ミレニアの「売り飛ばし」からサーザンを守るべく、
姿を現した竜使。しかし、竜使とミレニアの会話は
まったくかみ合っていなかった…。
 ノーレインからの命を受けたハーベラも、竜使の
魔法で気を失ったまま――…。


せるふぃっしゅ道中記 第3章 氷の少年
3.

「……」
何かの視線を感じた。
「……?」
うっすらと瞳を開けると、不安げに(正しくは不審なものを見る目つきで)中年の男がこちらを覗きこんでいた。
「…あ、生き返っただ」
「???」
生き返った。それは、もしかしなくても自分の事なのだろうか。
何かを問うとして自分の身体が酷く重いことに気がついた。まるで自分の身体ではないように。
(…何があったのでしたっけ…?)
ぼんやりとした頭で思い返してみる。まずここはどこなのだろう。
薄暗い天井、みすぼらしい親父。見覚えはまったくない。
ならば、どうして自分はこんなところにいるのだろうか…。
(私は、ノーレイン様に仕えていて…)
彼のためならどんな事もすると誓った。そして、その彼が。
「……!!」
全てを思い出して、ハーベラは勢いよく身を起こした。
「ぎゃっ!!」
危うく吹っ飛ばされそうだった宿屋『凩』の主は慌てて身を引いた。
そんなことはお構いなしに、ハーベラは怪我をものともせず、すっくと立ち上がると、よくわからない奇声を発しながら宿屋を飛び出していった。
「……何だ、ありゃぁ…」

「…で、ここのパフェが美味しいんですって。ね、食べていきましょうよ竜使様」
ミレニアは夢見心地の表情で竜使の袖を引いた。
しかし、竜使は先ほどのミレニアへの怒りも忘れてしまったように、ミレニアにはひたすら無関心だった。
竜使はミレニアには視線すら向けず、街を行き交う人々をどこか不思議そうに眺めていた。
その首からは先ほどミレニアがはめた首輪が長い鎖をたらしていた。明らかに、異様な光景である。
「ねぇ、竜使様ってばぁ」
甘えるように身を摺り寄せるミレニアに、唐突に何かを思い出したような顔で竜使が視線を向けた。
「ミレニア」
「はい、何でしょう?竜使様」
ミレニアの顔は、続く竜使の言葉を期待して輝いた。しかし、それはまったくミレニアの予想外のものだった。
「竜の剣はどこにあります?」
「竜の剣?」
突然言われた言葉に、ミレニアは眼を白黒させた。竜の剣―――ミレニアたちがシュトラル=セレナからサーザンに渡すように頼まれて、そしてサーザンに渡して、その後は…。
「…サーザンは持ってなかったと思うし。サラちゃんが持ってたんじゃないかしら」
そういう『雑務』は基本的にシルンの管轄だ。ミレニアもよく把握していなかった。
「シルン=サラですか」
「竜の剣がどうかしたんですか?」
この二人にしては不思議な事に会話が成り立っていた。しかし残念ながらミレニアがその事実に気付く事はなかった。
「いや、何か不穏な『意志』がこの街に存在するようです。おそらく狙いは、竜の剣」
そう言うと、竜使は面を上げた。銀の瞳が不思議な色に煌く。それを見ながら、ミレニアはやはり竜使は美しいと思った。
「しばらく、サーザンの身体を借りている事にしましょう。それが、竜の守人たる私の務めなのですから」
竜使のその言葉は言い換えればサーザンを取り巻くもの――つまり、シルンたち全てを信用していないということだ。
しかしミレニアにとってそんなことはお構いなしだ。
肝心なのは、竜使が『竜使』としてここに存在しているか否かなのだから。
「そう、それがいいわ!竜使様♪」
ここぞとばかりにミレニアは竜使甘えまくった。
腕をからめて幸せに浸るその顔は、普段のミレニアからは想像もつかない程少女じみている。
このままこの時間が続けばいいのに、とミレニアは心底思ったが、そんな事は到底叶わぬ願いである。
彼らの幸せな時間を崩壊に追い込む者は、二人の前方からやって来た。
「あ!ミレニアちゃんだぁ♪」
「お前何…うわあ、怖えぇ!!何だコイツ…!と、あれ…竜使…だったか?」
ターヴィ&アーヤンの凸凹コンビが二人の行く手を遮った。見慣れた二人の登場にミレニアはこの上なく顔をしかめた。
「何よ、あんたたち邪魔よ、しっしっ」
