Wales

                    
ケルト十字


INDEX
■エキゾチックなウェールズ

Wales南部

■カーディフ城
■Wales民俗博物館
■ケールフィリー城
■カステル・コッホ
■セント・ディヴィッズ
■セント・ディヴィッズ大聖堂
■フィッシュガード

Wales北部

■コンウィ
■スノードン山
■スノードン山登山鉄道

その他

■オークウッド公園
■Farm House

おまけ

■ケルト民謡のCD


エキゾチックなウェールズ
 WalesはEnglandと全く異なる文化をもつ。ケルトの特色を色濃く残し,言語も英語と全く違う。Welshの中にはEnglandに反感を持つものも多く,しばしば旅行者が無頓着にも「England」なんて言うと,「違う,Britainだ」という返事が返ってきたりする。彼らは「自分たちの国」に対する誇りを持っているのだ。
 しかし,Walesの住民に会わずとも,WalesがEnglandと違う国であると肌で感じることができる。A4でSevern橋を渡り10分ぐらい走ると,看板になじみのない文字「Croeso i Gymru」 が現れ,その下に英語で「Welcome to Wales」。つまりこの文字「Croeso」はウェールズ語の「Welcome」だと気づくのだ。
 私の友人であるインターナショナル・パートナー・グループのKristenはWelshであるが,彼女に一度Wales語なるものを話してもらったことがある。しかしその「音」の感じは全く英語と似て非なるものであった。また,Walesの学校では自分たちの言葉を守ろうという動きがある。言葉は自分たちのアイデンティティである。文化財を保護し維持することも素晴らしいことに違いないが,その源にある言葉を守ることはもっと難しいことであろう。しかし,ケルト文化の真髄はまさにこの言葉にあるのだろうとおもう。アイルランドやスコットランドを含め,ケルト民族の流れを引く人々には,ジョイスやロバート・バーンズ,イエーツなどたくさんの詩人・作家がいる。
       ウェールズ語のゲームブック    Wales民俗博物館のパンフレット

                   
 Wales人は人種的に見てもアングロ・サクソン系のEngland人と異なる。Wales人の祖先であるケルト人は紀元前5世紀頃からブリテン島に移入した。43年ローマ軍がEnglandを従属させたが,Walesの天然の要害は攻めきれず,本国の異変によって引き返すことになる。さらに,7世紀になってアングロ・サクソン人が侵入してくる。これによって,ケルト人たちはWales,スコットランド,コーンウォールなどへと駆逐されることになる。これらの中で,Walesだけがこれ以降も長く独立を保つ。しかしながら,ついに13世紀後半Englandに併合されてしまう。しかしWales人たちの独立心は強く,エドワード王は自分の王子にPrince of Walesという称号を与え,敵愾心をけん制したという。
 ところで,Walesにはたくさんの保存鉄道が走っている。これを楽しむのもよい。このあたりは良質の石炭が採掘され,North Walesの鉱山では,良質のスレートがたくさん産出した。スレートは19世紀には屋根の材料としてよく使われたものである。この博物館も興味深い。

Wales南部
カーディフ城
 カーディフはWalesの首都にして1999年のラグビー・ワールドカップの開催地。近代的で大きなショッピングセンターやビルが目に付き,どちらかというと観光都市というよりは,商工業都市というイメージが強い。日本のSONYやPanasonicの駐在員が多く住んでおり,ロンドン以外では数少ない日本人学校もある。長男がBathのインファント・スクールに通い始めた頃,この学校の日本人の先生が,週に一回長男の英語理解を助けるために教育委員会から派遣されて来ていた。Walesの有名な工芸品にLove Spoonという,木のスプーンに様々なパターンや装飾を彫刻したものがある。大きさ,色,装飾は様々であるが,やはり名人が作ったものは彫りが繊細で値段も高価である。WalesのシンボルであるドラゴンをデザインしたLove Spoonなどお土産にいかがだろう?
 さて,賑やかではあるが面白味のない街になるのを救っているのが,街の一等地にデーンと鎮座しているカーディフ城である。この城は1世紀後半にローマ軍が築いた矩形のローマン・フォートが元になっている。ここにノルマン人が11世紀に城を建てて以来,中世,近世と城主は次から次へと変わったが,18世紀後半にビュート家の手に渡り,1947年カーディフ市に寄贈されるまで同家が所有した。そして現在見られる豪華絢爛たる城の内部は,第3代ビュート候ジョンが19世紀に鬼才ウィリアム・バージェスに設計させ,巨額の資金をつぎ込んで完成させたものである。要するに貴族が道楽で建てた時代錯誤もはなはだしいおとぎの城なのだ。そういう点では,バイエルンの王ルードヴィヒ2世が19世紀に建てたノイシュバンシュタイン城(規模はずっとカーディフ城より大きいが)と性格が似ている。しかし,その「時代錯誤」が,現在どんなにかカーディフ市に潤沢な観光収入をもたらしていることか。(ノイシュバンシュタイン城だって同じことだ。)当時は「あの殿様いったい何を考えているんだ?」と陰口を叩かれたかもしれないが,今のカーディフで第3代ビュート候の悪口をいう人はいないだろう。市内に候の立派な像が立っている。
 城はガイド付きツアーで回らなければならない。たくさんの部屋には二つとして似たものがなく,どの部屋も意匠に満ちている。アラビアの部屋,グリム童話の部屋,聖書の部屋,時計塔,八角塔…。この城をリンボウ先生のように「悪趣味のかたまり」と見るか,ヴィクトリア朝時代の素晴らしい一つの遺産と見るかは,訪ねる人の感性によるだろう。私は後者の意見に近い。

