アジアを旅していつか最終目的地になっていたインド。
そこは、まさに、人種の坩堝。カオスという言葉がふさわしい
でも、癖になるそんな場所でした。
 

今回のツアーは、ANAの夜便で、深夜に到着。いきなり男同士なのに、ダブルベッドやら
部屋の空調は異音をはっしていたり、ボーイがチップをもらうまで
出て行かないなどの手洗い洗礼をうけましたが
気を取り直して観光へ出発です。

   
 
 

 
ジャーマー・マスジット
場所:ニューデリー 建立:1656年

イスラムの休日である金曜日に導師が説教を行う集団礼拝が行われる。ここは、1656年に、シャー・ジャハーナーバードにとって
の本寺として建立され、インド最大規模を誇る。

モスクの中庭部分へは、かつて王族専用の入場口だった正面の東側、および東西の両側面にある門から入ることができる。
各門には赤砂岩の大きな踊り階段がそびえており、それぞれ北側39段、南側33段、東側35段である。
これら階段部分はかつて屋台や大道芸人のスペースともなっていた。また、夕方になるとモスクの東側は鶏肉や小鳥などを商う市場に
様変わりするようになっていた。1857年のインド大反乱以前にはモスクの南側付近にマドラサがあったが、反乱以後に取り壊されてしまった。

 

   
       
     
           
     
     
 
 
     
 
 
     
         

デリーの下町を散歩しました。

今まで、いろんな国で街歩きをしてきましたが、
普通のアジアな感じと一緒で、治安も特に、
感じなく楽しめました。

屋台で販売していたカレー?
これは、なかなか美味でした。

 
 
 
     
 
 
     
 
 
     
 
インド建国の父マハトマ・ガンジーが 1948年に火葬された場所。
 
     
         
     
 
 
     
 
 
     
           



1911年にコルカタからデリーに英領インドの首都が移され
イギリスの建築家ラチュンズによりニューデリーが建設が開始された。

完成するのは、1931年である。

コンノート・プレイスの南東2.5kmにある高さ42mのインド門は、
第一次世界大戦で死んだインド兵の慰霊碑である。
壁面には、戦没者13500名の名が刻まれている。

現在、ここは、立ち入り禁止なっており
車中からの観光になっている。


 
   
 
 
     

フマユーン廟(世界遺産)
場所:ニューデリー 建立:1565年

ムガル帝国第2代皇帝フマーユーン は、1540年、ビハールの地をしたがえたパシュトゥーン人(アフガン人)の将軍でのちに
シェール・シャーと名乗るスール族のシェール・ハンに大敗し、これ以降インド北部の君主の座を奪われて
ペルシアに亡命し、流浪の生活をおくった。
やがてイラン(ペルシア)のサファヴィー朝の支援を受け、シェール・シャー死後の1555年にはアーグラと
デリーを奪回して北インドの再征服に成功したが、翌1556年に事故死してしまった。

フマーユーン死後の1565年、ペルシア出身の王妃で信仰厚いムスリマであったハミーダ・バーヌー・ベーガム(ハージ・ベグム)は、
亡き夫のためにデリーのヤムナー川のほとりに壮麗な墓廟を建設することを命令した。
伝えられるところによれば、ペルシア出身の建築家サイイド・ムハンマド・イブン・ミラーク・ギヤートゥッディーンと
その父ミラーク・ギヤートゥッディーンの2人の建築家によって9年の歳月を経て完成されたという。
その建築は、ムガル帝国の廟建築の原型を示すといわれている。


 
   
 
   
         
     
           
           
        世界遺産部としては、非常にテンションがあがる建造物でした。

タージマーハールの原型といわているようですが、納得の造形美です。
 
     
 
 
 
 
クトゥブ・ミナール (世界遺産)
場所:ニューデリー 14世紀

1200年ごろに奴隷王朝の建国者であるクトゥブッディーン・アイバクによって、クワットゥル・イスラーム・モスクに付属して建てられた。
ヒンドゥー様式とイスラーム様式が混在した様式となっている。おそらくヒンドゥー教・ジャイナ教の寺院などを破壊し、
その石材を転用して制作されたものであり、建築に携わった職人もヒンドゥー教徒であったと推測されている。

高さが72.5mあり、世界で最も高いミナレットである。これでも地震や落雷などで先端が崩れた後に修復してあり
、当初は100mほどの高さがあったという。直径は、基底部14.3mに対して先端部2.75mであり、文字どおりの尖塔である。


 
   
      この遺跡は、インドが初めてイスラムの支配下になった時に

建てられたものらしく、壁面には、コーランの章句が刻まれています。

この塔を見ているとなんとなく、ドラゴンボールのカリン塔を思い出す。

モデルだったりして。
 
               
         
           
     
                                                 
   
   
   
     
           
       
 

お昼で、食べた本場のインドカレー。思っていたよりも遥かにうまい。そして、辛い。

途中で、立ち寄った紅茶専門店。なんでも、広島に支店があるそうだ。

そして、最後によったインド人のお宅訪問。チャイを飲みながら民族衣装のコスプレ大会。

どれもインドらしくて、なかなかでした。

さて、これから、最大のイベント。インドの寝台列車の旅が始まります。
人生初の経験ばかりです。
残念ながら、写真はありませんが、是非経験して欲しいと思います。(笑)

こうして、デリーからバラーナシへと向かうのでした。