張り詰めた空気を癒したのは、意外や意外
ターヴィ=アーズであった。ターヴィに説得され、
シルンと向き合って話す事を決めたサーザン。

 一方、落ち込み気味のシルンは…。


せるふぃっしゅ道中記 第2章 過去の幻影
4.

シルン様は優しい方ですのね。
そう言ったのは、妹。
あんたは要領悪くて優柔不断で、救いようのない馬鹿ね。
そう言ったのは、ただ一人の――姉。

「やっぱり…俺って要領悪いのかな」
ぽつんと、誰へともなくシルンが呟いた言葉を、隣に座っていたミレニアが聞きとがめた。
「何今更そんな当たり前の事言ってんのよ」
容赦のない返答に、シルンは思わず苦笑する。その言い方は、どこか亡くなった姉に似ている気がした。
もっとも、その言葉を姉が聞くことがあったらおそらく憤慨したであろうけれど。
アーヤンは遊びに出かけてしまって、今はミレニアと二人きりだった。
こんな風にミレニアと対峙するのも久しぶりかもしれない、とシルンは思った。
「サラちゃんが要領いいって言うなら、『要領の悪い』人間探すのなんか不可能じゃない。っていうか、何?性格改善とかしようなんて思ってるわけ?」
「…そこまでは言ってないだろ」
「そう?言いたそうな顔してんじゃない」
呆れ半分の口調でそう言い捨てると、ミレニアはがたんと席を立ち上がった。いつまでも座っているのにも飽きたらしい。
大きく伸びをすると、思い切り深呼吸をした。しかし、ミレニアもその表情は冴えない。
「あーぁ…なんか陰気でやんなっちゃうわ。やっぱ、あのガキ疫病神ね」
そう言い残してその場を去ろうとするミレニアの背に、シルンは言葉をかけた。
「どこか行くのか?」
「仕事でもしてくるわ。ぱーっとね」
「…また…」
ミレニアの返答にシルンが顔をしかめる。
シルンは他の面々とは異なり、一応ではあるが一般的な道徳観念を持ち合わせている。
だからこそ、意気揚々と「仕事」に出かけるミレニアにいい顔は出来ない。
「嫌なら、サラちゃんの『石』寄越しなさいよ。それさえあれば、一生遊んで暮らせるんだから」
『石』。ミレニアがシルンと出会った頃からずっと狙い続けている宝石――神の石である。
世界に16個しか存在しないと言われている、神の魔封石。その秘められた力は、神の魔法にも匹敵するほどだという。
シルンの持つそれも、彼の故郷の王家に代々伝えられた国宝であった。
けれど、対とも言われる闇の神の石は、今はここにはない。
無限の力を秘める光の神の石だけが、不相応なシルンの手にあるだけだ。
「――それは、無理だよ」
もう何度言ったか知れない言葉を、シルンは繰り返した。
何があっても、「神の石」を譲るわけにはいかなかった。それはシルンと姉との『約束』だったから。
「……ねぇ、サラちゃん。前々から聞こうとは思ってたけど、それ、何のために持ってるわけ?」
思えば「ちょうだい、それちょうだい」の一点張りで、シルンに理由を尋ねた事などなかったかもしれない。
改めて、その理由を聞かれたシルンは、意外そうに目を瞠った。
「意外だな、ミレニアがそんな理由を気にするなんて」
「フン、この私をそこら辺の能無しと一緒にしないでもらいたいわね」
決して褒め言葉ではなかったはずのシルンの言葉をも、ミレニアは捻じ曲げて解釈しているようだった。
もっとも、シルンにもそれを訂正する気もなかったが。
「理由か…。そうだな、あえて言うなら…『復讐』のため、とか?」
「つまんない答ね」
冗談半分という感じのシルンの言葉を、ミレニアは一刀両断にした。やはりシルンは苦笑するしかない。
「あながち、嘘でもないつもりだけど」
「だったら余計に最低。そんな非生産的な事のために使ったって、何の特にもならないじゃないの。だったら、このミレニア様のために投資されて然るべきだわ」
「ははは」