Wales民俗博物館(Welsh Folk Museum)
 カーディフ市内から西に数キロのセント・ファーガンズ村にある広大な屋外博物館。17〜19世紀のウェールズを再現した民家,教会,よろず屋,鍛冶屋,パン屋…があり,日本でいえば明治村という感じであろうか。当時の衣装に身を包んだ女性がパンやジャムつくりの実演をしており,買うこともできる。Love Spoon製作の実演もしており楽しい。家族でたっぷり1日遊べるだろう。英国には珍しいやる気・売り気満々でサービスのよいMuseum。ショップも充実。

ケールフィリー城(Caerphilly Castle)
  これは他でもない,「トラベル・ダイアリー」の壁紙として使っているお城です。 車だとM4から少し北に入った便利なところにある。今は城跡という感じであるが,その昔清教徒革命が起こっていた頃,クロムウェルの部隊によって破壊されたという塔が興味深い。また,このお城の周りには高い建物がなく,しかも堀が巡らされており,中世に迷い込んだような雰囲気である。私たちが訪ねた時には,実際に昔戦いに使用されていた「投石器」の実演が行われていたり,昔のWalesの衣装を着た人が当時の生活のデモンストレーションをしたりで,とても興味深い観光となった。
  (左)勇壮なケールフリー城
  (右)Walesの人々の暮らしを再現

カステル・コッホ(Castell Coch)
 上記のCaerphilly城から車で30分ぐらいのところにあるおとぎ話に出てくるような可憐なお城。Castell Cochとは「赤い城」という意味のWales語である。Caerphilly城へ観光した後に,こちらに来ただけに,繊細な城が一層美しく感じられる。こんもりとした森の中に立っているこの城を最初に目にしたときは,文字通り鮮やかな赤色に目を奪われた。
 この素晴らしい城を作ったのはカーディフ城と同じ第3代ビュート候と鬼才ウィリアム・バージェスのコンビ。やはり,古い城を再建したというより,自分たちの好みで徹底的に作り変えた19世紀の新しい城なのだ。大英帝国の時代には,個人の資金で城をいくつも建てることができたのだ。高い税金に苦しむ今の貴族には羨ましい限りだろう。規模の点ではカーディフ城より小さいものの,おとぎの城というイメージは一層強い。キープタワー最上階にあるゴシック・アラビア風の豪華絢爛な寝室でビュート候夫人はどんな夢を見ていたのだろうか。
    おとぎ話に出てきそうなカステル・コッホ


ブレコン・ビーコン登山鉄道
 
英国保存鉄道乗車記をご覧下さい。

セント・ディヴィッズ
 ここに観光する数日前
コーンウォール のランズエンド,リザード・ポイントというイングランドの最西端・最南端を制覇したため,Walesの最西端にも行ってみようということになった。
 St David'sはWales最西端ペンブロック州国立公園の海岸線に囲まれた小さな街である。Walesの守護聖人St Davidが作った街だそうだ。人口約1500人の小さな町であるにもかかわらずWales随一の大聖堂がある。

セント・ディヴィッズ大聖堂(St. David's Cathedral)
 550年にWalesの守護聖人St Davidがこの地に寺院を建てたのが始まり。現在の大聖堂は12世紀に建てられたもの。それ以後16世紀頃まで増改築が繰り返され,Walesの巡礼のメッカとなった。当時この大聖堂を3回もうでることは,聖地エルサレムへ巡礼したのと同じとされていたそうだ。本当に小さくちょっとさびれかけた街セント・ディヴィッズに似合わないほどの偉容を誇る大聖堂である。この大聖堂は城壁に囲まれており,南東の城壁の上から見下ろすと聖堂の大きさが分かる上に,眺めが非常に美しい。
 しかしながら,私たちにとってはご利益のあるものではなかったということを付け加えておきたい。夫は土手でオンボロ・フォードの後ろのバンパーをぶつけた。美しい大聖堂のとなりに朽ちかけたビショップ・パレスの遺跡があるが,まさに私たちの気分もここの石垣のように虚しいものであった。
  (左)偉容を誇る大聖堂
  (右)廃墟と化したビショップ・パレス


