幼き主・ノーレインの命を受け、命懸けで「竜の剣」の
奪取を目論むハーベラ。
我を失ったハーベラに、シルンはついに剣を抜いた。
その様子を、竜使は悠然と眺めていた。


せるふぃっしゅ道中記 第3章 氷の少年
4.

「どけっ、ターヴィ!」
「サラか!?」
シルンの鋭い叫びにターヴィが応じる。伸ばしていた髪を縮め、軽く後退してハーベラから間合いを取った。
そこにシルンが勢いよく切り込む――!
「やめろっ!」
シルンの剣をハーベラは左腕で受け止めた。魔法で強化して受けたため、腕が傷つくことはない。
けれど、その勢いまでも完全に殺してしまったハーベラの剛力には、さすがにシルンも目を瞠った。
意志だけの力かもしれない。それだけに予測がつかず、シルンは恐ろしさを感じた。
「…なっ」
「邪魔を、するなっ!!」
ハーベラは随所に火傷を負っており、その姿はまるで幼い頃に語り聞かされた鬼のように化物じみていた。
その瞳には狂気しかなく、周りなど見えてはいない。怒りに全てを任せた瞳だ。
おそらく求める竜の剣がすぐそこにあることも見えていないだろう。
これでは竜使の言う通り、すぐに自滅してしまうに違いない。
(何を、そんなに―――)
シルンははっと息を呑んだ。今まで気付かなかった事、考えもしなかったことに思い至ったからだ。
竜の剣を付け狙う者――『スレーム帝国』、そして『ノーレイン』。片方のスレーム帝国の方は目的もはっきりしている。
「竜の剣を持って世界統一を成す」と、以前現れた刺客・ルーメイトが口にしていた。
けれどもう一方のノーレイン、つまりこのハーベラの属する者たちの目的は何なのだろう。
それもまた、懲りずに世界制覇などと言うのだろうか。
それなら、何故その大将であるノーレインが姿を現さないのだろう。
ノーレインに属する者で、シルン達の前に現れたのはハーベラとナーレーダの二人きりなのだ。
(いや…そもそもどこからが始まりだ…?)
竜の剣はもともとサーザンの父であるシュトラルが所有していた。
だが、ラセン村はスレーム帝国によって滅ぼされ、シュトラルもまた瀕死の重傷を負って、ミレニアたちに竜の剣を託し絶命した。この竜の剣をめぐるシルン達の闘いはそれから始まったと言っていい。
けれど、本当に『闘い』事態が始まったのはいつなのだろう。
シュトラルが殺された時からだろうか。それともラセン村が滅ぼされてから…?
(ラセン村を滅ぼしたのはスレーム…。じゃあ、シュトラルさんを殺したのは――?)
最初にシルンたちを襲ってきたのはナーレーダ――つまり、ノーレイン達だったから、シルンは無意識にノーレインがシュトラルを殺したのだと思い込んだ。
だが、確証は何もない。本当はそれもスレーム帝国の仕業だったのかもしれない。
竜の剣を狙いシュトラル=セレナを殺害したが、目的を果たすことが出来ず、その故郷を襲った――そう考える方が自然だ。
だとしたら、ノーレインは一体どう絡んでくるのだろう…?
「―――っ!!」
考えに没頭していたせいか、シルンはわずかに反応が遅れた。鋭く繰り出されたハーベラの爪に、浅く頬を傷付けられる。
「何やってんのよ、サラちゃん!」
無責任なヤジが外野から飛ぶ。
すっかり傍観を決め込んだミレニアの隣で、竜使は銀の瞳を煌かせて、闘いの行方を面白そうに眺めていた。
「サラ、援護するぜ!」
「いや、ちょっと待ってくれ…」
荒く息を吐きながら、シルンはターヴィを抑制した。ここでハーベラを伸すことは多分出来るだろう。
だがそれでは、結局真の回答は得られない。
(ノーレインは、何者だ…?)
