英文学と英音楽

    
 世界に冠たる英文学に比べて、英(イギリス)音楽はいささか影が薄いようだ。というよりドイツ音楽、フランス音楽、ロシア音楽等であれば、すぐさま何人かの作曲家とその作品が頭に浮かぶのに対し、イギリス音楽といった場合に、その具体的な音のイメージを持つことが出来る人は、よほどの熱心な音楽ファンであろう。  イギリス音楽、特にその歌曲が持つ一種独特の味わいを愛する私にしてみれば、イギリス音楽が日本の学校で教える音楽史や一般向けの音楽ガイドでほとんど無視されている現状が残念でならない。これは、音楽が市民階級のものとなった十八〜十九世紀に、ベートーヴェンやドビュッシーのような大作曲家を、イギリスが生み出すことが出来なかったことに最大の要因があるのだが、それ以前の世紀にイギリスが音楽的に不毛な国であったわけでは決してない。いや、むしろ音楽的先進国であったといってもよいであろう。エリザベス朝時代のダウランド、王政復古時代のパーセル等、第一級の音楽家には事欠かない。
 よく、ドイツ・ロマン派の時代において詩と音楽は「幸福な結婚」をしたといわれる。ハイネの詩に作曲したシューマンの「詩人の恋」などは、その中でも最高に幸福な結婚をした一例であろう。しかしながら、十六〜十七世紀におけるルネサンス・バロック時代のイギリス歌曲こそ、十九世紀のドイツ・ロマン派歌曲に優るとも劣らぬ多くの「幸福な結婚」を実現したのではないか。パーセルのような傑出した作曲家の作った歌曲はもちろん素晴らしいが、この時代のイギリス歌曲の奥はもっと広く深いものである。ほとんど名前さえ明らかでない詩人や作曲家の手になる歌曲のなんと美しいことであろうか。よく知られたグリーン・スリーヴスに限らず、我々の郷愁を誘わずにはおかない、心のこもった叙情的な歌が実に多いのである。それは、詩に対してごく自然に向き合い、心のおもむくまま曲を付けたら、詩にぴったり合った歌がいつのまにか出来ていたという趣なのである。ロマン派以降の芸術歌曲が失ってしまった、本当に自然で素朴な詩と音楽の結合がここにある。このような古き良き時代の英国歌曲を聞くと、英語の持つ響きの美しさ、歌への志向性を、誰しもが実感するだろう。まさに、十六〜十七世紀の英国はドイツに先んじて詩と音楽が幸福な結婚をした、音楽的に実りの多い時代であった。
 ところが十八世紀になると、英国は音楽の生産国から単なる消費国に転落してしまったというのが音楽史の通説である。ルネサンス・バロック期の英国歌曲にぞっこんの私も実は今までそう思ってきた。王政復古時代のパーセルを最後に麗しき英国歌曲の伝統は途絶えてしまったのだと。
 しかし、最近そのような私の思いこみを覆すに十分な,英国HYPERIONレーベルから出ている一枚のディスクを聴いた。それは、”O tuneful voice(おお妙なる声よ)”と銘打たれており、日本(おそらく英国でもそうだと思われる)ではほとんどなじみのない十八世紀後期イギリスの隠れた歌曲を集めたアンソロジーとなっている。ところがこれがどうして今まで埋もれたままになっていたのかと思えるほど、歌心に溢れた素晴らしい曲揃いなのだ。歌を伴奏するフォルテピアノやハープの響きもあくまで軽やかにつつましく歌に彩りを添えている。まさに英国歌曲の魅力ここにありといってよい。このような素晴らしい歌を生み出した英国の無名の作曲家達は、音楽史的に見れば所詮マイナーポエットに過ぎないのかもしれないが、彼らの歌は英語の詩が持つ響きを愛するすべての人に至福の時を与えてくれるに違いない。それにしても、自国の音楽に限りない愛着と誇りを持ち、それらを世に知らしめるべく地道な努力を続けているエマ・カークビーをはじめとした英国の音楽家達にはつくづく頭の下がる思いがする。

96英米文学手帖から