今回の観光のメインと言ってもいいカッパドキア。
魅惑の大地にドキドキです。

 
 
 
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229年、当時の首都コンヤと主要都市アクサライを結ぶ幹線上に建てられた
隊商宿。セルジューク朝時代に建てられたケルヴァンサライで最大の規模を誇る。
中庭には、礼拝所があり、周囲を囲む回廊式の建物には食堂の他ハマム、宿泊施設など
が設けられている。
 
     
 
   




途中、休憩場所で寄ったケルヴァンサライ。
中に入るのに5リラ払いますが、見る価値十分にありです。
 
 
   
     
 
国営の絨毯販売のお店です。ヘレケと呼べれる高級絨毯は、裏・表とも手触りが抜群です。
でも、お値段も抜群です。
 
 
カッパドキアのギョレメ国立公園と岩石群(世界遺産)
場所:カッパドキア BC6世紀

カッパドキアという呼称の最初の記録は、紀元前6世紀後半に遡る。そこでは、2人のアケメネス朝初期の王ダレイオス1世とクセルクセス1世について3言語で書かれた碑文に、ペルシア帝国を構成する一地方(古代ペルシア語でdahyu-「州」)として現れている。地方についてのこれらの一覧の中で、古代ペルシア語での名称はKatpatukaであるが、ペルシア固有の言葉でないことは明らかである。エラム語とアッカド語版の碑文も、類似の名称を含んでいる。
"妖精の煙突"と呼ばれる岩の形成物の間に位置するギョレメ は、トルコの歴史地区カッパドキアの町である。それはアナトリア中央部の ネヴシェヒル県 (Nev?ehir)にある。ギョレメ国立公園(トルコ語でGoreme Milli Parklar)は、1985年にユネスコの世界遺産リストに加えられた。
この地域への初期の移住は キリスト教が伝播した頃の古代ローマ後期にさかのぼる。史跡の中にはギョレメのオルタハネ、ドゥムス・カディル、ユフス・コックとベジルハネの教会、岩から彫られた家々と縦抗がある。 地下45メートルまでには、広範囲の地下都市が近年発見されている。

 
 
     
 
     
 
     
 
ギョメレ谷には、30以上の岩窟教会があり、地上の教会と同じ十字平面の教会や丸天井のものが多い。チャクル・キリセ(サンダル教会)
・ユランル・キリセ(ヘビの教会) エルマル・キリセ(りんごの木の教会)・カランルクキリセ(暗闇の教会)などがある。
 
 
 
内部には教会、学校、ワイナリー、食料貯蔵庫などが作られ、約2万人が暮らしたと考えられている。 各階層は階段や傾斜した通路でつながれている。
カイマクルと隣のデリンクユの地底都市の間には地下通路が確認されている。 ローマ帝国の迫害を逃れてこの地に辿り着いた初期キリスト教徒たちが隠れ住み、
何世紀もかかって掘り進められて拡張されてきたが、作られた年代は謎に包まれている。紀元前から存在し、ヒッタイトによって作られたと考えられている。
 
       
 
ここの地下都市は、地下4階まで行けますが、迷うと帰ってこれなくなる恐れもあります。
当時、2万人も暮らしていたらしいのですがびっくりです。
 
 
               
   
     
   
 
 
   

くるくる回り続ける舞いセマーは、トルコ内陸部にある町、
コンヤで13世紀に生まれました。
そもそもイスラム神秘主義教団である
メヴレヴィ教団の儀式として始まったものです。
メヴレヴィ教団は、思想家メヴラーナの名前に由来しています。彼は町の霊廟に眠っています。セマーの舞いは、
20世紀にオスマン帝国滅亡とともに姿を消しましたが、
一部で継承され、無形文化遺産となりました。
 
 
運よく、セマーショーを貸切で見ることができました。
くるくる回転する様子は、撮影をしていると三半規管がおかしくなり目が回りました。
でも、神聖な気分になれてよかったです。
カッパドキアの夜もあっという間に過ぎて行きました。