考えようにも、情報があまりにも少なすぎる。そもそも考えるだけでは答えの出ない問いなのだ。
だとしたら、聞く相手は一人しかいない。まずはハーベラの暴挙を抑える事だ、とシルンは意識を切り替えた。
「ターヴィ、ハーベラを掴まえてくれ。倒さなくてもいい。少しの間だけ、動きを止めてくれれば」
「――?お、おう」
ターヴィはシルンの遠慮気味の要請に不思議そうな顔をしたが特に異論はなかった。
「手加減しろってことだな」と納得して、しゅるしゅると髪を伸ばした。
その様子に気付いたのだろう、それに絡め取られてはたまらないとハーベラは無差別な攻撃魔法を放った。
「――ってぇ!!」
顔面に雷の矢を受け、ターヴィが怒声を上げる。だが、シルンは一瞬の隙を見逃さなかった。
放たれる矢の間を潜り抜け、ハーベラに向かって一気に跳躍する――!
「止めろ――!」
シルンは体当たりをしながら、ハーベラに剣を突き立てた。
「―――!!」
さすがのハーベラもそれには耐えられず、衝撃に吹っ飛ばされた。背中を激しく地面に打ちつける。
さらに間髪を入れず左肩のすぐ上、耳の脇にシルンの剣が突き刺さった。
直接の傷にはならなかったが、さすがに恐怖はあったのだろう。ハーベラは眼を見開いた。そこに初めて正気が戻っていた。
「――な…」
ハーベラは焦点の合った目で自分に覆い被さるように馬乗りになって剣を突き立てているシルンを見上げた。
ハーベラからは逆光になっていて表情までは分からなかったが、シルンもまた酷く息が荒れていた。
「――止めろ、ハーベラ」
繰り返すように言うと、シルンは剣を杖代わりにして立ち上がった。
それから剣を引き抜くと、それをハーベラには向けずに鞘に収めた。
「ちょっとサラちゃん何やってるの!?」
途端にミレニアからはブーイングの嵐。ミレニアだけではない、ハーベラもシルンの態度に警戒した。
「――な、何のつもり…?」
痛む身体を起こしつつ、ハーベラはシルンに牙を向いた。けれどシルンはハーベラに対して剣を抜かなかった。
代わりに真剣な眼差しで言葉をかける。
「ノーレインは何者だ?どうしてお前たちは竜の剣を奪おうとするんだ」
シルンにしてみれば一種の賭けだった。
ハーベラがこちらの問いには答えずに問答無用の反撃に出てしまったら、いくらシルンといえど無傷では済まないだろう。
けれど、剣を向けてしまっては話し合いにすらならないのだ。
シルンは自分自身のために、この闘いの『意味』を知っておきたかった。
ハーベラはまだシルンに対して警戒を解かない。意識はシルンの背にある竜の剣に向けられている。
二人の間に緊張が走った。と、そこへ緊張感のない声が割り込んだ。
「サラちゃん、なにいってるの?そのおばさんたちは、シュトラルさんのことおそったひとたちでしょ?わるいことするためにきまってるじゃん!」
これが正解!とばかりに胸を張ってアーヤンが言った。
その姿にシルンは思わず苦笑したが、ハーベラの顔色は一転して変色した。
「何を馬鹿な!何故私たちがシュトラルを殺さなければならないの!!シュトラルを殺したのはスレーム帝国!そしてお前たちが私たちの邪魔をしたのでしょう!?」
「――!?」
今度はシルンが顔色を変える番だった。自分たちが、ハーベラの邪魔をした?何をどうすれば、そうなると言うのか。
「――違う、俺たちは邪魔なんかしていない!俺たちは彼の願いを聞いただけだ!」
それなのに、邪魔をしたと妬まれで命を狙われたのではたまらない。それではまるでサーザンの勘違いと一緒ではないか。
(――サーザンの、勘違い?)
