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長野県木曽町

真理姫の墓

2004年09月19日

真理姫五輪の塔 由来
真理姫は、木曽家19代義昌の夫人である。夫人は甲斐の武田晴信(信玄)の三女で、勝頼の妹でもあるが、戦国の世に生まれ、数奇な一生を過し、この地で亡くなっている。
・弘治元(1555)年武田晴信は木曽義康(18代)は、利あらず降伏する。晴信はこれを許し、当時16才の義昌に、幼少6才の三女真理姫を娶わせて、木曽氏を武田一門の親族衆に加えた。これ以来真理姫は木曽義昌夫人となる。
・天正元(1573)年晴信卒し、勝頼の代となる。
・天正三(1575)年勝頼は、長篠の戦いで織田・徳川の連合軍に大敗し、武田の勢力俄かに衰える。
・天正十(1582)年1月、夫人真理姫は義昌離反を勝頼に内報する。勝頼大いに怒り木曽へ部将を派遣し攻めるも、義昌これを鳥居峠で破る。2月には勝頼自身出兵し、再び木曽・織田連合軍に敗れ去る。ついで甲斐を攻略され、部下将兵も離反し勝頼天目山で自刃し、武田氏ついに亡ぶ。
・天正18(1590)年木曽は豊臣秀吉領となり、木曽氏は下総網戸へ、わずか一万石の領主として移封された。
・慶長元(1596)年義昌の長子義利(20代)は、暗愚のため、木曽家は家康により没収、お取潰しとなる。
・夫人真理姫は、三男三女の母となっていたが、末子義通(義一)をつれ、当三岳村野口の上村作右衛門に身をよせ、隠棲しながらも、木曽谷の士豪にはかり、木曽家再興を念願したが、時代の流れは大きく変わり、果せなかった。
・正保4(1647)年7月7日真理姫は98才の長い一生をこの地に終えたと伝えられている。
(看板資料より)


休日でしたが三岳村役場を訪問し、真理姫の墓の場所を尋ねました。役場には日直の人?がいて丁寧に地図まで書いてくれて場所を教えてくれました。場所を文章で書くのは難しいですが、三岳村役場から開田村に向う県道沿いの看板にも真理姫の墓と書かれた案内がありましたので地元ではかなり有名のようでした。現地は個人の方が管理しているとのことでしたがきれいに整備され、墓の傍らには教育委員会の大きな案内板もありました。


東漸寺
木曽義昌公史跡公園
大通寺
興禅寺
福島城

 

 
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