「ちょっと、失礼じゃないの!」
笑う所ではない所で笑われて、ミレニアの方が顔をしかめた。
「ごめん。でも、ミレニアらしいなと思ってさ」
「そう思うなら…」
「だから、駄目だって」
それとこれとは話が別だ。ミレニアにも、他の誰にも譲れない。それは自分が過去の幻影に引きずられているからだろうか。
「…そうだな。『約束』だから。俺が持ってるって約束したんだ」
「ふーん」
『復讐』よりもシルンらしい答えに、ミレニアはつまらなそうに相槌を打った。約束。シルンがいかにも守りそうなもの。
「誰かさんとの約束が、何よりも大事ってわけ」
「ああ…。他の約束は守れなかったから、これだけは守ってい 
たいんだ」
ぐっと石を握り締めた。かすかに脈打つような鼓動に、脳裏に刻まれた声が甦る。
『石、持って逃げてよ。奴等には渡さないで――。約束よ』―いつまでもその約束が忘れられない。
忘れるわけにはいかない。どうしても。
「サラちゃんらしいわ。そういうの」
「褒め言葉として、聞いておくよ」
「褒めてないわよ。馬鹿すぎて言葉もないわ」
過去の約束にだけ囚われて、それでは「現在」を生きていない。
サーザンにも共通するそれがミレニアには腹立たしくてならなかった。
過去のために生きて何になるのだろう。何も、得られなどしないのに。
「私は、絶対にその石貰うから。私のために使われてこそ、石だって喜ぶわよ」
現在、過去、未来。過去があって、現在の自分がある。未来を開く、現在の自分が。
何が一番大切かなんて、答えは決まっているではないか。
「私は約束なんてしない。他人のために生きるなんて真っ平よ。信じられるのは自分だけ。頼るのは自分だけ。大切なのも私だけ」
軽く手を振ると、ミレニアは宿の部屋を出て行った。仕事に出かけるのだろう。今度は、シルンも止めはしなかった。
いや、ミレニアを止める事など、土台は無理な話なのだ。自分だけを信じて、自分のために生きる。
何がミレニアをそうさせたのかシルンは知らない。
けれど自分の道を信じて疑わないミレニアを、シルンは少しだけ羨ましいと思った。

アーヤンは一人町を闊歩していた。色とりどりの品物が並ぶ店は、ただ眺めているだけでも充分に楽しい。
本当はターヴィが一緒だともっと楽しいのだけれど。
「ターヴィ、サーザンちゃんとなかよくなれたかな…」
悲しそうにしていたサーザンの姿と、胸を張って飛び出して行ったターヴィの姿を思い出す。
ターヴィに任せておけば大丈夫なはずだ。ターヴィは何でもできる「スーパーマン」なのだから。
アーヤンにとってのスーパーマンは、サーザンにとってもスーパーマンであるはずなのだ。
「ふみゅっ!」
考え事をしていたせいか、前を見ていなかったのが悪いのか。アーヤンは道端でたむろしている男たちに激突してしまった。
「あぁ?」
振り返る、その男の息が酒くさい。真っ昼間っから酔っぱらっている者など、ろくな奴ではない。
案の定、男はアーヤンの姿を見ると、因縁をつけ始めた。
「なんだなんだ?ぶつかっといて、挨拶なしかぁ?」
「あいさつ…って、こんにちは??」
「あぁ!?」
アーヤンとしてはしごくマジメに答えたつもりなのだが、当然男は馬鹿にされたと思った。
赤い顔をますます赤くすると、アーヤンの耳を掴んだ。
「こんな浮かれた格好しやがって!…あぁん?」
ぐん、と引っ張り上げて、男は何か変な事に気付く。耳が抜けない。
思い切り耳を引っ張られたアーヤンは「いたいよぉ!」と叫んでいた。
「おい、こいつ…」
男の仲間が、酔っ払いの耳元で何かを囁いた。途端に酔っ払いの男は顔つきを変えた。
「…ナンだ?お前、獣人かぁ?」
ガラの悪かった男の声が、ますます下品なものに変わる。それは、明らかに相手を見下した侮蔑の瞳だった。
「獣風情が、偉そうな口叩きやがって!」