自分の思いつきにシルンはドキリとさせられた。サーザンが勘違いを起こしたのは何も知らなかったからだ。
そう考えたとたん、シルンは嫌な予感を覚えた。これは――。
そしてシルンの予想通りというべきか、ハーベラは顔を真っ赤にしてシルンに食って掛かった。
「嘘を言うな!!それならどうして竜の剣を持ち出した!?シュトラル=セレナは私たちの協力者だったのに――!」
「……!!」
協力者――初めて聞く言葉だった。シルンは思わず天を仰いだ。
竜の剣をシルンたちに託したのは紛れもないシュトラル=セレナだった。それが、ハーベラの協力者だというのか。
「その剣は、私たちが貰うはずだった。それなのに、何故邪魔をするの――!?」
「待っ…」
シュトラル=セレナは彼らのことなど一言も言わなかった。だからそんなはずはないのだが、しかし否定する確証も無い。
嫌な予感は的中してしまったかもしれない、と言葉を詰まらせたシルンを見かねたように、ミレニアが横へずずいと進み出た。
「何騙されそうになってんのよサラちゃん。そんなわけないでしょ!私たちは最後の言葉を聞いていたんだから」
ミレニアの言葉にシルンは現実に引き戻された。そうだ、シュトラルの最後の言葉。
シュトラルが最後にシルンたちに頼んだのは竜の剣を『サーザン』に届けることだ。だから他に、味方がいたはずがない。
「力では敵わないからって、今度は騙し取ろうって魂胆だろうけど甘いのよ!そんな二番煎じの嘘で、このミレニア様に太刀打ちできるはずがないでしょ!?」
「嘘ではない、これは本当の事だわ!!シュトラル=セレナは、ノーレイン様に竜の剣を譲ると約したのよ!」
「――はぁ!?」
「そのために、シュトラルはわざわざユプシロンまで出向いたのではないの!!」
「……ユプシロン…?」
ユプシロン――そのキーワードで、シルンの中で鍵の一つがはまった様な気がした。
『ユプシロン』――砂漠の大陸。そこで、ミレニアたちはシュトラルと出会った。それは疑問に思う事ではなかった。
けれど、改めて考えればそれはおかしい。
何故、オミクロン大陸に住んでいたシュトラルが、わざわざ竜の剣を持って海を渡ったりした?
(何か、目的があったのか?)
シュトラルはそれに関しては何も語りはしなかった。けれど、何もなかったはずがない。何かがあったと考える方が自然だ。
「…それが、君の主人に会うためだっていうのか?」
「そうよ。シュトラル=セレナは言ったわ。竜の剣を邪な考えで振るおうとしているものがオミクロンいると。彼らにこの存在を気付かせるわけにはいかない―――だから、竜の剣はオミクロンから離れた場所で『解放』しようと。シュトラルが選んだのはユプシロン大陸だった。そのために、ノーレイン様はナーレーダを遣わせたのだから」
ハーベラの言っている事が正しいのかどうか。それはもはやシルンには判別がつけられなかった。
本当の事実を知っている者などここにはいない。…いや。シルンは恐る恐る竜使を振り返った。
この奇麗すぎる竜の守人なら、もしかしたら何がしかの真実を知っているのではないだろうか。
なぜなら竜使は、シュトラルが死んだことを遠く離れたオミクロンで知っていたのだ。
そのシルンの思いを感じたのか、竜使は薄く笑った。どこか人を小馬鹿にするように。
「貴方がたが判断を誤ったのですよ。シュトラル様がわざわざ出向かれたというのに…貴方の主人はそこへ出向こうともしなかったのだから」
「…!?」
シルンは耳を疑った。その竜使の言葉は、まるでハーベラの言い分を肯定しているようではないか。
「竜使さん!?」
「今、なんて…」
シルンだけではない。一同が竜使に疑惑の眼差しを向ける。
だがそれには気が付かないような素振りで、竜使はハーベラにいけしゃあしゃあと言った。
