ようやく対面したミレニアご一行とノーレイン。
ノーレインの素顔は、シルンたちが抱いていたイメージとは
かけ離れたものだった。そしてノーレインは、竜の剣を手に
入れようとしたのは自分の両親を救うためだという…。


せるふぃっしゅ道中記 第3章 氷の少年
6.
「…は?」
ミレニアの目が点になる。
「…両、親…?」
その向い側で、サーザンは信じられないものを聞いたような顔で繰り返した。むろん意識してのことではない。
「じゃあ、何か?それだけのために、こんな馬鹿馬鹿しいことやったってのかよ?」
あっさりと、しかしずけずけとターヴィが皆の気持ちを代弁した。途端ノーレインの目つきが険しくなる。
「『それだけの事』じゃない…!そんな言い方は許さない」
ノーレインの見せた戦意に一瞬緊張が高まったが、それをさらに焚き上げたのはミレニアの茶々だった。
「はっ、何いきがってんのよ。『パパとママに会いたい』?勿体ぶって何を言うかと思ったら、オチがそれ?全っ然、面白くないわ」
「オチ…!?」
「そうでしょ。所詮ガキの戯言じゃない。はぁ、馬鹿らしい」
「ミレニア、その言い方はないだろう」
ミレニアの言い分に、まったく同意をしなかったわけではないのだが、やはりシルンとしては聞き難い言葉だった。
『親』に関してはシルンにしても痛い思いがある。それに、以前『親』問題でサーザンとも口論になったほどだ。
軽々しく扱うべき話題じゃない。しかし、ミレニアにそんな容赦はなかった。
「なくないわ。両親だとか、そのガキがふざけた事抜かすから悪いんじゃない。親なんてのは無くたって生きてけんのよ。生んでくれた事に感謝くらいはしても、所詮頼れるのは自分だけじゃない。それを甘えた事抜かしてるから、腹立つのよ」
「それはミレニアだけだろう!」
「違うわ。自然の摂理よ。子供は親なんか知らなくても生きていける」
シルンに言うのも馬鹿馬鹿しいというように手で追い払うような仕草をすると、あらためてミレニアはノーレインに向き直った。
ノーレインを見下ろすように立つと、冷たく突き放すように吐いた。
「言った通りよ、『坊や』ちゃん。何を甘えてんのか知らないけど、あんた見てると苛つくわ」
「気が合うな。俺もあんたは気に入らない。情けすら知らない、随分な外道らしい」
負けじと鋭い視線を向けてノーレインが応じた。まさに一触即発、近寄るのも躊躇うような空気である。
「甘えたガキの割に一丁前に言うじゃない。この私と張り合う気?」
「あんたじゃ俺には勝てない。見極める目さえないのは哀れだな」
ピシッと空気が鳴った。魔法の発動する気配――!
「待って!」
まさにその瞬間、二人の間にサーザンが割って入った。火事場の馬鹿力でミレニアを突き飛ばす。
「ったぁ!何すんのよこのガキ!!」
「うるさい!ミレニアは関係ない!!黙ってて!!」
「な、何ですって!?」
「ミレニアにはどうせわかりっこないから!これはあたしの問題だから、決めるのはあたしだ。ミレニアはすっこんでて!!」
「はぁ…!?あんたねぇ、だれがその竜の剣、あんたんとこまで運んでやったと思ってんのよ」
「シルン。ミレニアは偉そうに口挟んでただけだ」
