静岡県袋井市
2005年02月12日
元亀3(1572)年、三方ヶ原の戦の前哨戦となった木原畷古戦場は、左(南)に見える木原集落の北方一帯と言われています。 (木碑に記載の文章より)
らん塔のお地蔵さん(笹田源吾の墓) 戦国時代、袋井市域は徳川家康と武田勝頼の合戦の場となりました。天正6(1578)年頃には徳川方が優勢となり、遠江の武田方の城は大東町の高天神城だけとなりました。武田方は徳川方の情勢を探るため、高天神城にいた笹田源吾(篠田源五)を偵察に出しました。8月10日夜、木原村まで来ているところを徳川方に味方する木原村の住人太郎兵衛らが加わり、これを討ち取りました。徳川家康はこの手柄をたいへん喜びました。 その後、平和な時代となりましたが、村には疫病や災害などの悪いことが続き、太郎兵衛にも不幸がありました。これらの災難は笹田源吾や武田と徳川の戦いにより戦没した人々の悪霊の祟りだという噂がおこり、これらの人々の悪霊を鎮めるために、地蔵が建てられました。この地蔵は現在でも丸野家の子孫の方々によって四百年間大切に祭られています。 (看板資料より)
木原権現から東に向っていくと右側に一里塚がありその四つ角を左に曲って真っ直ぐ進んでいくとたどり着けます。南下した武田軍はこの地で徳川軍と小競り合いを行い、その後三ヶ野坂、一言坂での戦いへと続きます。
→許禰神社(木原権現社) →長命寺 →三ヶ野坂古戦場 →一言坂の戦い跡