「それに訂正しておきますが『譲る』ではない。『貸す』だけです。勝手に約束を違えるような真似をするから、貴方がたは信用が無いのですよ」
「何を…!」
ハーベラがいきり立ったように顔を赤く染めた。けれど、シルンはまだ反応が出来ない。
話がどう進んでいるのかがまったく見えないのだ。
ミレニアの方がその衝撃からは早く立ち直り、困ったような表情を浮かべて竜使にあらためて問うた。
「竜使様、いったい何が…どうなっているのですか…?」
「どうもこうも、お聞かせした通りですよ。シュトラル様はご自分の身体を『鞘』として竜の剣を守っていらした。それを、どこから嗅ぎ付けたのか、そこの女竜の主人が『竜の剣を貸して欲しい』と言い出したのですよ。お優しいシュトラル様はその願いを聞き入れ…かのスレームに奪われないようにと海までも渡って竜の剣を解放した。それなのに、ノーレインとかいう半竜はその場には現れなかったのです。そして、運悪く竜の剣の存在はスレーム帝国の手の者に知られてしまった…。あとは皆さんがご存知の通りですよ。シュトラル様は竜の剣を貴方たちに託した」
「おい、ちょっと待てよ…。じゃぁ、何か?このおばさんは敵じゃないって事かよ?」
ターヴィの言い分はもっともだ。
シュトラルが剣を渡そうとしていた相手なら、必死になって迎え撃つことなどなかったではないか。
それならそうと早く言ってくれれば良かったのだ。 しかし、竜使はあくまでも姿勢を崩しはしなかった。
「それはサーザンが決める事です。シュトラル様は、竜の剣をサーザンに託したのです。サーザンが竜の剣の主であると。どこかの馬の骨などではなく」
「馬の骨!?言うに事欠いて、ノーレイン様を侮辱する事は、私が許しませんよ!!」
「貴方の許しなど必要ありません。そもそも、シュトラル様の信頼を裏切ったのは貴方がたではないですか」
「ノーレイン様に結界の側を離れる事など出来るはずがない!それはシュトラルも承知の上だったはず…!」
「それは今はもう確かめる術などない。確実に言えるのは、今の竜の剣の主はサーザンだということだけです。貴方がたが敵になるか、それとも同士と呼べる存在になるかは、サーザンが決める事なのです」
臆することなく自分の意見を述べると、竜使は皆を試すように一同を見下ろした。
その視線に威圧感を覚えながらもシルンは口を開いた。
「じゃあ…竜使さんは知っていたんですか…何もかも」
「前にも言ったでしょう。私は神ではないから、全てを知りえる訳ではないと…けれど、何も知らなかったわけではありません。私が不安を覚え、シュトラル様の後を追った時はもう遅かった。シュトラル様は亡くなり、ラセン村はスレーム帝国の手の者によって滅ぼされた。残されたのは何も知らないサーザン一人です。サーザンに全てを語って聞かせても、今は混乱するだけです。だから私はサーザンには全てを言わなかった。サーザン自身が、進むべき道を選べるようにと」
竜使の態度はすべてサーザンの事を思ってのことだ。それはシルンにもなんとなくわかった。
けれど、それにしてはあまりにも独りよがりすぎはしないだろうかと、行き場のない怒りがシルンの中に生まれた。
しかしシルンが口を開くより早くターヴィが竜使を睨み据えると刺のある口調で竜使を責めた。
「じゃぁ、何か!?お前、俺様達を見て、笑ってたのかよ!?」
「人聞きの悪い。貴方たちがサーザンの友となるなら、それも良いと思っただけですよ」
人聞きが悪いと言っても、竜使はターヴィの言うことを否定していない。
この状況を一人高みの見物で楽しんでいたのは明らかだった。
「…お前、実はかなりの性悪なんじゃねぇか…?」
