←前のページ トップページ↑ 次のページ→

静岡県袋井市

許禰神社(木原権現社)

 
2013年12月30日

古戦場 木原畷
元亀3(1572)年、鷲巣の久野城を攻めた武田信玄はここ木原に陣をはり、浜松城を守る徳川家康の偵察隊と衝突しました。この戦いが世にいう木原畷の戦いです。
6年たった天正6年8月、高天神城(大東町)から徳川軍の様子を探りにきた武田の家臣笹田源吾はこの地で村人達に討ちとられてしまいました。木原大念仏(市指定無形民俗文化財)は笹田源吾を供養するため始まったと伝えられています。
(看板資料より)

古戦場 木原畷
元亀3(1572)年、兵3万5千を率いて甲府を出発した武田信玄は犬居城飯田城を落として久野城へ向った。しかし久野宗能の激しい抵抗にあったため東海道を西に向い、ここ木原・西島に陣をはった。これを知った徳川家康の兵とこの付近で小競り合いを繰り返した信玄はやがて二俣城を攻略し、東三河に向うべく三方ヶ原を通過しようとした。これに対して家康は兵1万で迎え撃ったが信玄の大軍の前に一蹴され浜松城へ逃げ帰った。これが世にいう三方ヶ原の合戦で、木原での戦いはこの前哨戦ともいうべきものであった。
(看板資料より)


許禰神社(木原権現社)

許禰神社(木原権現社)
遠江では平治元(1159)年以降、しばしば熊野新宮を造営する費用をまかなうための国に指定されたので、多数の熊野神社が建てられました。袋井市域でも、土橋で熊野権現社、松袋井で熊野十二社神社が現在でも祭られていることから、古代末期より和歌山県の熊野山とはたいへん深い関係にあったことが分かっています。
木原の許禰神社は、かつては木原権現社と呼ばれ、古代末期に創建されたと考えられています。許禰神社は古代の神社名帳(式内社)のなかに見られる神社で、一説には古代の許禰神社が木原権現社になったともいわれています。
『木原権現由来記』という全長17mもある巻物が残されています。由来記には、ある日木原の子供に熊野の神がのり移り、この地に熊野の神を祭れば、洪水を防ぎ、穀物の実りを豊かにするお告げがありました。天災に苦しんでいた村人は早速に熊野の神を祭った。これが木原権現社の由来だと記されています。当時の民衆が神様に対して切なる願いを記録した貴重な資料となっています。
(看板資料より)

 


 
2005年02月12日

許禰神社(木原権現社)
遠江では平治元(1159)年以降、しばしば熊野新宮を造営する費用をまかなうための国に指定されたので、多数の熊野神社が建てられました。袋井市域でも、土橋で熊野権現社、松袋井で熊野十二社神社が現在でも祭られていることから、古代末期より和歌山県の熊野山とはたいへん深い関係にあったことが分かっています。
木原の許禰神社は、かつては木原権現社と呼ばれ、古代末期に創建されたと考えられています。許禰神社は古代の神社名帳(式内社)のなかに見られる神社で、一説には古代の許禰神社が木原権現社になったともいわれています。
『木原権現由来記』という全長17mもある巻物が残されています。由来記には、ある日木原の子供に熊野の神がのり移り、この地に熊野の神を祭れば、洪水を防ぎ、穀物の実りを豊かにするお告げがありました。天災に苦しんでいた村人は早速に熊野の神を祭った。これが木原権現社の由来だと記されています。当時の民衆が神様に対して切なる願いを記録した貴重な資料となっています。
(看板資料より)


古戦場 木原畷
元亀3(1572)年、鷲巣の久野城を攻めた武田信玄はここ木原に陣をはり、浜松城を守る徳川家康の偵察隊と衝突しました。この戦いが世にいう木原畷の戦いです。
6年たった天正6年8月、高天神城(大東町)から徳川軍の様子を探りにきた武田の家臣笹田源吾はこの地で村人達に討ちとられてしまいました。木原大念仏(市指定無形民俗文化財)は笹田源吾を供養するため始まったと伝えられています。
(看板資料より)


古戦場 木原畷
元亀3(1572)年、兵3万5千を率いて甲府を出発した武田信玄は犬居城飯田城を落として久野城へ向った。しかし久野宗能の激しい抵抗にあったため東海道を西に向い、ここ木原・西島に陣をはった。これを知った徳川家康の兵とこの付近で小競り合いを繰り返した信玄はやがて二俣城を攻略し、東三河に向うべく三方ヶ原を通過しようとした。これに対して家康は兵1万で迎え撃ったが信玄の大軍の前に一蹴され浜松城へ逃げ帰った。これが世にいう三方ヶ原の合戦で、木原での戦いはこの前哨戦ともいうべきものであった。
(看板資料より)


徳川家康公腰掛石
関ヶ原の戦の勝利祈願のため当社を訪れた折、腰かけた石と言われています。
(木碑に記載の文章より)


境内には「許禰神社のクスノキ」として御神木がある。袋井市の名木古木に指定されているらしく、樹齢500年とのこと。武田信玄や徳川家康もこの木を見たことでしょう。


周辺の地図


木原畷古戦場
長命寺
三ヶ野坂古戦場
一言坂の戦い跡

 

 
←前のページ トップページ↑ 次のページ→