「けものじゃないもん!アーヤンの、おみみだもん!!」
男の言葉に腹を立て、アーヤンは思わず叫び返していた。
一見平等に見えるこの世界にも、差別というものはある。人間族は優れた者。過去に種族間の争いで勝利した者たち。
けれど、竜族も魔族も自分たちに誇りを持っていて、人間族を軽蔑している感もある。そして、その三種族が見下す者。それが、魔獣族とどこにも属す事の出来ない混血の者たちだった。
アーヤンは、人と魔獣の間に生まれた少女だ。だからこの世界に存在している差別を知っている。
母親は気味の悪い子だと言って生まれたばかりのアーヤンを川に投げ捨てた。
アーヤンを拾ったサーカスも、おかしな外見のアーヤンを見世物として扱った。
けれど、同じ境遇でアーヤンの傍らにいた少年は言ってくれたのだ。『可愛いじゃん』と。
「アーヤンのおみみだもん!ターヴィが、かわいいっていってくれたおみみだもん!!」
臆することなく、アーヤンは男を睨んだ。その反抗的な態度に切れたらしい男は、思い切りアーヤンを投げ捨てた。
「あぅ!」
騒音をたてて、アーヤンが店先に並べられた果物カゴに激突した。リンゴが激しく転がった。
「きゃああ!」
突然の喧騒に道行く人々は悲鳴をあげた。男とアーヤンを取り巻くように人々が道をあける。
男と子供のような少女。一見すると許せない行為のようにしか思えない。けれど、男は人間で少女は獣人だった。
男の仲間たちが無責任にはやし立てる。しかし、誰もそれを止めるものはいなかった。
「獣人風情が生意気な口利きやがって!教えてやるぜ、社会のルールをな」
「ちがうもん!ひどいこといったの、あなただもん!!」
アーヤンは態度を改める気など毛頭なかった。恥じる必要なんてない。耳も尻尾もアーヤンのものだから。
剣を抜く男に対してアーヤンは印を結んだ。決して強くはないけれど、魔法は使える。
「おい、ローイ!こいつ、生意気に魔法撃つ気だぜ?」
「やっちまえ、やっちまえ!」
しかし酔っているせいもあり、男の足取りはフラフラしていた。目は焦点さえ結んでいない。これなら勝てる可能性もある。
「…あかきじょうかのほのお、アーヤンといっしょに…とんでけぇ!」
たどたどしいながらも口にした詠唱に、炎の精霊たちが答えた。小さな火の玉が、アーヤンの周りに渦巻く。
男が剣を振り上げた。その顔目掛けて、アーヤンは魔法を放った!
「ほのおのや!」
「炎の矢!」
へ?と男が目を見開いた。次の瞬間。ずががががん!と男の後頭部に火の玉が尾を引いて激突した。
次いでへろへろの炎の矢が顔面に直撃する。
その挟み撃ちにはさすがの男も耐えられず、剣を振り上げた姿勢のまま、べちょっと地面に倒れた。
アーヤンが驚いて、援護のあった方向に目をやれば――そこにはカッコつけたポーズをとった、ターヴィの姿があった。
「あ!ターヴィ!!」
「よぅ!無事か、アーヤン?」
軽く手を上げてターヴィはアーヤンの呼び声に答えた。アーヤンが激しく首を縦に振る。
さすがは頑丈さにおいてはミレニア、ターヴィとともに頂点を競うアーヤンである。
大した怪我もなく、勢いよく駆け出すと甘えるようにターヴィに飛びついた。
「わーい!ターヴィ、かっこいい!!」
「へっ!俺様はいつでもカッコイイに決まってんだろ!!」
へへんと鼻を鳴らすターヴィに、通行人は皆度肝を抜かれていたが、そうはいかない者たちがいた。
酔っ払い男の、仲間である。
「て、てめぇ!!よくも…!!」
「……よくもぉ?」
色めきたつ男たちに対し、ターヴィは凄みを利かせた目つきで聞き返した。
もともと人相の良くない顔立ちだけに、そうしてみると少々は迫力もあった。
「そりゃ、こっちの台詞だぜ!」
先手必勝とばかりにターヴィは打って出た。男達が動くよりも早く、ターヴィの漆黒の髪が、うねるように地を這った!
