英国の大学生活

バース大学とは
 そもそも私と家族がBathという英国,いや世界でも屈指の歴史と景観を誇る街に1年間滞在することができたのも,留学先に選んだStepehen Mann教授(以下Steve)が(たまたま)Bath(バース)大学化学科(現在ブリストル大学)に居たおかげである。
 Bath大学は市の中心から南東部のやや小高い丘の上に広大なキャンパスを構えている。St Aubinsの家の前の坂をさらに上っていくと左手に見えてくるのがそれである。車だと家から5分の距離なので,車を買ってからは車で通うことが多かった。ちなみに駐車料金は1日1ポンドで往復のバス代とほとんど同じである(例によってバスの時間はあてにならない)。研究関連施設よりも,芝生,池,学生のための福利厚生施設(寮や,スポーツ・音楽スペースなど),駐車場の占めているスペースの方が大きいところが,日本の多くの大学とは違う点である。各銀行や郵便局,コンビニなどもあり,寮暮らしをしている学生がシティセンターに繰り出さなくても,キャンパスの中で一通り暮らしていけるようになっている(実際にはそのような学生はいないであろうが)。


ティータイムとパブタイム
 夏には池の近くの芝生に座って,池で泳ぐ鴨を眺めながらゆっくりとランチをとる人が多い。各学科にはゆったりとしたカフェテリアがあり,午前と午後の2回のティータイムには,皆が三々五々集まってくる。大学内にはれっきとしたパブもいくつかあり,皆で昼間からビールを飲むことも珍しくない。特に私が訪れた頃はサッカーのワールドカップがあり,大きなスクリーンのあるパブは学生(教員?)で連日大賑わいであった。イングランドが因縁のアルゼンチンにPK戦でまた負けてしまってからは,その熱もやや冷めてしまったようであるが。ティータイムとパブタイムは英国人の生活の重要な一部分となっており,これらを抜きにして彼らの日常生活を語ることはできない。
(左)スイス人のセバスチャン(左端)宅での日本食パーティー。後方の長身の人物がSteve。
(右)帰国前に行きつけのパブで英国ビールを仲間と飲む。


ティータイムのSteve
 ボスのSteveは学生と酒を飲むのがあまり好きではないので,研究室のパーティーなどにはあまり参加せず,参加したとしてもほとんどアルコールには手をつけないが,ティータイムの方は,学生の研究指導にフルに活用している。そもそも英国の大学のティータイムは息抜きをするためだけの時間ではない。日本のような定例研究報告会がないかわりに,ほとんどの学生が行くティータイムが,各人の研究上の問題点をインフォーマルに議論する格好の場となる。Steveは特別な用事がない限り,毎日必ず午前のティータイムに顔を出し,新着の雑誌を紹介したり,学生に新しいアイデアを提案したりする。Steveはバイオミメティックケミストリーのパイオニアとしてこの10年間にNatureやScience誌に数多くの論文を発表しているが,これだけ世界的に有名でありながら,国内外の出張を最小限に抑え,アイデアを練ったり,学生と討論するための時間を最優先する姿勢には感服した。研究には非常に厳しい一方で,学生がちょっと良いデータやアイデアを出した時には”Fantastic!”,”Excellent!”と褒めることも忘れない。


ブリストル大学への引越
 そのSteveがブリストル大学の化学科に引き抜かれて移動し,研究室も,私がようやく実験を本格的に始めた98年の秋にブリストルへ引越することになった(実験をブリストルで再会するまでには約2ヶ月を要した)。大学全体のランキングではバース大学の方がブリストル大学よりも上だが,化学に関する限りはブリストル大学の方が上で,スペース・設備的に,より恵まれた条件にあるということもあったようだ。英国で大学の研究室の引越を経験した人は,英国に滞在する日本人研究者・学生多しといえども,それほどいないであろう。
 引越の準備は,引越業者が持ってきたプラスチックの青い大きなケースに物を詰めてフタをするという単純作業である。それが,日本だったら一気に1週間くらいで全部詰めるところを,英国の学生は決してそんなことはしない。2時間くらい作業したら必ずティータイムあるいはパブタイムの「休憩」を取る。休憩の方が長いんじゃないのと言いたくなったこともあるが,「郷に入っては郷に従え」で私もあくせくとは作業しない。結局1ヶ月くらいかかって全部の荷物を梱包しただろうか。引越日は前もってきちんと決まっているわけではなく,荷物の梱包がだいたい終わってから,担当のポスドクが業者に連絡する。のんびり作業はこれにも原因があるだろう。


