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長野県木曽町

興禅寺

2004年09月19日

興禅寺墓地
■木曽義仲公の墓
石段正面中央の宝筐院塔。義仲は久寿元(1154)年武蔵国(埼玉県)大蔵館で生まれた。幼名駒王丸。二歳の時父義賢は、兄の子義平に討たれたが、斉藤実盛のはからいでこの近くの上田にあった中原兼達の屋敷にかくまわれて成育した。元服の後、宮の越(日義村)に館を建てて移った。
治承4(1180)年、以仁王の平家追討の令旨を受け、関東、北信濃の兵を集めて北陸より京都に攻め入り平家を追討。征夷大将軍となり、朝日将軍と称せられた。1184年頼朝の軍に攻められ、近江(滋賀県)栗津原で討ち死にした。年31才。遺髪を納め、分霊はここに眠る。
■木曽信道公の墓
右側。興禅寺開基。(1389〜1439)
木曽氏第12代領主。
■木曽義康公の墓
左側。木曽氏第18代(1514〜1579)
墓地裏山の福島城を築いた。
■木曽義昌公の墓
木曽氏第19代領主(1540〜1595)
武田信玄と戦い、和睦。信玄の娘万里姫を奥方に迎えた。後、豊臣秀吉により下総網戸(千葉県旭市)に移された。
■木曽家代々の墓
左後方の駒形の墓碑。
■代官山村氏代々の墓
丸に一文字の家紋のある笠石の乗った大きな墓塔が二箇所にある。特に第九代伊勢守良由公は学問に勝れ、尾張藩家老となった。
(看板資料より)

興禅寺には木曽義仲の墓があるというのは福島城に登るときに看板が見えたので帰路寄ることにしていました。しかし寄ってみると義仲だけではなく、義康、義昌、木曽家代々、更には山村家代々の墓までありました。
私が到着したときにちょうど法事があったようでお寺のお坊さんも何人か居たので木曽義康、義昌の墓がどれなのか聞いてみましたが、あまり詳しくないらしく分からないようでした。近くの看板を一緒に見て柵で囲ってある3つの墓の中央が木曽義仲公、右が信道公、左が義康公とのことでした。
その他、宝物館や日本一大きな石庭などがありましたが拝観料五百円は少し高いような気がしました。


中央が木曽義仲公の墓、右側が木曽信道公、左側が木曽義康公の墓なのだそうです。


代官山村氏代々の墓


木曽家代々の墓



1985年04月03日

木曽義仲公、義康公の墓


木曽義昌公史跡公園
東漸寺
真理姫の墓
大通寺
福島城

 

 
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