「このくらいでないと、守人など務まりませんよ。さぁ、言うべき事はすべて語りましたから、後はサーザンの意志に任せる事にしましょうか」
勝手に自己完結すると、竜使は瞳を閉じた。その身体が、淡い光に包まれる。
「あ!竜使様!!お待ちになって!!」
あれだけコケにされても、ミレニアの乙女心には全く関係がないようで、ミレニアは消えゆく竜使に必死に縋りついた。
しかし竜使に留まる意志は皆無だったようで、ミレニアの手の中で、竜使の存在は儚く消え去った。
そこに残ったのは、小さな赤髪の少女だ。自然と、一同がサーザンを見下ろす形になる。
一人何も知らないサーザンは、不思議そうに目を瞬かせた。
「―――…」
シルンは途方に暮れた。事の顛末をサーザンにどうすれば良いのか判断がつかなかったからだ。
(…もしかして、竜使さんはこれが面倒だからさっさと姿を消 したんじゃ…)
嫌な予感に顔をしかめる。竜使という存在は、実はミレニア以上に我がままなのかもしれない。
当然シルン以外の面々は、そんな厄介な事はゴメンだとばかりに眼を背けていた。
――いや、ミレニアは悲しみに暮れては「竜使様――!」と叫んだりもしていたが。
一方、竜使が消えたことで俄然勢いを取り戻したのか、ハーベラの視線はシルンの背にある竜の剣に釘付けだった。
その視線に寒気を覚える。
「ちょっと、待って。とりあえず話を―――」
サーザンに状況を説明しなければ、とシルンは身を引きかけたが、ハーベラはそれを許さなかった。
「面倒な話は後よ!とにかく竜の剣を頂戴!!時間がないの!ノーレイン様が死んでしまう…!!」
「…死…?」
それほどの危機か、それとも何かの罠か―。シルンは疑ったが、ハーベラは飛びかからんばかりの勢いでまくし立てた。
「竜の剣さえ渡してくれれば、説明なんて後からでもするわ!! だから、とにかく今はそれを寄越しなさい!!」
「……待ってくれ。一体何がどうなってるんだ?」
混乱しているのはシルン達の方なのだ。そんなことを一方的に言われてもわけがわからない。
「スレーム帝国よ!あいつらが卑怯な手段でノーレイン様を陥れたのよ――!!」
「――!?」
スレームの名に一同は目を瞠った。あの圧倒的な力、その恐怖は簡単に忘れられるものではない。
その力と、ノーレインは対峙しているというのだろうか。
「だから、早く!取り返しのつかないことになってからじゃ遅いの!お願いだから――…っ!!」
涙ながらにハーベラは訴える。サーザンは戸惑ったようにシルンを仰ぎ見た。
シルンも動揺を隠せなかったが、サーザンは何も知らないのだ。シルンは出来るだけ主観を抜いて、客観的に事実を述べた。
「竜使さんが言うには――ノーレインは…ハーベラは敵ではなかったらしいんだ。シュトラルさんは、ノーレインに竜の剣を貸す約束をしたらしい」
「え………?」
サーザンが信じられないという顔をする。当たり前だ。シルンだって信じられなかったことなのだ。
「わ、わからないよ、シルン。何言ってるの?敵って何…ノーレインって誰!?」
「それは――…」
答えようとしてシルンも思い至る。ここへ来てもなお、シルンはノーレインが何者なのかを知らないのだ。
シルンは焦りを覚えた。
「お願いだから、話は後にして!時間がないの!!」
ハーベラの悲痛の叫び。ハーベラが心からそう言っているのは明白だった。
決断を迫られているが、話している時間はおそらくない。そして、その決断を下せるのは―――。
(竜使さんはサーザンが選ぶことだって言ったけど…)
それはあまりにも酷ではないだろうか。シルンの瞳に迷いが生じる。
しかし、サーザンはシルンの迷いを汲み取ったかのように落ち着いた口調でシルンに言ったのだ。
「シルン。ノーレインが敵じゃないって、リュウシがそう言ったんだね?」