「うげぇ!?」
気味の悪い光景に、青ざめる男達だったがもう遅い。生き物のようにうごめく髪が、男たちの手足に絡みついていた。
「ぎゃああ!なんだ、コレは!!」
「ば、化けもんだぁ!!」
馬鹿力とでも呼ぶのだろうか、ターヴィは髪の毛で男達を高く持ち上げると、
「失礼だな!俺様は世界一のスター、ターヴィ=アーズ様だってーの!!」
言うなり思い切り良くふっ飛ばした。景気良く男達が店先の売り物の山に突っ込む。
ターヴィの髪はしゅるしゅると元の長さに戻って、勝手に綺麗な三つ編みになった。
「ターヴィ、すってきぃ♪」
ターヴィの勇姿に拍手喝采なのは、アーヤン一人だった。
通行人(というよりももはや見物人)たちは、あまりカッコよくない髪の毛攻撃に白けた目線を向けていた。そして。
「おい!何だか知らんが、どーしてくれるんだ!品物が台無しだ!!」
「へ?」
間抜けな顔で振り返った二人の後ろには、鬼の形相の店員がいた。
見れば、大通りは戦闘の跡ですさまじい修羅場と化していた。
「弁償してもらうぞ」
ずずい、と二人に迫る店員の迫力にターヴィは気圧され気味だったが、最初から出すべき回答は一つしかない。
「逃げるぞ、アーヤン!」
「らじゃ!」
くるり、と回れ右すると二人は一目散に駆け出した。足の速さには自信のある二人だ。
怒鳴る店員の声もはるか遠くに聞こえていた。
「へへーんだ!このターヴィ様が捕まるかってんだ!」
「てんだ!」
悪戯っ子のような表情を浮かべて、二人は目抜き通りを疾走した。黒の三つ編みと派手な黄色の髪が風にたなびく。
「ターヴィ、かっこよこったよぉ」
「そんなの当然!アーヤンの敵は、俺様の敵ってな!」
昔からそう言って、ターヴィはアーヤンとずっと一緒に生きてきた。今までも、きっとこれからも。
走りながら、アーヤンはとある事に気付いてターヴィに尋ねた。
「そーいえば、サーザンちゃんは??」
アーヤンの問いに、ターヴィはにやっと笑って答えた。
「俺様にぬかりはねぇ!サーザンなら今ごろ、サラんとこだぜ」

怖かった。
信じていたものが、信じていたかったものが壊れてしまう気がして。
だけど、それはおかしい。「信じられない」と思うのは自分で。
相手を「信じられない」と感じるのは自分の気持ちで。
意思さえ強く持っていれば、迷う事なんてないはずなのに。
きっと、自分自身を信じられなくなっていたんだ。
シルン=サラ。
初めて会った時の、真摯な姿に、絶体絶命の危機に身を呈して守ってくれた優しさに。
嘘なんかなかったはずなのに。
「…サーザン…!」
シルンが部屋の戸口に立つサーザンに気付いて、驚きの声を上げた。
サーザンは少し決まりの悪そうな表情をしていたが、しかしその目はきちんとシルンに向けられていた。
「朝の続きの話がしたい。どうしてシルンが親を殺す事になったのか…どんな気持ちでシルンがそうしたのか…あたし、ちゃんと知りたいの。だから…話して」
あれだけシルンから目を逸らそうとしていた彼女が、面と向かってそう告げた事にまた驚き、シルンは思わず「いいのか」と聞き返してしまった。サーザンは何も言わずに深く頷いた。
その反応にサーザンの意思を感じ取って、ようやくシルンの表情が緩んだ。笑おうとしたのかもしれない。
「せっかくだから、外へ行こうか」
サーザンがもう一度頷いた。シルンは立ち上がると、サーザンの手を引いて部屋を出た。
軋む階段を下って、薄暗い宿から表へ出る。吹き抜ける風の匂い。
傾いた日が染めた茜色の空は、一瞬目を奪われるほどに美しかった。
「きれいだね」
素直にサーザンが感想を口にした。シルンもそのとおりだと思った。
オミクロン――霧の大陸。おそらく、この三大陸で最も自然の美しさを感じられる場所。
「遠くまで来たんだなって…時々思うよ」
ぽつんとシルンが呟いた。それは、サーザンに向けられた言葉ではなく、独り言であったのかもしれない。
「…シルン?」
「俺の故郷はね、『ロセア』という国なんだけど…英雄の国って、イプシロンでは言われているんだよ」
