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Pulteney Bridge


INDEX
Roman Baths & Pump Room  The Royal Crescent  Bath Abbey  Pulteney Bridge  Great Pulteney Street  Sally Lunn's


Bath Abbey
 バースに来てBath Abbey(バース寺院)を目にしない人はいないだろう。街の中心部で観光客が必ず訪れるRoman Baths & Pump Roomの隣にあり,寺院横の広場にはバースのインフォメーション・センターもある。バース寺院は下の表にあげたように,もともとは修道院から出発し(だからChurchではなくAbbeyと呼ばれる),長い歴史を経て現在の姿となった。廃墟同然になるという危機を何度も乗り越えて,荘厳な中世の教会建築の姿を今に伝えている。近くから,あるいは少し離れたところから見る寺院の絵姿は見事である。しかし,寺院を外側から眺めるだけではもったいない。是非とも寺院の中まで入って,この寺院の長い歴史を自分の肌で感じられてはいかがだろう。

Bath Abbeyの歴史
60年頃 ローマ人がバースに浴場と神殿を建設し始める
577 サクソン族がバースを占領する
676 オズリックがベルダーナ修道院長の率いる聖処女女子修道会に土地を寄進し,バースにはじめてキリスト教共同体が誕生する
757 西サクソン人の王シネウルフが聖ピーター修道院を建立し,サクソン教会が始まる
781 マーシア人の王オファが聖ピーター修道院の支配権を確立する
973 カンタベリー,ヨークの両大司教列席のもと,イングランドを最初に統一したサクソン王エドガーの戴冠式がサクソン教会で行われる
1090年頃 ノルマン人の大司教ジョン・ド・トゥールが司教座をウェルズからバースに移す
1107 大司教ジョン・ド・トゥールの命により修道院の聖堂を壊して新たにノルマン教会を建てる
1499 ウェルズの司教オリバー・キングが廃墟となっていたノルマン教会の再建工事を始め,1616年に完成,現在の寺院(Bath Abbey)の姿となる
1539 ヘンリー八世の修道院解散令によりBath Abbeyの土地が没収され,市民のための教会となる
1569 Bath Abbeyが英国国教会となる
1611 寺院に再び屋根がかけられる
18世紀 温泉と娯楽を求めてやってきた上流階級の人々の寄付により寺院が大いに活況を呈する
1860年代 レクター・ケンブルが大規模な修復を行う
1942 ドイツ軍の爆撃により寺院が被害を受ける
1990年代 教会の清掃と修理が行われ,地下の博物館が新たにオープンする。新しいパイプオルガンが設置される

寺院の外観 −「ヤコブの梯子」の彫刻−  
 現在の寺院の構造は,1499年に司教オリバー・キングが再建したときのものが基本的に保たれている。まず,寺院の西側正面の大窓両側には,天国からの梯子を昇り降りする天使たちの姿が彫られている非常に珍しい装飾がある。この由来は,司教オリバー・キングが,夢の中で天国と地上の間の梯子を天使が昇り降りする(旧約聖書創世記の「ヤコブの梯子」の説話)のを見,「寺院を再建せよ。」と命ずる声を聞いたことによると伝えられている。梯子の両脇には十二使徒の像がある。さらに,大窓の上には三位一体を表す像があり,歌う天使たちに囲まれている。梯子を昇り降りする天使の彫刻はとくに見事。


すばらしい大窓と「石の花」
 寺院西正面左手の入口から寺院の中に入ることにしよう。入ってすぐ気がつくのは,右手西端の大きな窓に描かれた旧約聖書のシーンである。この天井近くまで達する大窓のゆえに,この寺院はエリザベス朝時代の人々から「西の燈明」と呼ばれた。
 振り返って目を堂の内側に向けると,床から石の線が柱を伝わって天井まで垂直に立ち上がり,石の花のような模様を描いている。このたくさんの石の花びらが天井で交錯する様は実に美しい。「花の街」と呼ばれるバースだが,教会の中にも美しい石の花が咲いているわけだ。この「石の花」は英国後期ゴシック期に特徴的なファン・ヴォールトと呼ばれる建築様式で,これを設計した建築家ヴァーチューによる同様の様式がロンドンのウェストミンスター・アビーのヘンリー7世礼拝堂にも見られる。
 Bath Abbeyは規模的には特別に大きい教会というわけではないが,いつ訪れても見る者に荘厳な高さと広さを感じさせるのは,西側の大窓とファン・ヴォールトに拠るだろう。

  (左)旧約聖書のシーンが描かれた西端の大窓
  (右)天井に咲いた美しい石の花(ファン・ヴォールト)