引越し後
 ブリストル大学に引っ越して環境が著しく良くなったかといえば,そういう訳でもない。建築中の新しい建物ができたらそこに引っ越すということで,当面は昔の学生実験室に仮住まいだ。実験台は木製で年期が入っている。水道の蛇口も古くて錆付いているのがある。引っ越してからも,皆あわてて整理を始めるというようなことはしない。ポスドクが中心となって,蒸留水製造装置,乾燥器など,それがなければ誰も実験できないものからゆっくりとセットしていく。ときどき研究熱心なSteveが「もう実験を始められるようになったか?」と言って,実験室の様子を見に来たが,そんなにすぐ立ち上がるものでないことは,Steve自身が一番よく分かっていただろう。


裏方と図書館が支える英国の大学
 日本の大学では政府の人員削減策に基づき,研究を裏で支える技官が年々減っているが,英国の大学では学生実験室付や装置付の技官数が多く,プロフェッショナルな技術と経験を生かして,学生の教育・研究を裏から支えている。たとえば,バース大学には電子顕微鏡室付の技官が2人居り,使用する学生の技術相談に乗ったり,数台ある装置のメンテナンスを万全に行っている。なかには,粉末X線回折装置の技官という肩書きではあるが,裏の顔?は英国国教会の牧師という変わった人も居た。彼らの仕事ぶりにはいずれも誇りが感じられ,自信に溢れた態度で接してくれた。
 バース大学は大学の規模からすればそれほど大きくないにもかかわらず,図書館の蔵書・雑誌の充実にはすばらしいものがあった。図書館の予算が潤沢なのだろう。ここに行けば,欲しい文献をほとんどすべて手に入れることができた。ブリストル大学も同じように図書・雑誌が充実していたが,大学の規模が大きいため,図書館が一つだけではなく,あちこちに分散しており,欲しい文献を手に入れるためには離れた場所にある学科の図書館に行かなければならないこともしばしばであった。


ブリストルでの最後の日々
 滞在期間が残り少なくなると,毎日のように投稿する論文のことについてSteveと討論した。最後に帰国の挨拶をSteveにした時,彼に「Fumi(私は英国ではこう呼ばれていた)が見つけた分子テンプレートは君のBabyのようなものだ。僕自身は,君がここでやった研究を論文として投稿した後は,関連した研究は一切やらない。君のBabyは君自身が日本で大切に育てなさい。」と言われたときは本当に嬉しかった。Steveという研究者としても人間としても素晴らしい教師に恵まれ,1年間本当に楽しい研究生活を送ることができた。


想像することを重視する英国の教育
 大学のことが出たついでに私の上の息子が通った英国の小学校(現地の公立の小学校)について触れておきたい。英国では日本より約2年早く4才の9月から小学校(Infants School)が始まり,それも平日は毎日9時から3時までという小さな子供にはかなりハードなフルタイムのスケジュールである。日本では幼稚園の年中組にしか行ってなかった息子は,英語という言葉のハンディもあり,当然のことながら最初の何ヶ月かはなかなかなじめなかった。しかし,先生方が親切だったこと,しばしば褒めてもらい胸にキラキラ光る星のシールを貼ってもらったこと(小学校から大学に至るまで英国の教育には生徒を褒めることにより”encourage”する伝統があるらしい。)が息子への励みになったようだ。帰国前にはかなり英語を聞いたり話したりすることができるようになっていた。
 日本と違うのは,公立の学校であっても学区制によって生徒が機械的に割り振られるのではなく,親が複数の学校を訪問して気に入った学校に子供を入れることが出来る点である。日本よりも校長(Head Teacher)の権限が強く,生徒の受入の是非,学校でのカリキュラム等重要な事柄は校長の方針によって決まる。私の息子が通った学校の校長は,自分の裁量で,私の息子も含めてメキシコやパプア・ニューギニアといった外国からの生徒を積極的に受け入れ,その国の挨拶の言葉を教室の前に貼るなどして,世界には色々な国があるのだということを実体験として子供達に教えようとしていた。校長自身が生徒一人一人の名前や顔はもちろんのこと,性格まで把握しているのは英国では当然のことである。
 カリキュラムは子供にとって非常に楽しくかつフレキシブルなもので,校長や他の先生の発案で色々な試みがされていた。私も一度参加した「親子で参加する音楽の授業」は本当におもしろく,日本でもこんな楽しい音楽の授業をやれば,音楽嫌いになる子供もいないのにと思えたほどだった。一度息子の学校の校長先生にその教育方針について伺ったことがあるが,「教えるのではなく,子供が自分で興味を持ち,考えるようにしてやりたい。」という答が印象的だった。英国の大学が少ない研究費にもかかわらず,オリジナリティーのある良い研究をしているのは,ここらへんにも理由があるのかもしれない。最初の討論のときにSteveが私に言った「想像(imagine)することが一番大切だよ。」という言葉を思い出す。

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