わが戦記(4)

フイリッピン ルソン島戦線(2)

バギオに着いて間もなく、私はバギオにあるフイリッピン、ラウエル大統領官邸の防空壕計画のため、急坂上の官邸を訪れた。トラックの荷台に立つていた。荷台後端のアオリは後ろに倒したままである。馬力のない車は一気に上りきらない、進んだり後退したりしていたがやがて急に発進した。後ろに立っていた私はクルリとひっくり返り、荷台とアオリ間の隙間に足首を挟まれぶら下がった。トラックは2,3回上り下りを繰り返した。仕方がない、手で歩いた。上りきって運転手が降りてみたら私が居ないのでびっくり、なんと後ろにぶら下がっている。        

私はバギオで山下軍団、即ち14方面軍参謀部の防空壕の構築を命じられた。工事指揮官の中隊長で、4ケ小隊の長となり、小高い山をくり抜いて大防空壕を造ることになった。入り口は4ケ所あった。

 兵隊は名古屋第百師団工兵の精鋭である。(この部隊とは終戦まで行を共にした)工事は各坑口から掘り始め1日6mのハイスピードで進んだ。敵の爆撃がひどくなった。外の土捨て場で5,6人がやられた。壕の中に6畳ぐらいの部屋を数ケ所造った。山下大将は上の官邸が爆撃でやられたので、この壕の中に入つて来られた。工事指揮官である私は何度も呼ばれて、閣下の質問に答えた。わが軍司令部の位置を察知したのだろう、敵は連日猛爆を加えてきた。

壕の中は電灯がない。石油ランプである。参謀達は鼻の穴を真っ黒にして作戦室から出て来られた。

 そのちょっと前になる。私が壕外の2階家に居た時、爆弾の直撃を受けた。破裂音と共に破片が飛び散った。約30cmぐらいの尖った鉄片が四方の柱に突き刺さつた。ゾーッとした。よくも助かったものである。

 ある月の夜、爆撃がひと休みしていた。山下大将は武藤章参謀長と坑口に出られた。私もついて行った。「俳句を作ろうじやないか」と言い次のように書かれた。「漏斗孔老将立てり寒の月」、頃は2月、坑口には爆弾穴である漏斗孔が広がっていた。

私の居室に背の高い、顔に傷のある少尉が訪ねてきた。横浜高商卒でレーテ島から来たという。「何度も斬り込みにいったよ。俺は斬り込みの名人なんだ。今回呼ばれて斬り込みの教育に来た」と言った。面白い男である。「どうやつて斬り込みをやるんだ」「うん、アメリカ兵が寝ている処へ行ったら枕を蹴るんだ。アメリカ兵は両手を挙げてギブアツプをする。そこで、そろーっと手榴弾を下に入れてやる。すかさず横に跳んで伏せをする。手榴弾の破裂が起こる。という具合なんだ」「成る程分かった。有難う」 よーし俺もやるぞ

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