「…あ、…あぁ」
シルンの返答を受けて、サーザンは今度はハーベラに真っ直ぐな瞳を向けた。
「ノーレインは今、困っているんだね」
ハーベラは力いっぱい頷いた。それで、サーザンは心を決めたらしい。
「それなら、あたしは信じる。リュウシはあたしに嘘なんか言わない。オトウサマがノーレインに貸すと言ったなら、あたしもそれに習おうと思う」
シルンは胸を突かれた思いだった。サーザンを、この少女のことを甘く見すぎていたかもしれない。
ただの小さな子供ではない、サーザンは二つの瞳で前を見ているのだ。
「本当――!?」
ぱっとハーベラが顔を輝かせる。しかし、ハーベラが二の句を継ぐよりも早く、サーザンは続けて言った。
「でも決めるのはちゃんと話を聞いてから!だから、あたしをノーレインの所へ連れてって。ノーレインから話を聞くまで、竜の剣を渡すことは出来ない」
サーザンの突然の提案にハーベラは戸惑った様子だった。
ハーベラにしてみれば持ち帰るのは竜の剣だけで、余計なおまけを連れ帰る気などなかったのだろう。
しかし、サーザンはハーベラの答えを聞くのももどかしいように、シルンを振り返った。
「シルン。リュウシの言うことだから…シルンの言葉だから、あたしはちゃんと信じるよ。でもあたしも本当の事が知りたい。ノーレインっていう奴に話を聞いてみようと思うの。だから、シルンも一緒に来てくれる?」
サーザンの迷いのない純粋な瞳。彼女の意思は、きっともう揺るがないだろう。シルンの答えは最初から決まっていた。
「あぁ。いいよ」
シルンの答えに、サーザンは嬉しそうに微笑んだ。これで一件落着――かに見えたのだが。
「何言ってんのよ。あんたら揃いも揃って人が良すぎんじゃないの!?」
水を指すようにミレニアの冷たい声が割って入った。途端にサーザンが目を尖らせる。
「それ、どういう意味だ!?」
「言ってる通りよ。別にこの際ノーレインが敵でも味方でもどうでもいいわ。だけど、その女が私達に対してしたことは紛れもない『宣戦布告』だわ。なんで私達を襲った相手に同情してやらなくちゃならないの!」
ミレニアはぎっ、と鋭い視線をハーベラに向けた。
「あんたも虫が良すぎるんじゃない?勝手に人のこと攻撃しておきながら、間違いでしたすみませんじゃないのよ。手を付いて謝りもせず、誠意も見せず助けなさい?冗談じゃないわ」
「――…っ」
ハーベラは怒りで顔を真っ赤に染めた。
一旦は落ち着いた話をミレニアのような第三者にかき回されることは我慢ならないだろう。
だいたい、剣の所有者であるサーザンはすでに認めているのだ。
「――まぁ、言われてみればそうだよなぁ」
ターヴィがミレニアの言葉に応じる。
ターヴィにしてみれば、ハーベラやナーレーダ――ノーレイン一味から受けたダメージは相当のものだ。
ミレニア以上に恨み節になっても仕方がないのだが。
「ミレニア…ターヴィ…ちょっと待ってくれ…」
ここで仲間割れをしても始まらない。シルンは折角のサーザンの決断を駄目にはしたくなかった。
しかしシルンの緩衝をも無視する勢いでサーザンがミレニアに叫んだ。
「だったらミレニアは来なければいい!!あたしはミレニアになんか頼んでない!!」
「何ですって?」
ミレニアが眉を吊り上げた。ここから始まるミレニアの罵声が予測でき、シルンは思わず顔を覆った。
けれどミレニアが叫びだすより先にまたしてもアーヤンが救いの一言を発したのだ。
「えー、つまんないな。アーヤンはいってみたかったのに〜」
「は?」
「ターヴィもミレニアちゃんも『ノーレイン』にあってみたくないの?アーヤンはあいたいなー」
アーヤンに言われてターヴィとミレニアは顔を見合わせた。ターヴィは少し気まずい顔をした。