「…このガキ……」
顔を引きつらせてサーザンに掴みかかろうとしたミレニアの手を、後からシルンが掴んだ。
「ちょっと、何よ、邪魔しないで!!」
「ミレニア。今のはサーザンが正しい。黙って聞こう」
「……ふん」
鼻を鳴らしてシルンの手を振り解くと、馬鹿馬鹿しいというようにミレニアは背を向けた。
その隣からターヴィとアーヤンが期待と疑惑に満ちた眼差しをノーレインに向けている。
サーザンは一度シルンを見上げた。シルンは任せた、というように黙って頷いた。
サーザンは少し安心したように笑って、それからノーレインに向き直った。
「…お父さんと、お母さんの事が好き?」
ミレニアとは、うって変わった唐突な質問に今度はノーレインが面食らった。
しかしサーザンの真剣な眼差しに押されたように、小さくうなずいた。
「…あぁ」
「………あなたが殺したわけじゃないけど、それでもあなたはあたしからオトウサマを奪ったんだよ。それなのに、あなたはあたしに竜の剣を貸してくれって言うんだ」
「……」
重い言葉だ、とシルンは感じた。それはノーレインにはあまりにも重過ぎる。
けれど、サーザンにとっての揺るがせない真実でもあるのだ。
サーザンにとって、ノーレインに竜の剣を貸すという事はその事実を受け入れる事だ。
サーザンが悪いわけではないのに、辛い思いをしなければならない。あまりにも皮肉だ。
それを思えば、ノーレインを責めたところで致し方ないのかもしれない。
ノーレインは辛そうな表情を浮かべたが、しかしその瞳に迷いはなかった。
「…あんたには、悪いと思う。でもこれだけは譲れない。俺はどうしても二人に会いたいから…、他人の心情までは構ってられない」
「…はっきり言うね」
「どんな言い方しても同じだから」
サーザンの表情が険しくなる。見ている事しか出来ないシルンは、ノーレインの率直過ぎる言い方にハラハラした。
「…あなたも、随分勝手だね。でも…、お父さんとお母さんを好きだって言ってくれた事、嬉しかったよ」
「!」
サーザンの表情がぱっと晴れる。何かを吹っ切ったような、明るい顔だった。
「あなた、あたしと同じだね。あたしもオトウサマとオカアサマのこと、とても好き。二人を助けるためだったら、あたしだって何でもしたと思うよ。あなたはあたしの言葉に本当の心で答えてくれたから…、だからあなたのこと信じてみる」
「サーザン…」
「いいよね、シルン。オトウサマの事は絶対に許せないけど、でもあたしはノーレインの事は助けてあげたいと思う。だって、親を好きだって思うのは、当たり前のことだもの」
シルンは目を瞠った。ここに来る前の決断にしてもそうだが、サーザンはシルンが思っていたよりも随分と大人に見えた。
その後でターヴィが軽く口笛を吹いた。アーヤンが両手を振ってはやし立てる。
「サーザンちゃん、かぁっこいい!!」
いきなり賑やかになった面々にミレニアは舌打ちしていたが、幸いそれを聞きとがめる者はいなかった。
「聞かせてくれない?お父さんとお母さんのこと」
サーザンの言葉に、今度はノーレインが頷いた。そしてサーザンと他の仲間に、とノーレインは語り始めた。
この地にかつて起ころうとしていた『災害』を。
 
