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長野県木曽町

興禅寺

2013年08月02日

<EOS M EF-M22mmf/2 STM 22.0mm Tv:1/100 Av:5.0 ISO:100>

木曽義仲公、木曽の領主木曽家代々、木曽代官山村家代々の菩提所で、木曽三大寺の一つである。
当寺は、永享6(1434)年木曽義仲追膳供養のため、木曽家12代信道公が荒廃していた寺を修復再建し、開山には鎌倉建長寺開山蘭渓道隆五世の孫、圓覚太華和尚を迎えた。よって、信道公を開基、太華和尚を中興開山としている。
明応5(1496)年叔雅和尚の代に木曽家16代義元公(叔雅和尚の父)の庇護を受けて大いに発展した。これにより、義元公を中興開基、叔雅和尚を中興開山としている。
本堂はじめ諸堂宇は、昭和2年の福島町大火によって全焼し、後に復興したものである。
・勅使門
 室町時代の建築様式で、明治43年に保護建造物(重要文化財)に指定されていたが、大火によって焼失したため、昭和29年に原形通りに復元したものである。
・観音堂
 昭和30年の再建。義仲公木造(焼失)の体内仏を安置する。推古時代の作と伝えられる金銅仏である。
・宝物殿と庭園
 平成11年、開山太華和尚600年記念事業として造られた。書画、什物等を展示している。
・昇龍の庭(登竜門)
 親子三体の龍が昇天する姿を滝上部に、下部にはこれから龍になろうとする鯉魚石を表現している。
・須弥山の庭(九山八海の庭)
 須弥山は仏教の宇宙感で、須弥山を囲む九つの山と八つの海からなり、一つの石でいくつもの山々を表現したものを九山八海石という。この庭は九つの山を石組みで表している。
・天正18(1590)年、豊臣秀吉が小田原の北条氏平定の頃、細川幽斉公の立ち寄ったゆかりの寺である。元総理大臣細川護煕氏揮毫の碑がある。
(看板資料より)


万松庭

<EOS Kiss X6i EF8-15mmf/4L FISHEYE 10.0mm Tv:1/100 Av:7.1 ISO:100>

池泉水の庭園で江戸時代中期金森宗和の作である。

看雲庭

<EOS M EF-M11-22mmf/4-5.6ISSTM 16.0mm Tv:1/200 Av:11.0 ISO:100>

枯山水の庭としては東洋一の広さである。禅宗庭園として昭和37年に現代作庭家の巨匠重森三玲氏によって造られた。


<EOS M EF-M11-22mmf/4-5.6ISSTM 13.0mm Tv:1/80 Av:7.1 ISO:100>

<EOS M EF-M11-22mmf/4-5.6ISSTM 11.0mm Tv:1/125 Av:7.1 ISO:100>


<EOS M EF-M11-22mmf/4-5.6ISSTM 16.0mm Tv:1/30 Av:5.0 ISO:100>

中央が木曽義仲公、右側が当山開基の木曽信道公、そして左側が18代木曽義康公と19代木曽義昌公の墓である。

 



2004年09月19日

興禅寺墓地
■木曽義仲公の墓
石段正面中央の宝筐院塔。義仲は久寿元(1154)年武蔵国(埼玉県)大蔵館で生まれた。幼名駒王丸。二歳の時父義賢は、兄の子義平に討たれたが、斉藤実盛のはからいでこの近くの上田にあった中原兼達の屋敷にかくまわれて成育した。元服の後、宮の越(日義村)に館を建てて移った。
治承4(1180)年、以仁王の平家追討の令旨を受け、関東、北信濃の兵を集めて北陸より京都に攻め入り平家を追討。征夷大将軍となり、朝日将軍と称せられた。1184年頼朝の軍に攻められ、近江(滋賀県)栗津原で討ち死にした。年31才。遺髪を納め、分霊はここに眠る。
■木曽信道公の墓
右側。興禅寺開基。(1389〜1439)
木曽氏第12代領主。
■木曽義康公の墓
左側。木曽氏第18代(1514〜1579)
墓地裏山の福島城を築いた。
■木曽義昌公の墓
木曽氏第19代領主(1540〜1595)
武田信玄と戦い、和睦。信玄の娘万里姫を奥方に迎えた。後、豊臣秀吉により下総網戸(千葉県旭市)に移された。
■木曽家代々の墓
左後方の駒形の墓碑。
■代官山村氏代々の墓
丸に一文字の家紋のある笠石の乗った大きな墓塔が二箇所にある。特に第九代伊勢守良由公は学問に勝れ、尾張藩家老となった。
(看板資料より)

興禅寺には木曽義仲の墓があるというのは福島城に登るときに看板が見えたので帰路寄ることにしていました。しかし寄ってみると義仲だけではなく、義康、義昌、木曽家代々、更には山村家代々の墓までありました。
私が到着したときにちょうど法事があったようでお寺のお坊さんも何人か居たので木曽義康、義昌の墓がどれなのか聞いてみましたが、あまり詳しくないらしく分からないようでした。近くの看板を一緒に見て柵で囲ってある3つの墓の中央が木曽義仲公、右が信道公、左が義康公とのことでした。
その他、宝物館や日本一大きな石庭などがありましたが拝観料五百円は少し高いような気がしました。


中央が木曽義仲公の墓、右側が木曽信道公、左側が木曽義康公の墓なのだそうです。


代官山村氏代々の墓


木曽家代々の墓



1985年04月03日

木曽義仲公、義康公の墓


木曽義昌公史跡公園
東漸寺
真理姫の墓
大通寺
福島城

 

 
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