その他の内部の見どころ
 まっすぐ東の方に歩いていくと,堂中央付近に北側の翼堂があり,1996-1997年に再建されたパイプオルガンがある。さらにまっすぐ歩いていくと,東にある祭壇に至る。祭壇を囲っている鉄格子を覗くと,かつてのノルマン教会の石柱の基礎部分が見える。祭壇奥には1710年に設置された洗礼盤(蓋はもっと古い1604年のもの)がある。東端(北側)の窓には,973年にイングランドを最初に統一したサクソン王エドガーの戴冠式の様子が描かれている。祭壇後部(東正面)の窓には,キリストの生涯が56枚に分けて描かれている。祭壇前を南方向に進むと,南東角には個人用の礼拝室があり,その窓には珍しいノルマン風のアーチが用いられている。再び西の方向に戻ってくると,北翼堂のちょうど反対側に南翼堂があり,清教徒革命時に議会派の将軍であったウィリアム・ウォーラーの夫人ジェイン(1663没)の墓が置かれている。南翼堂のすぐ西側の壁には,18世紀前半に儀典長としてバースの発展に尽くし,バースの全盛期を現出せしめた伊達男リチャード・ナッシュ(1674-1761)の記念碑がある。その後方の床には,エリザベス現女王とフィリップ殿下が1973年にこの寺院を訪れた際の記念プレートがはめ込まれている。西側の出口に向かう途中には協会関係の本や絵葉書等が売っているブックショップがある。

地下の博物館
 寺院の南側地下には,中世の修道士の歩廊と墓所の上に建てられた小さな博物館(有料)があり,寺院の歴史を,モデルやオーディオテープで紹介している。日曜日以外の毎日午前10時から午後4時まで開館しているので,寺院の歴史に興味のある方にはお薦めしたい。

私にとってのBath Abbey
 バースの街を訪れる観光客にはBath AbbeyよりもRoman BathsやThe Royal Crescentの方がずっと人気があるのは事実だ。それはそうだろう。ほかの土地にもすばらしい寺院や大聖堂はたくさんあるのだから。しかし私にとっては,Roman BathsよりもThe Royal Crescentよりも感銘を受けた思い出深い場所がBath Abbeyなのである。バースに住んで間もない頃,異国での慣れない生活に疲れ切っていた私は,2人の幼い息子を連れてBath Abbeyに行った。そのとき古い椅子に座って聴いたパイプオルガンの柔らかい音色にどんなに心を慰められたことか。「心を洗われる」とはこういうことをいうのだろうと思った。Abbeyのパイプオルガンに元気づけられたのは上の息子も同じだった。
 クリスマス時分Abbeyで行われる,子どものためのChristingle Serviceや,Abbeyの聖歌隊の歌声が堂内に響き渡るクリスマス・イヴのサービスも素敵だった。夏には,多くの観光客に交じってAbbey横の広場でアイスクリームを食べたものだった。私がAbbeyが大好きだということを知ってか知らぬか,日本に帰国する前に隣のPickwickさんからBath Abbeyを描いた素敵な絵をいただいた。レース刺繍によるBath Abbeyとともに,この絵は我が家の居間を飾り,Abbeyの思い出を新たなものとしてくれている。今度バースを再訪するときも,Abbeyは変わらぬ姿で私たちを迎えてくれることだろう。

  (左)Bath Abbey正面(西側)。右手前はPump Room。
  (右)Bath Abbeyの南側。よくベンチに腰かけてAbbeyを眺めたものだった。



  (左)クリスマス・イヴのキャロル・サービスの式次第
  (右)PickwickさんからいただいたBath Abbeyの絵


Pulteney Bridge
 バースの美しい街をさらにひき立てているのは,市内を流れるAvon川とそこにかかるこのPulteney Bridgeである。3つのアーチを描くファサードのあるこの美しい橋を設計したのは,英国新古典主義最大の巨匠ロバート・アダム(1728-1792)である。この橋に"Pulteney"という名前がついているのは,以下のような理由がある。1764年に初代バース伯爵であったウィリアム・パルティニーが死去し,その地所であるBathwickがいとこであるフランシス・パルティニーのものとなった。パルティニー家は当時は「郊外」であったAvon川の東側にあるBathwickと街の中心部をつなぐため,川に橋をかけようとしたのだった。設計を頼まれたロバート・アダムはパルティニー家と親交があった。
 Pulteney Bridgeがイタリアのフィレンツェにあるヴェッキオ橋やヴェネツィアにあるリアルト橋に似ているのは,ロバート・アダムが若い頃イタリアに留学したことの影響であろう。橋は1769年に着工されて1774年に完成し,1785年にはトーマス・マルトンにより橋に水色が塗られたという記録が残されている。今ではその面影もないが,水色とはいったいどんな感じだったのだろうか。Avon川の下流方向から眺めるPulteney Bridgeの美しさは,前景の花壇や背景の教会の塔と相俟って,バースで最も絵になる情景のひとつである。
 現在のPulteney Bridgeの両側に並ぶショップについてはクラフトの項を参照してください。Pulteney Bridgeのたもとから出発するAvon River Cruiseも夏には最高です!



