イギリス音楽のCD
− はじめに −

 日本で一番有名なイギリスの作曲家は,NHKの名曲アルバムで「威風堂々」が紹介されたエルガーであろう。しかし,そのエルガーにしても,その他には「エニグマ変奏曲」や「チェロ協奏曲」が比較的知られている程度で,コンサートでもCDでもポピュラーな人気を得ているとはいいがたい。しかし,エルガーには他にも佳曲がたくさんある。エルガー以降,20世紀にはブリテン,ホルスト,ディーリアス,ヴォーン・ウィリアムズを初め多くの優れた作曲家が輩出した。現役の作曲家の活躍という点でもヨーロッパ大陸の作曲界に比して決して遜色ない。これらの作曲家の個性にもいろいろ違いはあるが,難解で前衛的なところがなく,非常に「聴きやすい」,どこか英国的な「ノスタルジー」を感じさせるものが多い。よい意味での折衷的なところがある。
 無名の優れた演奏家を起用して,他ではなかなか手に入らない名曲のCDを廉価で提供しているNAXOSレーベルは,今や世界中のクラシックファンの圧倒的支持を獲得しているが,その中でも20世紀のイギリス音楽シリーズは質量ともにすばらしい一大プロジェクトで,現在も着々と録音が進行しているのでイギリス音楽ファンとしては絶対に目が離せない。イギリスのBathに1年間滞在した時,せっかく英国に住んでいるのだから,現地ではすべて「英国物」のCDを買ってじっくりと聴くことにした。幸い人口8万人の小都市Bathでもその文化水準の高さを反映してクラシックCD専門店が2軒もあり,上記の20世紀のイギリス音楽シリーズを簡単に手に入れることができたわけである。ちなみにイギリスでもNAXOSは1枚4.98ポンド(=約1,000円)で他のCDと比べて断然安かった。
 一方,エルガー以前の最大の作曲家といえばバロック時代のパーセルである。パーセルは,唯一のオペラ「ディドーとエネアス」がバロック・オペラ屈指の名作であることもあって,日本でも知名度が高く,そのCDも多く出ている。しかし,パーセルにはその他にも室内楽,歌曲,オード,宗教曲で捨てがたい作品が数多くある。パーセルより少し前のルネサンスの時代ともなると,ダウランド,バード,タリス…と優れた作曲家の数では当時のドイツをむしろ上回るであろう。この時代のリュート歌曲,マドリガル,宗教曲は本当に素晴らしい。
 私自身比較的最近までパーセル以降エルガーに至る「古典派」の時代はイギリス音楽史で「空白の時代」と思っていたが,“Britain's brightest record label”と評されるイギリス屈指のレーベルHYPERIONが精力的に進める“The English Orpheus”プロジェクトは, 歴史に埋もれていた数々のイギリス人作曲家の優れた作品を発掘し,最高の演奏で蘇演させることにより,「空白の時代」が実際は「音楽的な時代」であったことを実証した。その最高の所産の一つが,Bath出身の作曲家リンリー(子)のシリーズであることは,何よりBathを愛する私にとって何とも嬉しい限りである。
 NAXOSHYPERIONのカタログを基本にすれば,ルネサンスから現代に至るイギリス音楽の流れを概観し,同時に今まで知らなかった素晴らしい作品に接する喜びを味わうことが誰にでもできる。そこには,聴き慣れたドイツ,フランス物にはない別の魅力があり,英国の風土を愛する人なら好きにならずにはいられない独特のノスタルジーがある。かくいう私もイギリスの音楽を本格的に聴き始めたのはつい最近である。このCD試聴記では,これまでに私が聴いたイギリスの音楽や,(個人的に好きな)弦の音楽を中心に綴りたい。特に,英国の芸術で素晴らしいのは文学や詩だけではなく,音楽もそうなのだということを,一人でも多くの方に知っていただけるよう願っている。