Seiji at PTNA STEP in Spring 2010



 2009年の10月のPTNA STEP(ピティナ・ピアノ・ステップ)に続き,次男のせいじとPTNA STEPに出演した。 PTNAとは,(社)全日本ピアノ指導者協会(PTNA)の略称で, STEPとは,そのPTNAの全国各エリアで細かく分かれた 地区で行われる催し物のこと。 複数のピアノ教室から生徒が出演する一種の合同発表会,合同ミニ・コンサートと言えばよいだろう。
 前回は,私とのデュオで「スプリング・ソナタ」, せいじのソロで「悲愴」と,ベートーヴェンで固めたが, 今回はせいじの先生のご意向もあって,モーツァルトで固めることになった。 本当なら,3月開催である今回のSTEPでスプリング・ソナタをやった方が, 季節的にはふさわしかったかもしれない。曲目は,次の2曲。
 
1.モーツァルト ピアノ・ソナタ ヘ長調 K.332 より第1楽章
 2.モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 K.304 より第2楽章

 本当は、私は自分が弾きたかったK.304と一緒に,有名なK.310のイ短調ソナタをせいじに弾かせたかったのである(「悲しみのモーツアルト」をテーマにして)が,先生がK.310を弾くにはまだ早過ぎると思われたのであろう,ピアノ・ソナタはK.332の1楽章に落ち着いた。
 あくまでもピアノの催し物であるということで, 初めはピアノ・ソナタの方を後で演奏することにしていたのだが, K.304の方が曲のインパクトがあるという せいじのピアノの先生のご意見もあって, 本番の3週間ほど前に,申し込んだときとは演奏する順序を入れ替えることになった。 確かにモーツァルトのヴァイオリン・ソナタで 唯一の短調の曲であり,モーツァルトにしては珍しいくらい センチメンタルで哀愁の漂う曲。 この曲をご存知なかった先生も, この曲がすっかり気に入られて, K.332のピアノ・ソナタよりもK.304のピアノ・パートを むしろ熱心に指導されていたくらいである(と言ったらお叱りを受けるかもしれないが)。
 本番は緊張して私の出来がイマイチだったし, 妻が撮影したビデオも私の顔が楽譜で隠れていたから, 前日自宅で本番の衣装を着て撮影した動画を載せるが, デュオの出演者がうちだけだったこともあってか, 本番終了後のアドバイザーの先生の全体講評で, 好意的に取り上げていただき,恐縮することしきり。
 せいじのソロ(K.332)の動画は本番のもの(三脚が使えなかったので妻が撮影した画面が揺れています。なぜかステージの照明が暗くて,顔が暗く映っているのが残念)。 音響的にもこのホールは評判がイマイチだったようだが, 滅多なことでは”合格”をくれない辛口で厳しい先生に”合格”をいただいたということで,せいじ自身は満足気な様子であった。 というより,この2曲に区切りをつけて新しい曲ができる嬉しさの方が大きいかもしれないが…。
 ヴァイオリン・ソナタであろうと,ピアノ・ソナタであろうと,モーツァルトを弾くことの難しさは,一切ごまかしがきかないということである。僅かな音程の狂い,ミスタッチが目立ち,ロマン派の音楽のように雰囲気を盛り上げれば「それらしく聴こえる」ということもない。純粋でシンプルな音楽の中でどれだけ生き生きと歌わせることが出来るか,感情の変化を表現することが出来るか,それらはヴァイオリンとピアノに共通する課題である。
 ピアノにはヴァイオリンにはないもう一つの大きな問題がある。現代のヴァイオリン奏法もモーツァルトの時代からは変化しているが,ピアノの変化に比べれば小さい。現代のグランドピアノはモーツァルト時代のピアノ・フォルテとは構造,音色,音量が大きく異なる。いろいろ本を読んだり,伝え聞いたりしたところによると,現代のピアノでモーツァルトをどのように演奏するべきかということは,ピアノの先生にとっても生徒にとっても大変難しい永遠の課題であるようだ。
 春秋社の「ピアノ・レパートリー事典」に書いてある「テクニックは困難ではありませんが,芸術的な演奏をするには高度の練習と熟練を必要とします。」は真実であろう。といってピアノの学習者がモーツァルトの17曲のソナタを極めようと思ったらそれだけで一生終わってしまうに違いない。バッハには平均律クラヴィーア曲集が2巻あるし,ベートーヴェンにもソナタが32曲もある。しかし,ここで止まっていたらシューマンやショパンといったロマン派までたどりつかない。子どもの頃,「ピアノはヴァイオリンより弾く曲がたくさんあっていいな」と羨ましく感じたものだが,今は「ピアノは弾く曲,学ぶべき曲があり過ぎて大変だな」と思う。リストの音楽に心から感動したことが一度もない私などは,「リストなんか一生弾かなく(弾けなく)たっていいじゃん」などど言って,妻の顰蹙を買っている。
 私も,学習者は万遍なくいろいろな作曲家の曲を勉強した方がよいことは分かるが,どの段階でどの作曲家のどういう曲を勉強するべきか,学習者が使う教則本の種類が大体決まっているヴァイオリンとは違った類の難しさ,選択の多様性がピアノにはあるように思われる。もちろん,現実的にはコンクールの課題曲だから勉強するという場合も多いだろうが…。
 このページの上に載せた写真は,私が中学時代(約30年前)に吉田秀和氏の推薦文を読んで買ったクリストフ・エッシェンバッハのLPジャケットである。K.332とK.333のカップリングであり,K.333の華やかさが好きであった私は,当時K.333の方ばかりよく聴いていた記憶がある。2曲とも,端正でいて瑞々しい,若かりし頃のエッシェンバッハの演奏は素晴らしく,せいじがK.332を弾くことになってCDで買い直したが,今聴いても実によい演奏であった。彼がいつ頃からか指揮者に転向してしまって,ピアノをほとんど弾かなくなってしまったのは残念という他ない。モーツァルトを弾かせてはこの人の右に出る者なしと謳われた往年のドイツの名手,ワルター・ギーゼキングの演奏も録音の貧しさを超えて感動的。
 K.304については,ホームページにさんざん書いたが,やはり往年のグリュミオー&ハスキルほど感動的な演奏には出会ったことがないし,おそらく今後も出会うことがないだろう。一期一会の記念碑的名演として,私にはこの1枚があれば十分である。






(2010.3.9)