ここから海沿いに一刻も歩けば、スフローという街がある。海辺を臨む、穏やかで暖かい空気に包まれた街だ。
何も事件など起ころうはずがないスフローの街に、ある時から小さな地震が頻発するようになった。
一体、何が起ころうとしているのか。不安になる人々の中で、いち早くその『原因』を察知した者がいた。
モノーゼ・クラール。ノーレインの父親である。
彼は火竜族と人間族の間に生まれた半竜人だったが、竜族特有の自然現象を予見する力には優れていた。
『この海の底に眠っている海底火山が火を噴く』――それが、モノーゼの見た未来だった。
火山――炎の神の怒りに触れれば、こんな街など即座に滅びてしまうだろう。
そして、それを鎮める力を持つ者は、彼の妻でありノーレインの母であった女性・クリシャーナただ一人だった。
彼女は水竜族と人間族の間に生まれた者であり、水竜族には『神の怒りを鎮める力』があると言われていた。
半分しか竜の血を持たないクリシャーナだったが、それでも己の命を賭せば災害を鎮める事も出来ると考えた。
彼女は自分の愛した街を守ろうと決意し、彼女を愛したモノーゼは彼女の意思に付き従った。
二人は街を守るために海の底へと赴き―――そして帰らなかった。
しかし、それを境に地震はまったく起きなくなった。
何も失わずに済んだ人々は、二人の起こした行動に涙して感謝の意を述べた。
けれど、ノーレインには何も残らなかった。
二人が海の底へと連れて行くのを躊躇ったが故、ノーレインはただ一人残されてしまったのだ。

