Proms 2001と"Auld Lang Syne"


 2001年9月15日にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われた毎年恒例のプロムス・ラストナイトのコンサートは,よくも悪くも4日前にニューヨークで起きた忌まわしいテロの影響を強く感じさせるものとなった。海を隔てての事件とはいえ,アメリカと英国はとりわけ親密な関係の国どうし。今回の事件で英国人の犠牲者は千人近くにのぼるといわれており,しかも指揮者は今年がプロムス初登場となるアメリカ人のレナード・スラトキン。何らかの「変更」は,ある程度事前に予想されたことでもあった。
 ひとことで言うならば,今年のラストナイトは例年の「お祭り」から,「追悼」と「平和への祈り」が強調されたものへと全く変わっていた。定番の曲目であるエルガーの「行進曲“威風堂々” 第1番」やアーンの「ルール!ブリタニア」はプログラムから外された。これらの曲は,英国の栄光を高らかに奏でる一種の愛国賛歌であることから,今回のテロ事件の後ではふさわしくないと判断されたものと思われる。プロムスの事実上の創設者ヘンリー・ウッドによる「イギリスの海の歌の幻想曲」も外れた。かわりに急遽入ったのが,バーバー「弦楽のためのアダージョ」や,マイケル・ティペット「オラトリオ”我らが時代の子”から黒人霊歌」である。これらの曲を入れたのが,犠牲者を追悼し,その霊を慰めることを目的としたものであることは,誰の目にも明らかである。そして,ただ悲しんでいるだけではいけない,「苦悩を通して歓喜へ」というメッセージが込められたベートーヴェンの第九交響曲の終楽章が,第2部のメインとして演奏された。
 指揮者のスラトキンは,コンサートの初めに「今夜の音楽は我々みんなが感じている感情を表すために使いましょう。一つ一つの音符やフレーズは我々の魂からの皆さんへのメッセージです。」と挨拶した。アメリカ人である彼の言葉には真実みがあり,感動的であった。しかし,コンサート全体の印象からいえば,今回のラストナイトはやや中途半端で散漫な感を免れなかった。それは,当初から予定プログラムにあった曲目と,急遽入れ替えた曲目が混在していたという構成にもよるだろうし,ソリストが事件の影響でロンドンに来れなかったり,準備時間が足りなかったという気の毒な状況もあるだろう。
 正直な感想として,こういう中途半端に「自粛」されたコンサートをするくらいなら,犠牲者の冥福を祈るための完全に「宗教的」なコンサートにするか(ケネディ大統領の暗殺に際してモーツァルトのレクイエム全曲が演奏されたように),あるいは当初の予定曲目を変更せずに(ソリストの事情で無理な曲もあろうが)そのまま例年の通りやった方がよかったと思う。不謹慎だと叱られることを恐れずにいえば,私自身としては,後者のように「いつものプロムス」であってほしかった。エルガーやアーンの曲に愛国的・軍事的な臭いがするといっても,彼らの音楽はシュワルツネッガー主演のアクション映画とは全く違うのだ。コンサート冒頭になぜかアメリカ国歌が斉唱されたことの方が,私にはよほど政治的に感じられた。こういう非常事態のときだからこそ,「プロムスはふだんの年と何も変わっていませんよ,皆さん安心してください。」というどっしりとした英国的伝統を見せてほしかった気がする。
 おそらく,指揮者のスラトキンがいちばんやりたかった曲は,本当はアイブズの「“アメリカ”変奏曲」とか,スーザの「行進曲“自由の鐘”」ではなかったのだろうか。彼はコンサートの途中で「プログラムは自分で決めたのではない。」というようなことを言ったと思うが,これを彼のボヤキと受け取ることもできる。バッハ作曲,レスピーギ編曲の「パッサカリアとフーガ ハ短調」は,時代錯誤的なモダン・オーケストラの咆哮が私には辛かった。バッハが宗教的な作曲家だという理由だけで今回のプログラムに加えられたとしたら,これが追悼にふさわしい曲とは全く思われない。それより,今年生誕100周年を迎えた私の大好きな英国の田園作曲家ジェラルド・フィンジの遺作である静かな管弦楽曲「落ち葉」は切々と心に迫るものがあったし,98年に亡くなった英国の現代作曲家マイケル・ティペットのオラトリオの中の黒人霊歌は,ソプラノ・ソロの美しさにはっとさせられた。
 最後は,腕をつないだ会場の聴衆が"Auld Lang Syne(蛍の光)"を歌って例年のようにラストナイトが終わった。"Should auld acquaintance be forgot, ... And auld lang syne! ... " (懐かしい友を忘れ得ようか…古き良き日のことまでも!…)。何だか自分の胸が締め付けられるような気がした。この日のコンサートで,テロの犠牲者を追悼するのに最もふさわしかったのは,急遽入れられたいくつかの曲ではなく,古くから伝わるスコットランド民謡と,スコットランドの国民詩人ロバート・バーンズの書いた歌詞であったかもしれない。

プロムス・ラストナイト2001プログラム

当日演奏された曲目  
 ヴェルディ「歌劇“運命の力”序曲」 
 ヴェルディ「歌劇“ナブッコ”から ヘブライの捕虜達の合唱
  “行け、わが思いよ、金色の翼に乗って”」
 フィンジ「落ち葉」
 バッハ作曲/レスピーギ編曲 「パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582」
 ジョン・アダムズ「はるかなトランペットの響き」
 バーバー「弦楽のためのアダージョ」
 マイケル・ティペット「オラトリオ”我らが時代の子”から黒人霊歌」
 ベートーヴェン「交響曲第9番“合唱” から第4楽章」
 パリ−作曲/エルガー編曲「エルサレム」                   

(メゾ・ソプラノ) アン・マレー,アリス・クート
(ソプラノ) ジャニス・ワトソン
(テノール) ティモシー・ロビンソン,キム・べグリー
(バス,バリトン) ディヴィッド・ウィルソン・ジョンソン
(合唱) BBCシンフォニー・コーラス
(管弦楽) BBC交響楽団
(指揮) レナード・スラトキン

当初予定されながら演奏されなかった曲目 
 ラヴェル「歌曲集“シェエラザード”」
 アイブズ「“アメリカ”変奏曲」
 スーザ「行進曲“自由の鐘”」
 エルガー「行進曲“威風堂々” 第1番」
 ヘンリー・ウッド「イギリスの海の歌による幻想曲」
 アーン「ルール!ブリタニア」

テロの影響で出演しなかったと思われるソリスト  
(メゾ・ソプラノ) フレデリカ・フォン・シュターデ
(ピアノ) ポール・ルイス