「…まぁ、面くらいは拝んでやってもいいけどな」
「あ、ちょっとあんた何裏切ってんのよ!」
「別に裏切ってねぇだろ!お前こそ、サーザンの言う通り、嫌なら来なきゃいいじゃねーか!!」
「〜〜〜〜!!」
馬鹿にされたと感じたのだろう、ミレニアの顔が真っ赤に染まった。シルンは怒りで震えるミレニアの肩に手を置いた。
「気持ちはわからないでもないけど、ここはサーザンの意志を尊重しようよ。ミレニアがどうしても来たくないっていうなら…俺たちに止める権利はないけどな」
「…じ…冗談じゃないわよ!なんで私がサラちゃんごときに慰められなきゃいけないわけ!?行くわよ、言われなくても!!ただ私はねぇ、ノーレインには詫びを入れさせないと気が済まないだけ!!」
真っ赤になってミレニアは背を向けた。シルンはそれを見て苦笑した。
一方のハーベラといえば「詫びを入れさせる」発言にまた怒りをためていた。
「わーい、よかった♪これでみんないっしょにいけるねぇ!」
アーヤンだけが嬉しそうに喜んでいた。
「――ふーん、ミレニアも来るんだ」
「何よ」
「嫌なら来なきゃいいのに」
「嫌って言ってんじゃないわ。あんた最近生意気なのよ」
「まぁまぁ、落ち着いて」
この二人は折れると言うことを知らないらしい。ともかく行くと決まったからにはこんな所で時間をロスすることもない。
「ハーベラ…さん。俺たちはどこに行けばいいんです?」
時間がないのなら、すぐに出発しなければならないだろう。だが、ハーベラはシルンの考えを否定した。
「徒歩で行くことはありません。魔法で飛びます」
「まほう…って、かぜのまほう!?」
ハーベラの言葉を聞いてアーヤンが喜んだ。アーヤンだけではなく、皆が驚いただろう。
瞬間移動魔法――『風の移動陣』。その魔法を操れる者は、人間族ではほんの一握りしかいないが魔族や竜族の純血であれば比較的ポピュラーに扱う事の出来る、いわば種族の特権魔法である。それだけにミレニアたちにはその経験がなかった。
「風の魔法で、飛ぶのか!?」
ターヴィも興奮気味に鼻を鳴らせた。魔族の血は入っているが、ターヴィも風の移動陣を操ることは出来ない。
滅多にない経験が出来るのだ。
「そうです。こんな大人数で行ったことは一度もありませんけれど、今は一刻を惜しむのです。手段を選べる時ではありません。それに竜の剣の加護が得られれば、成功するはずです」
それを聞いてアーヤンもターヴィも大喜びだったが、シルンは枕詞の「大人数では行った事がない」発言が気掛かりで仕方なかった。このハーベラという女竜は相当頼りない気がする。
しかし、シルンの心配など他所にハーベラは一同に的確な指示を出していた。
「手を繋いで、そう円になって下さい」
ターヴィ、アーヤン、サーザンが言われた通りに手を繋ぐがまたしてもミレニアが反発した。
「アンタ、ちょっと偉そうなんじゃないの?」
「な、何ですかその言い草は!…じゃない、とにかく時間がないのです!!言うことを聞きなさいっ!!」
「あのねぇ、人様にものを頼む時は…」
「ミレニア、いいからここは任せてやれよ…」
見かねてシルンは口を挟んだ。時間がないのだと言うのに、こんな所で言い争っていたら本末転倒ではないか。
ミレニアは鼻を鳴らすとシルンと手を繋いだ。これはミレニアが「サーザンとだけは手を繋ぎたくない」と言った結果である。
ハーベラ、サーザン、シルン、ミレニア、ターヴィ、アーヤン、と続いてアーヤンとハーベラが手を繋いで円となっている。
「良いでしょう。では次に自分の身体が『風』になっている事を思い描いて。そう、どこへでも飛んでいけるようにと」
それは、他の魔法を使う事と同じ感覚だった。
曲がりなりにも魔法を使えるシルンにはできることだが、魔法を全く使えないサーザンには少々難しいようだった。