「二人は死んでない。眠ってるだけだ。もう役目は終えているから、そこで眠っている必要なんかないんだ。だから俺は二人を取り戻す」
「……」
淡々とした口調で語られたノーレインの話に、シルンは戸惑った。疑っているわけではないが、それでも――…。
「どうして、二人が死んでないとわかるんだ?それを見たわけじゃないんだろう?」
どうしてもシルンが確証を得ない部分だった。それが可哀相な子供の思い込みでないと誰が言えるだろう。
しかしシルンの反論を耳にするやいなや、ノーレインの頬がさっと朱に染まった。
「守竜の言葉だぞ!?絶対に、間違いなんかじゃない!」
「シュリュウ?」
聞きなれない名前にサーザンが首を傾げた。怒りに紅潮していたノーレインの表情が、やや悲しげなそれに変わる。
「俺の『守人』だ。半人半竜の者は、かならず本人格『人間』と守人『竜』の二つの意識を持って生まれる。俺の両親は二人とも半竜人だったから、俺にも守人がいた。守竜はずっと共にあった、俺のただ一人の…姉みたいなものだ」
「!!」
今度はシルンたちが驚く番だった。そうだ、竜としての血が火竜と水竜の混血であっても、ノーレインは人と竜の血を半々に受け継いだ半竜人――つまり、サーザンと同じである。
となれば、サーザンに竜使がいるように、ノーレインにも片割れがいて当然だ。
あの尋常ならざる力をいとも簡単に振るう守人が。
(あの竜使さんみたいな存在の言う事じゃ…真実味はあるかもしれないけど…)
しかし、当の竜使にはさんざ欺かれた後だ。シルンが守人自体にそういい印象を持てなくてもそれは致し方ないだろう。
シルンは複雑な思いだったが、サーザンの思惑はまったく別のところにあった。
信じられない言葉を聞いたような表情を浮かべて、ノーレインを見返した。
「守人…あなたにもいるの?」
「…?…あぁ、そうか…あんたも半竜人なんだな。その様子だと、まだその身体を共有しているんだな」
サーザンの質問には直接答えずに、ノーレインはサーザンの姿を観察するように眺めた。
ノーレインの意図がわからずサーザンは困惑する。それに気付いて、ノーレインは少しだけ補足した。
「あんたは見かけはまるで人間だろう。守人と身体を共有している限り竜族の特徴である『角』が出ることはない。守人とひとつになり意識を融合させる事で、半竜人は成人する。つまりは、角が生える」
そう言って、ノーレインは自分の頭部にちょこんと生えた黒い角を指差した。
たしかに、サーザンよりもノーレインの方が竜族に近い姿をしている。
それはノーレインの言う通りなら彼が成人した証なのだろう。
「…そういうことだ。だから守竜は、今はもういない。けれど、守竜が視るものに間違いがあるはずない」
妄信的な信頼だとシルンのような立場から見れば思うのだが、もともと半竜人と言うのはそういう存在なのかもしれない。
他者には決して踏み入る事の出来ない絆。その強さを思うと、下手に口を挟まない方が懸命だと思えた。
「そう…。そうだね。あたしも竜使が言う事なら信じるよ。だから、あなたの言う事もわかる」
サーザンは両手を差し出すと、ぎゅっとノーレインの手を握った。
「あたしが力になれるかわからないけど、それでもあなたを助けてあげたいと思うから。あたしにも協力させて」
ノーレインはちょっと照れたような、困ったような顔になり、それから頬を赤く染めてお礼を述べた。
「ありがとう」
シュトラルからノーレインへと、一度は途切れた糸が確かに繋がった、その瞬間だった。
「なーんか、あいつらって似てると思わねぇ?」
サーザンとノーレインの様子を眺めてターヴィが呟いた。シルンもその通りだと思った。
最初の印象こそ悪かったものの、サーザンもノーレインも、驚くほど素直だ。そして心に穢れがない。
親への情愛の深さも、半身である『守人』を思う心も。
それは、二つの意識を一つの身体に共有する独特の幼少体験が関係しているのかもしれない。
「でも、すごかったよねぇ!あのこのまほう!!ぱあって、ぜんぶがまっしろになっちゃったの!サラちゃんのいしのちからみたい!!」
最初に見た魔法の光景がまだ目に焼き付いているのか、アーヤンはきゃいきゃいと喜んでいる。
その横では、なぜかちゃっかり居座っているハーベラが瞳を輝かせて、己の思いに打ちひしがれていた。
「そーだな。サラの、その光の石ってやつもあんな感じだった よな」
ちら、とターヴィに一瞥されてシルンは顔をしかめた。
シルンが持つ神の石――光の解呪石は、かつてシルンが呪いを解くために一同の前で使った事がある。
神の如き力を振るう、最強の宝石――しかし、この石にまつわる話には、シルンは決して忘れる事の出来ない痛みが伴っており、軽々しく口にされるのは、正直嫌でたまらなかった。
