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興禅寺墓地
■木曽義仲公の墓
石段正面中央の宝筐院塔。義仲は久寿元(1154)年武蔵国(埼玉県)大蔵館で生まれた。幼名駒王丸。二歳の時父義賢は、兄の子義平に討たれたが、斉藤実盛のはからいでこの近くの上田にあった中原兼達の屋敷にかくまわれて成育した。元服の後、宮の越(日義村)に館を建てて移った。
治承4(1180)年、以仁王の平家追討の令旨を受け、関東、北信濃の兵を集めて北陸より京都に攻め入り平家を追討。征夷大将軍となり、朝日将軍と称せられた。1184年頼朝の軍に攻められ、近江(滋賀県)栗津原で討ち死にした。年31才。遺髪を納め、分霊はここに眠る。
■木曽信道公の墓
右側。興禅寺開基。(1389〜1439)
木曽氏第12代領主。
■木曽義康公の墓
左側。木曽氏第18代(1514〜1579)
墓地裏山の福島城を築いた。
■木曽義昌公の墓
木曽氏第19代領主(1540〜1595)
武田信玄と戦い、和睦。信玄の娘万里姫を奥方に迎えた。後、豊臣秀吉により下総網戸(千葉県旭市)に移された。
■木曽家代々の墓
左後方の駒形の墓碑。
■代官山村氏代々の墓
丸に一文字の家紋のある笠石の乗った大きな墓塔が二箇所にある。特に第九代伊勢守良由公は学問に勝れ、尾張藩家老となった。
(看板資料より)
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