Great Pulteney Street
 Pulteney Bridgeを東に渡り,Argyle Streetを抜けるとLaura Placeに至る。そこからまっすぐSydney Gardenのある東方向(実際にはやや北に上がっている)に伸びている通りがGreat Pulteney Streetである。18世紀の美しいジョージ王朝様式のテラス・ハウスが通りの両側にずらりと並んでいるのは壮観だ。これらのテラス・ハウスは,現在ホテル,ショップ,オフィスなどに使われているが,当然のことながら建物の外部は建築当時のまま残されている。私たち愛用のCarfax Hotelもそのうちのひとつだ。Pulteney Bridge同様,Great Pulteney StreetもBathwickと街の中心部を結ぶために,バース伯爵のパルティニー家が作らせたものである。1788年に工事が始まりすぐに完成した。昔はこの通りを伯爵家の豪華な馬車が走っていたのかなんてことを考えながら,人通り,車通りの少ない早朝にこのストリートを散歩するのも悪くない。

  (左)Laura PlaceからGreat Pulteney Streetをのぞむ。修復工事中の建物も見える。
  (右)Sydney Gardenの門からのGreat Pulteney Streetの眺め(1806年)


Sally Lunn's Refreshment House & Museum
4 North Parade Passage Tel: 01225-461634
 日本のガイドブックにも必ず載っている観光客御用達のいつも混んでいるティールーム兼レストラン。こういう皮肉な書き方をしたのは,「名物」と言われるブリオッシュ(これが「サリー・ラン」と呼ばれるものである)が,順番待ちまでして食べる(「サリー・ラン」だけ買うこともできる)価値のあるものとはあまり思えないからである。生まれてからずっとバースに住んでいる隣のPickwickさんも,「サリー・ランはあまりよくないわね。」と言って,ケーキが絶品だったという,今はなきスイス・カフェとかいうティールームの話を始めるのだった。しかし,うちは「サリー・ラン」を買っただけで,店の中で食事をしたわけではないから,この店のフード・メニューにどんなものがあるかはわからない。
 しかし,とにもかくにも建物としてのSally Lunn'sは古さの点で価値がある。建てられたのは1482年で,現存するバースでいちばん古い家ということになっている。黄色っぽいバース・ストーンでつくられた18世紀の優雅なジョージアン建築の方がバースらしいし,私自身は好きであるが,Sally Lunn'sの外壁の古いレンガにはさすがに歴史の重みが感じられる。もっとも時代と共にこの家の構造も変わっており,建築当初の古いティンバー・ウォールはいくつかしか残っていない。また,上げ下げ窓は18世紀初期のものであり,最初に人の目を引く弓形の張り出し窓はさらにそれ以降のものであるといわれている。家内部の低い天井や,小さい四角の羽目板は,ジャコビアン時代のものである。
 菓子店創業者としての"Sally Lunn"夫人がこの家に住み始めたのは1680年頃らしい。今から300年以上前のことである。彼女の焼いたブリオッシュが非常に評判になったのが,このブリオッシュがサリー・ランと呼ばれるようになった理由のようだ。別の説として,北野佐久子氏の著書「イギリスのお菓子」(ソニー・マガジンズ)によれば,"Sally Lunn"はもともとフランス語の"Soleil Lune"(ソレイユ・リュンヌ;太陽と月)が訛ったものであるということだ。ケーキ(というよりパンに近いが)の丸いてっぺんを太陽,底を月に見立てたという説なのだが,本当なのだろうか。時代は下り,18世紀半ばにバースが上流階級の温泉・社交都市として全盛期を迎えた時代には,Assembly Roomsでの朝食にサリー・ランを食べるのが社交界の流行になったという。この頃がサリー・ランの名誉が最も高まった時代といえるだろう。ティールームの地下はミニ・ミュージアムになっており,昔のパン焼き釜・道具などを安い入場料で見ることができる。もちろんしっかり土産物商売もしているが…

  (左)現在のSally Lunn's。少し商売気が強すぎる!?
  (右)ジェイン・オースティンの頃(19世紀初頭)に描かれたSally Lunn's。建物の構造は現在と同じ。