しかし、そんなシルンの気持ちを気遣ってくれる者などここには最初からいない。
「サラちゃんのは別にサラちゃんの力じゃなくて石が偉大だってだけでしょ。私だったらもっと有効活用してやれんのに」
「有効活用なんてのはしなくていいから。遠慮しておくよ」
シルンのあからさまに嫌そうな口調にミレニアは鼻をならした。とにかく気に入らない。何もかもが。
「だいたい、あのガキも生意気なのよ!確かに、あの光の魔法はそこそこのものだって認めてあげてもいいけど…それだけじゃない。偉そうな口叩く割には、一人で海の底の結界も開くことが出来ないんでしょ」
ミレニアがノーレインを酷評した途端それまで夢見心地だったハーベラが牙を向いて反論した。
「違います!ノーレイン様の力は強すぎるから、加減する事が出来ないだけです!!」
「あんた、その言い訳はちょっと見苦しいんじゃない?」
「言い訳じゃありませんッ!ノーレイン様のお力を間近で見られた事がないから、そんな事が言えるんですわ」
「だいたい、あんたの主でしょ」
「どういう意味ですか!!」
「タカが知れてるって事よ」
「言うに事欠いて、なんて言い様!!」
ハーベラの顔がだんだんとどす黒く変色していくのを間近で見てしまい、焦ってシルンが仲裁に入った。
「まぁまぁ。それにその力なら、もうすぐ見られるだろ?」
なんでいつもこんな損な役回りなのかとため息をつきながら、シルンは二人を交互になだめる。
それから、シルンは海の前に立つサーザンとノーレインを見遣った。自然に一同の視線もそちらへと向いた。
ノーレインは海を前にして、やや緊張した表情を浮かべていた。長い時をかけた悲願がようやく成就する。
その隣ではサーザンが竜の剣を両手に抱えて、同じように海を眺めていた。
海風が長い髪を煽る。鼻の奥をつく嗅ぎ慣れた潮の香り。
サーザンは何度か瞬きをすると、思い切ってノーレインに尋ねた。
「助けたいなんて、簡単に言っちゃったけど…どうしたらいいかがわからないの。あたし、どうすればいい?」
すると、ノーレインは驚くほど優しそうな表情を浮かべた。今までに見た事のない表情だった。
「…そんなに難しいことじゃない。あんたは、俺の声が二人に届くように、ただ祈っていてくれればいい」
あとは自分の力次第、とノーレインは言った。それで、サーザンは随分心が軽くなった。だからサーザンは気付かなかった。
ノーレインの握り締めた拳が、小刻みに震えていることには。
本当はサーザンよりも誰よりも、ノーレイン自身が怖くてたまらなかった。
竜の剣は今ここにある。二人を思う気持ちも変わらない。
けれど、それでもノーレインの声が二人に届かなかったら、力の加減を間違えてしまったら、それで全てが終りになる。
この海の底には二人が眠っていて、彼らは自分たちを守るために結界を張っている。
非常に巧妙にバランスの取れた結界を。ノーレインの絶大な魔力を持ってすれば、結界を破る事などはたやすい。
けれどもそれでは、中にいる二人も消し飛んでしまう。
だからノーレインは二人を起こすために、結界を綻ばせて声を届けるしかない。
けれどもそのチャンスは一度きりで、失敗すれば全てが終りだ。ノーレインの願いも、守竜の望みも。
(…守竜。誓いを果たす時が来たよ。二人で取り戻そうと言ったあの時から、ようやくここまで来れた…)
今も自分の中でこの景色を見ているに違いない。そう信じて、ノーレインはもう一度堅く拳を握った。
ノーレインはサーザンの前に立つと、真っ直ぐに海を見据えた。そして背後に尋ねる。
「いいか?」
「うん」
サーザンの力強い返事を聞いて、ノーレインは意識を集中させた。
この思いが細い糸のようになって、二人のもとに届くようにと。
ゆっくりとノーレインの身体から白いオーラが立ち上る。
それはサーザンの手にした竜の剣にも纏わりつき、次第に輝きを増していった。
真白の光に照らされて、海面が静まっていった。風が止み、波も収まり、凪のようになる。
阻む者のなくなった海の中を、光はゆっくりと進んでいった。
(どうか、届いてくれ。どうか、目覚めてくれ)
心を乱してはいけない。それは取り返しのつかない過ちに変わるから。
ノーレインの額には汗が滲んでいた。顔色は、蝋のように白い。
しかし、ノーレインの意識は反比例するように研ぎ澄まされていった。
自分に出来ないわけがない。この思いが届かないはずがない。
どれくらいたっただろう。ノーレインは、光の帯の先が、何かに触れたのを感じた。それは間違いなく結界の壁だったろう。その瞬間、ノーレインはその内側へと呼びかけていた。
『父さん!母さん!』
返る反応はない。しかし、ノーレインは諦めなかった。
『父さん!返事してくれ!!母さん、目を覚ましてくれ…!!』
 