どうすればいいのか把握できずに、表情が強張っている。
「サーザン、そんなに難しく考える事は無いよ。自分の背に羽根が生えて、飛んでいけるとでも思えばいい。魔法の力は『思い』の力でもあるからね」
シルンの言葉に、サーザンはほっとしたように顔を綻ばせた。
「羽根、だね。うん…それならできるかもしれない」
シルンに言われた通りにサーザンは思い描こうとした。その隣のアーヤンやターヴィといったら気楽なものだった。
「わーい、わーい♪かぜのまほーだ♪おそらがとべる〜♪」
「瞬間移動かー。俺様も初めてだぜ…なんか、わくわくするな」
「ねー♪」
きゃっきゃっと楽しそうに笑う様は、シルンから見ても羨ましかった。
「――…で、大丈夫なんですか?」
「あとは、貴方がたの意志の力次第。その『竜の剣』が触媒と なるなら、私の力でも貴方がたをお連れすることも出来るで  
しょう」
シルンはハーベラの言葉に、自分の背に負う『竜の剣』を振り返った。シュトラル=セレナから託された、サーザンの剣。
古より伝えられる遺産に、本当にそんな力があるのだろうか。
「へー、すごいねー」
アーヤンは素直に感心していたが、シルンはどうしても心配が晴れなかった。
たとえ竜の剣の力が発動したとしても、本当にそれだけで『風の移動陣』が発動するのだろうか。
(…それとも――)
シルンは古くから言われている魔法の法則を思い返した。
『命を魔力に代えて魔法を行使すれば、不可能であるはずの力をも発揮する事が叶う』
それは誰もが知っている、けれど進んでは使おうとしない方法だった。
己の寿命を糧とすれば、限界以上の魔法を使う事が出来るという。
どれだけの魔法を使うと、どれだけの寿命を消費するのか具体的には知られていないが、あの伝説の三英雄のひとり、地神官サルトは限界を超えた魔法を使い過ぎたがために、わずか三十余年でその生涯を閉じたという。
――己の命を賭してでも、守りたいもの。その想いがわかる気がしたから、シルンはあえて口は挟まなかった。
「さぁ、準備は良いですか?」
ハーベラが覚悟を決めた表情で一同を見渡した。皆が相応の顔でそれに応じる。シルンもしっかりと頷いた。
それを確かめてハーベラは高らかに言った。
「では、参りますよ…――『風の移動陣』!」
その言葉に呼応するように一気に魔力が膨れ上がった。膨大な、透ける緑の奔流。
「―――!!」
シルンは自分の背から、恐ろしいほどの力の波動が迸るのを感じた。熱い、強い意思の奔流。
それは、シルン自身が持つ国宝級の神の遺産『光の解呪石』に似通ったものだった。
(間違いない…この剣には、それだけの力があるんだ…)
それは、一種の感動と恐怖でもあった。
竜使の残した言葉。自分自身ではない、サーザンという少女に課せられた宿命とも言うべき運命。
けれど、それはサーザン自身が超えなければいけない壁だ。
シルンは自分の隣で必死に空を飛ぶ姿を思い描いている少女を見遣って、出来るだけ彼女の力になってやりたいと思った。
握り締める右手に力を込める。
(――大丈夫だよ、サーザン…)
その途端、ふっと足元の感覚が無くなった。魔法が発動したのだ。慌ててシルンも『風』の姿を思い描いた。
ここで輪を乱してはハーベラが目測を誤ってしまう。
サーザンの苦労が効を奏したのか、魔法は上手い具合に発動したようだった。
流されていく感覚に迷いは微塵も感じられない。エメラルドのような輝く緑の空間を、シルンたちは翔んでいた。
そして、水から面をあげたような、不思議な感覚が身を貫いて――。
一気に視界が開けた。

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