「って、俺様は家畜じゃねーぞ!何だ、その追っ払い方は!!」
ミレニアの高慢な態度にターヴィが噛み付いてくる。いつもいつも邪魔な男だ。
「うるさいわね!私は今竜使様とのラブラブデートの真っ最中なんだから!邪魔してんじゃないわよ、この妖怪!!」
「妖怪たぁなんだ!…っつーか、ラブラブデートって、お前いくらなんでもそりゃ死語だろっ!」
不毛な会話を背景に、アーヤンは竜使の首からぶら下がった鎖の先を掴んで遊んでいた。
「なにこれ〜?かわいいー♪」
アーヤンは鎖を景気良く引っ張ると、浮かれた足取りでステップを踏む。竜使は何も言わずその後に従った。
「わ〜い、おさんぽ〜♪」
「やめなさい!」
見るに耐えない姿にミレニアが一喝した。この連中ときたらバカにしているにも程がある。
竜使と過ごす時間は限られているというのに、どうしてこうも邪魔を仕掛けてくるのか。
「あんたたち、この私に恨みでもあるわけ!?」
「恨みは数え切れねぇほどあるぞ」
「…ま、それは置いておくとして」
ミレニアが咳払いして話を打ち切った。話し合いなんてそういうものだ。
「それより、何でアイツがいるんだ?サーザンはどうしたんだよ」
「知らないわよ。同じ身体なんだから、別にいいんじゃないの?私はいないほうがせいせいするわ」
「…よくわかんねーけど。さっきお前が言ってた『生活手段』はどうしたんだよ?下手な事するとサラがまたキレるぞ」
「サラちゃんなんか、怖くないわよ。どうせたいした事出来ないんだから」
「お前なー…」
シルンが聞いたら憤死しかねない。ターヴィが呆れて溜息を吐く。しかし、それはミレニアの偽りない本心だった。
シルン=サラなんて怖くない。どれだけ剣の腕が立ったって、あの男は所詮敗者なのだから。
いくら吠えてみせても、それは負け犬の遠吠えでしかない。
「そいや、サラの野郎はどうしたんだ?」
「知らないわよ。どこかにいるでしょ。それより私は忙しいんだから、邪魔しないでよね!」
「へっ、お前らの気色悪い姿なんか、こっちだって願い下げだ」
「はっ、自分が醜いからって拗ねちゃって。せいぜい吠えてなさいな」
ひらひらと、ターヴィをバカにするように手を振って、ミレニアは竜使の側に寄り添った。
しかし竜使の視線はミレニアの方を向いていなかった。
その視線の先にあるのは、相変わらず鎖を握り締めたままのうさぎ娘のにこにこ顔だった。
真剣な竜使の表情と、緊張感のないアーヤンの笑顔が交錯する中、妙な間が流れた。
「えへっ」
「えへっじゃないわ、えへっじゃ!」
何故か照れたように笑うアーヤンに大声でつっこんで、ミレニアはアーヤンの手から鎖をもぎ取った。
「いい加減にしなさいよ、あんた!竜使様を侮辱するなんて言語道断だわっ!!」
「アーヤン、リュウシさんとあそびたかっただけなのにー」
「他所でやんなさい。他所で」
「ミレニアちゃん…」
「泣き落としても駄目よ」
底意地の悪い顔で、ミレニアはアーヤンを突き放した。そこへ――…
「――ミレニア…」
「はいっ、なんでしょう?竜使様?」
夢見る乙女のように百八十度表情を変えたミレニアに、ターヴィが大袈裟な溜息を吐いた。
しかし竜使はミレニアの変化を見ていなかったのかそもそも興味がないのか、非常にマイペースな口調で続けた。
「お客様です」
「は?」
ミレニアはわけがわからないという表情で竜使を仰ぎ見た。しかし、竜使は黙って一点を指差すだけだった。
大人しくミレニアもターヴィもアーヤンも視線をそちらへと向ける。
そこには、ズタボロの衣装を身にまとった、竜族の女が息も荒く立っていた。
街中を歩いていた人々はぎょっとして立ち止まり、一同を遠巻きに眺めていた。
「…よっ…よー…やく、み…見つけ…た…わよ…」
地獄から這い出して来た餓鬼のような、鬼気迫る表情で女・ハーベラが一同を見渡した。
しかし、対するミレニアたちといえば――ターヴィはあからさまに胡散臭いものを見つめる表情で数歩後ずさり、アーヤンは遠慮なくハーベラを指差して「ぶきみー」とのたまった。竜使などハナからハーベラの存在を歯牙にもかけていないし、ミレニアはと言えば何事もなかったかのように竜使の腕に身を摺り寄せた。