  『父さま、母さま』
 
呼応するかのごとく、もうひとつの声が呼びかけた。ひどく

懐かしいそれは、ノーレインに一番近い存在だった。背後から感じるのは優しい波動と―やわらかい腕。それは…。
思わずせり上がった涙を必死に堪えて、ノーレインは呼びかける事を続けた。今度は姉と共に。
『俺だ…ノーレインだ…迎えに来たんだよ、父さん!!』
 
  『目を覚まして。私たちは、ここまで来たのよ』
 
『目覚めてくれ…!この、声を』
 
  『聞こえるでしょう、母さま。お願いだから、応えて』
 
頼もしい父。優しい母。誰よりも自分たちを思ってくれた彼らが、応えてくれないわけがない――!
「父さん!母さん!!」
無意識のうちに、ノーレインは声に出して叫んでいた。二人に届くようにと、溢れ出す思いの丈を込めて。
その魂の叫びに、竜の剣が唸りを上げて応えた。銀の刀身が白く光り輝き、海を白く染め上げた――…


気が付くと、ノーレインは一人海の中にいた。立っているというわけではなく、浮かんでいるような感覚だった。
「…!?」
突然変わった景色にノーレインはうろたえる。しかし、景色だけではなく何かが決定的におかしかった。
それにノーレイン自身が気付く前に、優しい声がノーレインを包んだ。
『仕方のない子ね。魂になってまで、ここへ来てしまったの』
「!?」
『そういうな、シャーナ。ノーレインは逞しくなったじゃないか。見違えるようだよ』
ノーレインが面を上げると、そこにはノーレインが夢見てやまなかった二人の姿があった。
力強い眼差し。優しい微笑み。それは五年前と寸分違わぬ姿だった。
「父さん!母さん!!」
ノーレインは手を伸ばした。けれど、二人に触れようとしても、何故かすり抜けてしまって掴む事が出来ない。
「…?」
不思議な事態にノーレインは目を白黒させた。
そんなノーレインを暖かい眼差しで見下ろして、モノーゼが告げた。
『掴む事は出来ないよ。お前も私たちも実体ではないのだから。これは私たちの夢で、お前はここまで魂になって来てしまったんだよ』
「!?」
そう言われて、初めてノーレインは自分の身体に目線を戻した。そして言葉を失う。
信じ難い事に、自分の身体が透けていた。これが魂というものなのだろうか。
『驚いたわ…。でも、強くなったのね。嬉しいわ…こんなに早く、あなたに会えるなんて』
「…そうだ!父さん、母さん、迎えに来たんだよ!!もう、こんな冷たいところで眠っていることなんてないんだ!!一緒に帰ろう」
ノーレインは息が詰まりそうになりながら、必死で思いを告げた。
しかし、二人はノーレインの言葉に困ったような表情を浮かべるだけだった。
「…父さん?母さん?」
『…ノーレイン。可哀相なことを言うようだけれど、それは出来ないわ』
「!?」
母の告げた言葉が、ノーレインには信じられなかった。しかし、追い討ちをかけるように父が続けた。
『ちょっと無理をしすぎたようでね。起きる事が出来ない』
『あなたが呼んでいるのが聞こえたわ。それでも起きる事が出来なかった。おそらく、あと十数年は、このまま眠り続けるしかないの』
「…そんな…っ」
そんな、それでは自分のしたことは全て無駄だったとでも言うのか。
竜の剣があってもなくても、二人を取り戻す事は出来なかったというのか。
「どうして!だって…」
『永遠の別れじゃない。けれど、今はまだ戻れない。すまない、ノーレイン』
『あなたには、本当に酷い事をしたと思うわ。ごめんなさい。 でも、あなたの幼い大切な時間を、こんな場所で過ごして欲しくはなかったの』
それでは、二人には最初からわかっていたというのか。
自分たちには勝ちすぎる力を使う代償として、長い時を海の底で眠らなければならないことが。
そしてノーレインに「生きて」欲しいがために、彼らはノーレインを一人地上に残したというのだろうか。
『あなたには、あの子が守竜がいたから、辛くとも生きていけると思ったの…身勝手にね』
『まさか、守竜がこんな選択をさせるとはな…』
「…!!じゃあ、守竜は全部知ってたっていうのか…!?」
ノーレインが二人を失った日。一人残された日にノーレインの前に姿を現して、彼女は言ったのだ。
「ふたりで、父さまと母さまを取り戻しましょう」と。
それも、彼女は全て知っていて口にしたというのか。
そうだとしたらなんて勝手なのだろう。なんて酷くて、残酷で優しすぎる…。
守竜はノーレインを過大評価した。その半面で本当に理解はしていなかった。
彼女は自分がいなくなることでノーレインが悲しむとは考えていなかったのだろう。
「…そう。そうだったんだ…。何だ、全部…無駄…」
ぽろ、とノーレインの瞳から涙が零れ落ちた。なんて皮肉な結末。
こんな願いのために、一体どれほどのものを犠牲にして来たのだろう。
『無駄じゃないわ。あなたはこんな立派になったじゃないの』
『それに、お前をここまで導いてくれた仲間もいたろう。お前は得がたいものを得たんだよ』
「!!」
得がたいもの。二人がノーレインに学ばせたかったもの。
守竜が辛い決断を押してまで、ノーレインを一人にしたその意味。
 
『ノーレイン、信じていて。ノーレインは誰よりも優しく、誰よりも強くなれる』
 
守竜がかつて何度も繰り返した、言葉の意味がなんとなくわかった気がした。
「…みんな、過大評価しすぎだよ」
いたたまれなくなって、ノーレインは目をこすった。泣いていてはいけない。
『あなたがどうしてもここに残りたいと願うなら、そうしてあげる事は出来るかもしれない。身体をここに呼んで、ともに眠る事は…。でも』
そんな事は願わないでしょう、と母の瞳が問うていた。ノーレインは小さく、だが力強く頷いた。
「うん、戻る。俺にはまだしなくちゃいけない事があったから」
その強い眼差しに、両親・モノーゼとクリシャーナは嬉しそうに微笑んだ。大丈夫、この子は強い子だからと。
それから、突然ノーレインは顔を伏せると恥ずかしそうに言った。
「…でも、ひとつだけお願いしてもいい?」
『何だ?』
小さい声でノーレインはその望みを口にした。途端に二人は声を上げて笑った。
それから、二人は決して触れる事が出来ないとわかっていても、ノーレインを抱き締めた。
耳元で、二人が囁く。