「…英雄…」
シルンの言葉をサーザンが反芻する。英雄。それは、サーザンの祖先であるカンナ=セイラを指す言葉でもあった。
「そう、サーザンと同じ。カンナと共に人魔聖戦を闘った英雄サータとサルトの国なんだ。もっとも彼らは王族だったから、俺とは無縁だけれどね」
それでもロセアの民は、自分の国に誇りを持っている。強く、逞しき英雄の国―と。
誰もが「ロセア」と言う国を愛していた。国を守る神はいない小さな国だったけれど、ロセアは立派な国だった。
「けれど、愛しすぎて道を誤ってしまった男がいたんだ。ロセアをイプシロンの大国…セシルファンやクロトリアなんかよりも、もっともっと強大に…比肩しうるものなどないほどに強くしたいってね…。その為には、禁じられた魔法に手を出す事も厭わない…そんな間違った、恐ろしい夢に取り付かれてしまったんだ」
サーザンには、シルンの言っている意味がよくわからなかった。そんな、遠い場所の遠い国の話。
それが、シルンにどう関係してくるのかも。
けれどサーザンは口を挟まずに、ただじっと待った。シルンが続けるのを。
「俺の養父もね、そんな夢を見た一人だった。けれど、俺は…あの人と敵対してでも、国に罪を犯して欲しくはなかったんだよ」
「…だから、殺したって言うの?」
「俺は、あの人を止めたかった。でも、その力が足りなかった。何も出来ずにただ、悲劇を重ねたにすぎなかったんだ。俺が、養父さんを斬った。姉も…俺が殺したようなものだ」
「じゃあどうして、罪を償おうとしなかったの!?過ちだと思ってるなら…!!」
罪を償う。過ちを認め、悔い改め許しを請うこと。
(…誰に?)
シルンは失笑するしかない。誰に許しを請えばいい?斬ってしまった養父か。守れなかった姉か。
それとも―…。思い浮かんだ顔は皆一様に傷ついた表情をしていて、シルンは胸が痛くなった。
「まだ、何も終わっていないんだ。ロセアの陰謀はまだ終わっていない。俺はあの国を守りたいから…、あの国を愛した人の願いを叶えたいから、まだ罪を償う事は出来ない」
約束。遠い約束。それは、相手が死んでしまったからこそ永遠で、破る事など出来るはずがない。
「いつか全てが終わったら…俺は何でもするし、その覚悟もある。けれど今は出来ない。養父に、詫びる事も何も」
養父のその人柄は今でも尊敬に値すると思う。だからこそ、心が痛くて。
それから眼を逸らそうとすればするほど痛みを感じなくなっていく。『人間』から遠ざかってゆく。
「サーザンの言う通り、俺は酷い人間なんだ」
嘘つきで、本当の事が言えなくて。今はまだ逃げる事しか出来ない、最低最悪の弱虫。
何も言えるわけがない。何も言う資格がない。
「…違う。上手くいえないけれど、多分それは違う」
「サーザン?」
「あたし、シルンが言う事ホントはよくわからない。シルンが正しいのか、間違ってるのかも…ホントはわからない。だけど、シルンは本当は父親を殺したくなんかなかったんでしょう。ホントはみんなを守りたかったんでしょう」
サーザンの言葉は、シルンに向けられていると言うよりも自分自身に言い聞かせているかのように聞こえた。
自分のために殺したんじゃない、理由があるからと殺したんじゃない。そうであって欲しいと、信じたいというように。
「そうだよね…だから、無関係のあたしでも守ってくれたんでしょう?」
「サーザン…」
「優しいシルンと、許せないシルンと…あたしの中で、どうしても一緒にならないの。でも、優しいシルンは嘘じゃなかった。それだけは、わかるの。だからあたし、信じたい。ホントのシルンを、もっと知りたい」
そうしたら、本当の答えはいつか見えるのだろうか。シルンという、その真実の存在が。
ぎゅっと目を瞑った。怖い。それは怖いけれども。サーザンは知りたいと思った。だから、それは勇気をもっての第一歩。
恐る恐る目を開くと、シルンの瞳を真っ直ぐに見つめて。
「あたし、酷いこと言ったかもしれない。それは謝る。ごめんなさい。だから…これからも、あたしと一緒にいてくれる?」