「…無視してんじゃないわよっ!」
小刻みにぶるぶる震えると、ハーベラは怒りで我を失った目で一同をキッと睨み据えた。
全身から怒りのオーラが噴き出し、強大な魔法の気配が膨れ上がった。
「やーん、こわいよぉ、ターヴィ!」
「うわ、何だよアレはよ!?俺様の管轄外だぞ!!」
「冗談じゃないわよ!!私だって管轄外よ!!」
化物染みた奴とは、闘うのもご免だった。ああいう輩は大概にして「火事場の馬鹿力」を使ってくるものだ。
自ら死地に赴くような真似を誰がするというのか。普段ならシルンに押し付ける勝負だが、あいにく彼は今不在だった。
(だからと言って、竜使様のお手を煩わせるわけにはいかないし…)
となれば答えは一つ。ミレニアは竜使の手を取ると回れ右をして駆け出した。
「逃げるが勝ち!」
「あ、ずりーぞ!!ミレニア!!」
遅れをとってなるものかとターヴィとアーヤンもそれに続く。だが我を忘れたハーベラの追撃力は並ではなかった。
怒りに任せて距離を一気に詰め、奇声とともに鋭い爪を振り下ろした。
「キシャアァァ―――!!」
「…!!」
ミレニアとターヴィが振り向く。日の光をうけて、爪が鋭利な軌跡を描く――!
「っぉお!!」
間一髪、ターヴィの髪が驚異的なスピードでハーベラの腕に巻きついた。
爪の先は、ミレニアの瞳と数センチも離れていなかった。
「…へっ、感謝しろよ、ミレニア!」
「あーら、別に頼んでないけど?」
顔を若干引きつらせていたが、ミレニアの悪態は相変わらずだった。
「ちょうど良かったわ。あんたそのまま掴んでなさいよっ」
「あぁ!?…」
ターヴィの返答を待たず、ミレニアは詠唱に入った。標的が動かなければ狙い撃ちできる
。しかし捕獲をしているターヴィは溜まったものではなかった。
片腕を取られつつもハーベラはもう片方の手でターヴィに襲い掛かかった。鋭い爪がターヴィの肩口をかすかに抉る。
「…ってぇなっ!」
「ターヴィ!!」
「俺様を、なめんじゃねーっての!!」
妖怪技ならこちらが本家だ、と言わんばかりにターヴィは髪の毛でハーベラを締め上げた。
さらに追撃とばかりに「炎の矢」を放つ。
「グッ!!」
四肢を絡め取る髪と魔法攻撃にハーベラが怯む。そこへミレニアが完成させた呪文を放った。
「氷の槍!!」
「――――――!!」
「ぎゃー!いでででで!!」
上がった悲鳴はターヴィのものだった。ミレニアが面倒とばかりにターヴィもろとも攻撃を仕掛けたからである。
「痛ぇー!何しやがるこの野郎!!」
どくどくと血を流しながらターヴィは怒鳴ったが、ミレニアが聞くはずもない。ターヴィは完全に無視して、もう一人の獲物――ハーベラを覗き込んだ。
「直撃だもの――気を失って…」
言いかけた言葉は不自然な形で途切れた。ハーベラの眼光の凄まじさに、ミレニアが思わず怯んでしまったのだ。
「ミレニアちゃん?」
強気が信条のミレニアだったが、ハーベラの有り様はその範疇すら越えていた。普通ではない――いや、異常という言葉ですら片付けられない。ハーベラを突き動かすものは果てしない執念だった。
「竜の剣を、寄越しなさい―――!!」
魂の絶叫―ターヴィもアーヤンですら言葉を失った。ただ一人、竜使だけが変わらぬ眼差しをハーベラに向けていた。
「私は死なないわ――!竜の剣を手にするまで!!」
ハーベラにはもう何も見えていない。その極みまで彼女を突き動かしたものは果てしないノーレインへの思慕の念だった。
もう幾年前かも思い出せないほどの昔―――まだハーベラが「小娘」でしかなかった頃の事だ。
ハーベラは一人の人間の男を愛した。種族も、考え方も、外見も、寿命も―何もかもが異なってはいたけれど、それでもずっと寄り添っていられると思っていた。
しかし信じていた思いとは裏腹に、あっけなく男は病で死んだ。ハーベラは独りぼっちになった。
悲しくて、せつなくて、やりきれなくて、もう二度と『自分以外の存在』を愛する事など止めようと誓った。
そうして、長い時を海の底で過ごして―そのままいつか朽ちるだろうと思っていた頃に、ハーベラは彼に出会った。
彼は小さい身体で、幼い瞳で、到底果たせるとは思えない願いを抱いていた。