フィッシュガード
 大して何もない海辺の街であったが,ちょっと曇り気味であったためもあってか,ランズ・エンドで見た穏やかな青い海とは全く違っていた。強風にあおられながら眺めた海は荒々しかった。何だかEnglandとWalesの自然の違いを感じたような気がした。Walesはのどかな牧草地が広がるEnglandとは違って,起伏が厳しく,土地も痩せている。まさにこの海の荒々しさが私たちのWalesのイメージとなったのである。



Wales北部
コンウィ
 エドワード1世によって建てられた城が美しく,しかも保存状態もよく残っている。街は城壁に囲まれた静かな環境にある。散策するのも楽しい。また英国最小の家(本当かなあ?)という妙な名所がある。この近くの手作りチョコショップのチョコは美味しかった。



スランベリス
スノードン山

 スランベリス自体この山の登山客が宿泊に利用する場合が多い。スノードン山はスノードニア国立公園にある1085mの山である。日本人の感覚からすればそんなに高くないが,ブリテン島自体が起伏の少ないなだらかな土地柄であり,この山はそれからすればとても高いということになる。また,山にはあまり木々は生えておらず,登山する場合はこの日光の対策をして行った方が良さそうである。主な登山道は6つあるらしく本格的な登山を楽しむこともできるとのことである。

スノードン山登山鉄道
 登山しなくても,子供連れにもありがたいこの鉄道はイギリスで唯一のアプト式鉄道である。詳しくは
英国保存鉄道乗車記をご覧下さい。

その他
Oakwood Park
 St David'sに行く時,Bathから日帰りで行くのはあまりにも遠いので,途中で1泊することにした。その日は,英国で数少ない本格的遊園地であるOakwood Parkに遊びに行った。親が行きたいところに行くときには,先に子供のご機嫌を取っておくのが肝心肝心…。入場料がちょっと高い気もするが,子供たちは大喜びだった。珍しい木製コースターもある。


Farm House
 Oakwood Parkで遊んだ後はFarm House(農家の家)に泊まり,次の日St David'sを目指すこととする。ここに着いたとき,玄関は開いているのに家には誰もいないまま。予約してあるのにおかしいなと思ってよく見ると,「御用のある方はここから電話してください。」との張り紙がしてるではないか。早速電話すると,しばらくして農作業服を来て長靴を履いたママさんがトラックで戻ってきた。いかにもウェイルズ人といった感じの赤茶色の髪と黒っぽい瞳が印象的であった。
 家の中にあげてもらい,たっぷりのお茶とクッキーをいただいた。B&Bばかりでなくたまには農家の家に泊まるのもいいもんだ!部屋は広いし,子供用の2段ベッド(英国で初めて見た)はあるし,お風呂も大きくてお湯もたっぷり。リビングでは自由にくつろげるし,子供のおもちゃまで置いてある。本当は夕食は付かないのだけれど,子供が小さいから何とかしてほしいと頼んだら,買出しに出かけて,食べきれないくらいのサンドイッチを作ってくれた。親切な農家だった。


ケルト民謡はいかが?
The Fairy Dance: Myth and Magic in Celtic Songs and Tunes
(Past Times BEJOCD-15)
 ウェールズの民謡ではないが,スコットランド,アイルランドに残るケルト民謡を集めたCD。Past Timesは過去の色々な時代様式(例えばチューダー朝時代やヴィクトリア朝時代)の生活用品や装飾品を販売するオックスフォードに本社を置くチェーン店。このCDはデザイン,内容とも素敵だ。ケルトの伝説は妖精やドラゴンといった架空の生き物たちや魔法や魔女といったキリスト教社会が否定したものを生き生きと表現している。しばしば,詩人や作家の創作活動の源となったものである。ウィリアム・イエーツはアイルランド出身の詩人であるが、彼は熱心に妖精伝説を収集したことでも知られている。また現代でもイギリスの歌手エンヤは,これらケルトの民謡の雰囲気を色濃く表現する。雰囲気的にポルトガルの民謡ファドにも似た,郷愁を誘う曲の多くは,日本人の心にも深く訴えるものがあると思う。