厚かましいお願いだと言う事は、サーザンももうわかっていた。
勝手に怒ったのは自分の方で。一緒にいてくれとそう言うのも自分の都合で。
本当は、シルンにもシルンの都合があるはず。でも、一緒に居たいのだと。それも嘘じゃない、本当の気持ちだった。
「サーザン…」
そっ、とシルンは手を伸ばした。撫でるように、サーザンの頭に触れる。
「…シルン?」
「俺は嘘つきだよ。嘘つきで、どうしようもない人間なんだ…。でも、サーザンが望んでくれるなら、俺はずっとサーザンのそばに居るって、約束するよ」
嘘だ―漠然と、サーザンは感じた。嘘つきなシルンの、優しい嘘。
きっと、もっと他に大切な事が出来たら、シルンはその約束を破ってしまう。
けれどその嘘も、シルンはつきたくてついているのではないのかもしれない。
「シルンはやさしいね…。ありがとう」
それが、シルンの今の精一杯の気持ちだとわかったから。サーザンは素直に礼を述べた。
「どういたしまして……ついでみたいだけど、ミレニアたちとも仲良くしてくれよな。確かにミレニアは、ああだけどさ」
「ああ、だね…確かに。うん、でもそうだね。努力はする」
ミレニアの態度に問題はあるとサーザンは思っていたが、ミレニアを毛嫌いしているのは自分も同じだ。
好いていないのに、上手くなんてやれるわけがない。
「ターヴィにも、お礼言わなくちゃ」
「ターヴィも、あれで面倒見のいい所があるんだよ。もともと、孤児サーカスにいたらしいから」
「うん」
今まで、見えていなかったけれど。皆それぞれに味があって。ホントは見ようとしていなかっただけ。
だからそんな弱虫な態度にはサヨナラして、もっと強い自分でありたい。
そうすれば、きっともっといろいろ見えてくるはず。
「不思議だね。あたしの世界には、リュウシとオトウサマしかいなくて。それが全部だったのに」
「最初は皆そうだよ。きっとね。でも、いろんな人と出会うのは、辛い事もあるけど楽しいだろう?」
「…そうだね。不思議で、すてきなこと…かもしれない」

『そうして、人は大人になってゆくのですよ』

「え?」
気のせいだっただろうか。竜使の声が聞こえた気がした。
それは、いつものリュウシの声に比べて、ひどく遠くに聞こえたのだけれど。
「サーザン?」
「…あ、ううん…ごめん。気のせいかな、リュウシの声が、聞こえた気がしたの」
「…竜使さん、か」
「きっと、気のせいだね。リュウシはもっと、はっきりと喋るもの」
きっと気のせいだから、聞こえなかった――その言葉は。
「…サーザン。俺にもね、妹がいたから…竜使さんの気持ちも、わかる気がするんだ」
柔らかな表情を浮かべて、シルンがそんな風に言った。突然の言葉に、サーザンが混乱する。
「え?…リュウシの、気持ち?」
「竜使さんにとってきっとサーザンは妹みたいなものだろう。だから、わかるんだ。竜使さんがサーザンを大切だと思う気持ちも、サーザンのためを思って行動する気持ちも…。きっとね、妹の幸せを願わない兄なんていないよ」
「……シルン…」
「だから、サーザンは幸せになって、竜使さんを喜ばせてあげ ないと」
その言葉は、サーザンに向けられた言葉なのか、それとも自分の妹に向けた言葉なのか。
それが気に入らなくて、サーザンは憎まれ口を叩いた。
「…なんか、シルン、年寄りみたい!」
そうかな、といってシルンは情けなさそうに笑った。サーザンにはそれが楽しくて、一緒になって笑った。
二人が、本当に和解した瞬間だった。


  ねえ、リュウシ。
  誰かを理解しようとする事は、とても難しいね。
  でも、あたしは本当に、シルンの事を知りたいと思ったんだ。
  それは、きっとすてきな事なんだね。
  でも、怒らないでね。リュウシ。
  あたしはいつだって、リュウシの事が一番大切だから。



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