彼の悲鳴のような呼び声がハーベラの耳に届いた時、もう一度だけ誰かのために生きてみようと思ったのだ。
ハーベラは『召喚』という契約が無ければ人の姿をとり陸に上がる事も叶わない脆弱な竜でしかない。
しかしそれでも立ち向かわないわけにはいかなかった。
他でもない、かけがえの無い彼女の主人が瀕死の危機に晒されているのだから。
ハーベラは傷ついた手を振りかざすと、魔法の力を集約した。すでに限界を超えていたが、そんな事は関係なかった。
すべての寿命を削ってでも、ここを勝ち抜く。それで果てたとしても、悔いはない。
「雷の鞭!」
ハーベラの魔法が凄まじい破壊力を伴って一帯を薙ぎ払った。轟音と爆風に次々と悲鳴が上がる。
石畳に彩られた目抜き通りは凄惨な修羅場と化した。
「ったく!周りの迷惑ってヤツも考えなさいよねっ!!」
ミレニアは数歩下がって距離を取ると吐き捨てるように呟いた。
普段は自分がしていることだというのに、他人の事はよく見えるものである。
しかしハーベラの辺りをはばからない振る舞いにも、ひとつだけ利点があった。
さすがに騒ぎを聞きつけたのか、皆が待ちに待った最後の一人が到着したのである。
シルンは悲惨としかいえない光景とハーベラのあまりの剣幕に呆気に取られながらも、律儀にミレニアに状況を尋ねた。
「一体、どうしたんだ。あれはこの間の竜族だろう!?」
しかしミレニアはシルンの声を聞くなり、質問にも答えず反射的に叫んでいた。
「遅いわよ、サラちゃん!!」
「遅いって…仕方ないだろ。これでも騒動を聞きつけてすぐに来たんだぞ」
「そんなの察してさっさと来なさいよ!こういうのは全部サラちゃんの管轄なんだから!!」
その言葉を聞いて思わず力が抜けた。ミレニアの口調には差し迫った緊迫性がない。
つまりはのっぴきならない事態ではないということだ。
「――いつから俺の管轄になったんだ」
自分の身に降りかかる火の粉はともかく、道端で起こった騒動まで引き受けなければならないいわれはない。
大体、目立つことからしてシルンは遠慮したい事態なのだ。
しかしシルンが遠慮したがってもハーベラの暴走は止まらない。
仲間が相手にしている以上、見てみぬフリも出来ないのが事実だ。
(―――仕方ないな…)
結局はこういう役回りかとシルンは溜息を吐いた――が、ミレニアとターヴィ、アーヤンと見回して一人足りないことに気付く。
「サーザンは…?」
不安に思って辺りを見回すと、こちらを見ている白い青年と目が合った。シルンは一瞬息を呑んだ。
その視線に射すくめられたのかもしれない。
彼――竜使と会うのは実質二度目だったが、その視線が以前よりもずっと冷たく感じられたのだ。
「竜使さん…」
「お久しぶりです、シルン=サラ」
竜使の口調は落ち着いていた。けれど、この竜使と言う青年はよほどの事がない限りは表に出て来ないはず――今は、それほどの緊急事態なのだろうか。シルンは急に不安になったが、それを拭うように竜使は言葉を続けた。
「焦ることはありません。あれは、我を失った下等竜が暴走しているだけです」
「…いや、だけって言っても…」
それをこんな風に眺めていても良いものだろうか。確実に町は破壊されているというのに。
「どうしました、シルン=サラ。心が痛むのですか?」
「――!!」
まるでこちらの心の内を読んでいるかのような竜使の口調に、シルンはドキリとさせられた。
そんなシルンの様子を眺めて竜使は薄く笑った。
「大丈夫。あの程度では放っておいても自滅します。『竜の剣』に手をかけることすらできはしない――」
そう言って、竜使はシルンの背に括り付けられた竜の剣に視線を向けた。
竜使の言葉にシルンは嫌でも思い出させられた。
ハーベラの狙いは竜の剣――彼女は、サーザンの形見を付け狙う者なのだ。
自分の都合だけで、小さな少女の意志など無視する――。
「――それでも被害は出るでしょう。俺はこれ以上悲劇を繰り返させたくはない」
シルンは剣を抜くと、暴走するハーベラに向かって跳躍した。
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