『頑張りなさい、ノーレイン。
未来を切り開くのは、あなたの力よ』


ノーレインが目を開けると、いきなり複数の目と目が合った。
「…!!」
驚いて後ずさろうとするが、後が固い地面だったためにそれが叶わない。
どうやら身体は地面に横たわっているようで、面々がそれを覗き込んでいるらしい。
おそらく魂が両親の夢と邂逅している間、身体がもぬけの殻にでもなっていたのだろう。
「…大丈夫か?」
本当に心配そうにシルンに尋ねられて、ノーレインは恥ずかしさを隠すためにぶっきらぼうな口調で答えた。
「ああ」
それから、ゆっくりと身を起こす。今度は、あの変な感覚はなかった。間違いなく実体がある。
あらためて周りを見渡すと、ハーベラはすっかり青ざめていたし、サーザンはお通夜のような顔をしていた。
「…だめだった…?」
消え入りそうな声でサーザンが尋ねる。ノーレインは小さく首を振った。
「いや…。二人には会えた。今は帰って来ないけど…でも、もう遮二無二頑張る必要はないってわかったから」
もう二人を救おうと盲目に躍起になる必要はない。二人の本当の願いを知ったから。
「あんたには感謝してる。本当にありがとう」
ノーレインはぎこちなく笑顔を浮かべて、お礼を述べた。この少年が、そんな風に笑ったのは本当に久しぶりだった。
逆にサーザンは素直に礼を述べられて、さっと顔を赤らめた。それを見てノーレインは素直に可愛いと思った。
彼女の祈りが守竜を呼んでくれたのだとわかった。あの背後を守ってくれた優しい波動は、守竜とサーザンのものだ。
いくら感謝してもサーザンには足りないだろう。
「は!結局間近で見たって、そのガキが情けないってことには変わりないわね!」
「な、何を!!言っていいことと悪い事があるって言ったはずですよっ!!」
「あら、私は自分に正直なだけよ」
「あなたの根性は捻じ曲がり過ぎてると言うんです!!ともかく、ノーレイン様の悪口など言語道断!!」
話の主題であるはずのノーレインを無視して、ミレニアとはは言い合っていたが、ノーレインは意識的にそれを聞かないようにした。それから、改めてサーザンに向き直る。
「あんたは俺を助けてくれたから、今度は俺があんたを助けたいと思う。ついでにあの忌々しい女にも借りを返したいしな」
ノーレインの言葉の意味が分からなかったのか、サーザンは不思議そうな顔をした。その真横では、シルンが信じられないというように眼を見開いて言った。
「…仲間になるって言うのか…?」
「いや…、迷惑だって言うなら遠慮するけど。あんたの返答次第だな」
どうしたらいい、とノーレインはサーザンに尋ねた。サーザンは困ったようにシルンを見上げた。
シルンは小さい妹にそうするように、優しい笑みを浮かべた。
「いいんだよ、サーザンが好きなようにすれば」
そう言われ、サーザンはますます困ったような顔をしたが、一度深呼吸をすると視線をノーレインに戻した。
それからすっと手を差し出した。
「じゃあ、ノーレイン。一緒に、来てくれる?」
「いいよ」
照れ臭そうに笑って、ノーレインはその手を握り返した。
その背後では、「そんなガキと一緒なんて冗談じゃないわよ!」とか、「俺様の出番がますますなくなる!」だとか「わーい、おともだち〜♪」だとか様々な声が入り乱れていたが、取りあえずそれも聞かないことにした。
幼いサーザンの瞳を真っ直ぐに見つめて、ノーレインは言った。

「よろしく」
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