシルンの願いも虚しく見事それは命中する。
「ぐごげっ」
「ふん、この私に逆らおうなんて、十億万年早いわよっ!!」
もうシルンは怒鳴る気にもなれなかった。先程の大声で人が集まってくるより早くこの場を去らなければいけない。
シルンは手綱を勢いよく引くと、馬の背に打ち下ろした。一鳴きして、馬が勢いよく走り出す。
「わ〜い、しゅっぱーつ!!」
能天気なアーヤンの声を耳にしながら、シルンもあれだけ気楽になれたらどんなに幸せだろうと思った。


強盗同然に…と言うか強盗そのもので、馬車を手に入れてから一刻半。
ミレニアたちを乗せた馬車は勢いよく道なき道を突き進んでいた。
(早く行かなきゃ、追っ手が来るかも…と思ったけど)
街を出るまでは騒がしかったが、出てからは、追って来る気配すらない。
最初は不思議に思ったが、考えてみれば当然の事だった。彼らは、ラセンに馬車を出したくないと言っていたではないか。
おそらく、馬車を奪った泥棒たちを見逃してでも、ラセンには近付きたくないのだ。
「そんなとこに、わざわざ向かってる俺も、相当酔狂なんだろうけど…」
独り言を呟いた刹那、ガクンと大きく馬車が揺れた。シルンはバランスを崩しそうになって、慌てて気を入れなおす。
「ちょっとサラちゃん、しっかり運転してよね!」
「はいはい」
誰のせいでこんなに急いでるんだ、と言い返したくもなったが、どうせ何を言ったところで堪えやしないのだ。言うだけ無駄というものだ。
ミレニアのおかげで当分寄り付けない場所が増えたが、その行動を止められなかった自分にも責任はある。
「あとどのくらいあんだ?」
「そうだな…距離から言えば、もうすぐ着く頃だよ」
幸いにもあの船の時のような突然の襲撃の気配はなかった。このまま順調に行けば、あと半刻もかからないだろう。
「サーザン…って、ぶじなのかなぁ」
「当たり前でしょ、サーザン様はあのカンナ=セイラの子孫なのよ。そんなお方が、簡単に死ぬわけないじゃないの!!」
「ま、どんな奴だろうとこの俺様は敵わねーけどな!」
「ふっ、寝言は寝て言いなさいよね」
「でもさでもさ、サーザンってすっごぉ――いちから、もってるんだよね!」
「決まってんじゃない。サーザン様に、不可能はないわ」
「じゃあさじゃあさ、サーザンにたのめば、アーヤンのことにんげんにしてくれるかなぁ…」
他愛ないアーヤンの一言に、シルンは顔を曇らせた。
人間に―――それは、彼女が経験して来た苦渋の日々から自然と生まれた言葉なのだろう。
魔獣族の血を引いているアーヤンの生活も、決して楽ではなかったはずだから。
「それは無理なんじゃねーか?」
「そっかなぁ」
「さすがの俺様にも出来ねぇからなぁ」
「あんたは何にも出来ないでしょ。あんたなんかと比較しないでよね、サーザン様が汚れるわ!!」
「何だとぅ!?」
「何よやる気!?」
「望む所だ!!」
後方で発動する魔法の気配に、さすがのシルンも青ざめた。
「お前ら、いい加減にしろっ!!ここは馬車の中だぞっ!!」
「「はーい…」」
シルンの一喝に、さすがに状況を思い出したのか、珍しく二人は声を揃えてしおらしい返事をした。
油断しているといつもこうである。シルンは小さく溜息をついた。
冗談ではなく、ミレニアは一度くらい痛い目にあった方がいいのかもしれない。そう思って、視線を前に戻して…。
「……あ」
思わず声が漏れた。目前に見える木々の間から漏れる光。それは、この道の終わりを意味していた。
「着いたぞ、みんな」
後ろを振り返って、シルンは三人に告げた。その言葉にミレニアの顔色がみるみる紅潮する。
「ついに、遂に着いたのねっ!」
「何、見せろ!!」
「どれどれ――っ!?」
わらわらと集まってくる面々に馬車の重心が傾く。
「ば、馬鹿、前に集まるなって…」
シルンが慌てたその瞬間。いきなり四人の前に赤い影が降ってきた。
「え!?」
「は?」
「わ」
「なっ…!!」
走る馬の頭の真上に赤い影は降り立った。驚いた馬が、大きく嘶く。
「ヒヒヒィ―――ン !!」
シルンの制止も間に合わず、馬は高く前足を掲げた。
「うわぁっ!!」
「キャアァッ!!」
完全にバランスを失った馬車は、凄まじい勢いで横転した。
「……っ…」
受け身は取ったものの、あの勢いではさすがに無傷ではいられない。
痛みを訴える左足を引きずるようにして、シルンは身を起こした。
まず目に入ったのは、横倒しになった馬車と空回りする車輪。
つながれていた馬は倒れた拍子に戒めが解けたのか、もうそこにはいなかった。
「ミレニア!アーヤン、ターヴィ!!」
シルンは声を大にして叫んだ。あの連中がそんなに簡単に死んでしまうなんて、そんな事があるはずはないけれど。
「返事しろ、ミレニア!アーヤン!ターヴィ!!」
「うるっさいわね、聞こえてるわよ!!」
シルンのすぐ後方で、気だるげな返答が返った。間違え様のない、ミレニアのもの。
「ミレニア!」
「ターヴィもアーヤンも、そこで伸びてるわよ。馬鹿は簡単には死なないわよ」
ミレニアは、驚くほど平然としていた。もしかしたら、あの今わの際に、とっさに防護魔法でも唱えていたのかもしれない。
シルンは安堵の溜息を吐いて、気絶する二人を起こしにかかった。
「おい、しっかりしろ…ターヴィ」
「んん〜、もう朝かぁ…?」
とろん、とターヴィが眼を開けた。すっかり寝ぼけているが、取りあえずは大丈夫そうだ。
「ほら、アーヤンも…」
「ん〜…おなかすいたよぉ…」
寝ぼけっぷりはターヴィといい勝負である。二人ともたいした怪我は負っていないようだった。改めてシルンは安心した。
「良かった…」
「良かったじゃないわよ、サラちゃんの下手くそ!もうちょっとで、どうなってたかわかんないわよ」
ミレニアの非難の言葉に、シルンは顔をしかめた。それは、非難する相手が間違っている。
「ちょっと待て、俺じゃないぞ。いきなり赤いものが降って来て、そしたら…」
と、そこまで口にしてシルンは言葉を失った。あの、赤いものはなんだ?
「そーいえば、何か落ちてきたよーな…」
ぐらぐらする頭を振ってターヴィが起き上がった。ターヴィもちゃんと見ていたらしい。
「赤いもの…?」
目に入っていなかったのかミレニアは怪訝そうな顔だ。
「って、あれ?」
ひょい、とアーヤンが指差す先に自然と四人の視線は集まった。木々の下にうずくまるように存在する、赤い影。
「なっ!!」
「何…獣!?」
得体の知れないその影は、爛々と怒りに燃える瞳をこちらに向けてきた。
「ゆるさない…」
「え?」
赤い影が発したのは、小さな子供のような声だった。それに驚く暇も与えず、赤い影は声の限りに叫んだ。
「お前たち…許さない!!」
「……!?」
敵か、とシルンが構えるよりも早く、赤い影はシルンめがけて飛び掛って来た!
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