評論




「子どもの本を読む」
河合隼雄(講談社α文庫)¥840

 ユング派の心理学者・療法家として日本の第一人者である河合隼雄氏は,子どもの本,とくにファンタジーの優れた読み手でもある。それはなぜか?氏は言う。「心理療法も子どもの本も,われわれがこの世に生きるということの本質にかかわってくる。河合氏の信念は序章「なぜ子どもの本か」に詳しいからこれ以上は述べないが,河合氏が本書で取り上げた12冊の本は,まず読み物としておもしろく,しかも人間というものを考えさせてくれる深い作品ばかりだから,「読まないと損だよ。」という河合氏のコピーを私も繰り返したい。本書は「児童書ガイド」としても第一級の質だが,並の作品解説ではなく,河合氏独特の「深い読み方」があるからこそ,読み手が教えられることも多い。
 取り上げられた12作品を眺めて,英国の作家の作品が多いことに気付かされる。フィリパ・ピアスの「まぼろしの小さい犬」,ジョージ・ロビンソンの「思い出のマーニー」,ルーマー・ゴッデンの「ねずみ女房」,モリー・ハンターの「砦」と実に三分の一を占め,河合氏の言葉で言えば,英国の児童文学作家が人間の「たましい」の問題を深く掘り下げて追究した作品を生み出してきたことを物語る。



「ファンタジーを読む」
河合隼雄(講談社α文庫)¥880

 「子どもの本」の熱烈なファンであり研究家でもある河合氏の「子どもの本を読む」の続編ともいうべき好著。「子どもの本を読む」ではファンタジー以外の作品も取り上げられていたが,本書ではファンタジーに絞った13作品が選ばれている。河合氏によればこれらの作品では,いずれも「人間のたましい」と「隠された自己」が衝撃的に描かれているという。ファンタジーとなるとまさに英国の作家の独壇場である。キャサリン・ストーの「マリアンヌの夢」,ルーマー・ゴッデンの「人形の家」,フィリパ・ピアスの「トムは真夜中の庭で」,メアリー・ノートンの「床下の小人たち」,ジョージ・マクドナルドの「北風のうしろの国」と5作品が英国の作家による作品である。ファンタジーと一口で言っても,時代も違えば内容も千差万別だがパイオニアのマクドナルドやルイス・キャロル以来,20世紀の最も偉大な作家の一人トールキン,さらには現在のダイアナ・ウィン・ジョーンズ,フィリップ・プルマン,J・K・ローリングに至るまで英国にはファンタジーの太い系譜が脈々と流れていることは間違いない。



「ハリーと千尋世代の子どもたち」
山中康裕(朝日出版社)¥1,300

 我が家は下の子がまだ小さいのでふだん映画館には足を運ばない。しかし,宮崎駿監督のアニメだけは以前から親子揃っての大ファンなので,「千と千尋の神隠し」の評判には居ても立ってもおられず,子ども2人を連れて田舎街の唯一の映画館へと足を運んだ。評判に違わない出来ばえと,1回目は見損なったFの要望により,その後「千と千尋の神隠し」を家族全員でもう一度見ることとなった。そしてお次は例の「ハリー・ポッターと賢者の石」である。こちらは原作が「千と千尋」の大分前から世界的大ベストセラーとなっていたから,原作と映画がどのように違うのかという点に興味を感じて映画を見に行った人も多いことだろう。「ハリポタ」の方は,小学生の上の子だけを連れて映画(字幕版)を見に行ったのだが,こちらの方も思っていた以上に英国的な雰囲気に溢れ,全体としてとてもよい映画に仕上がっていたと思う。
 私が気付くまでもなく,時近くして映画館で封切られたこの2作品には,日本と英国,主人公が女の子と男の子という違いはあるにせよ共通点が多い。不思議な世界で起きる出来事を題材にしたファンタジー,魔法の力,子どもの心理や成長の生き生きとした描写などなど。この本は,その中でとくに最後のポイント,つまり子どもの心の問題に焦点を絞って語られたインタビュー形式の本である。河合隼雄さんにしろ,本書の山中さんにしろ,京大系ユング派の心理学者は子どもの本が大好きだ(「千と千尋」はアニメだが)。それは彼らが児童文学によって子どもの心を読み解く,さらには大人も含めた人間の心の本質に迫ることができると考えているからだろう。一言でいうと著者の主張は非常に未来志向的でポジティブであり,一見無気力で生きる力を失ったかに見える今の子どもたちの皮の下には計り知れない創造的革新的なエネルギーの元が隠れているというのである。こういう主張が教育論者の口から出ても少しも面白くないけれども,この本は違う。ストーリーやキャラクターの心理学的解釈がとても新鮮でハッとさせられる。「ハリポタ」の章では古典的名作ル=グウィンの「ゲド戦記」が大々的に登場して「ハリポタ」と比較されるのも私などには嬉しい限り。ハリーと千尋が組んだらきっと無敵だろうね!



童話の国イギリス

ピーター・ミルワード 著/小泉博一 訳(中公新書)¥840

 「マザー・グースからハリー・ポッターまで」というサブタイトル通り,英国の児童文学の名作22篇を取り上げ,英国人の感性でその魅力を語った案内書である。日本人による英国児童文学案内もすでにたくさん出ているけれども,英国人,それも英文学の碩学であるピーター・ミルワード氏が数ある児童文学の中からどのような作品を選んでいるのかという点がいちばん興味のあるところである。目次を開いてみると,「ロビンソン・クルーソー」,「ガリヴァー旅行記」,「宝島」のような日本でもおなじみの冒険物,さらには「ホビットの冒険」や「ナルニア国物語」のような20世紀の大ファンタジーが入っており,全体的にはそれほどかわった作品が選ばれているという感じはしない。しかし,「ロビン・フッド」や「アーサー王物語」は日本でも名前こそ有名だけれども,日本の子どもはあまり読まないだろう。英国人がこれら物語に抱く感情については,やはり特別なものがあるようである。
 本書を読んでおもしろく,また嬉しく思ったことの一つは,全く意外にもディケンズの「ピクウィック・クラブ遺文集(ピックウィック・ペーパーズ)」が取り上げられていることである。ミルワード少年は10歳のときにこの本を学校から賞品としてもらい,762ページを一気に読んでしまったたらしい。一気に読んでしまった著者もスゴイが,日本でいえば小学4年生に学校がディケンズの処女大長編を賞品に与えるということが(いかにこの作品が楽しいユーモア小説だとしても)私には非常な驚きであると同時に,いかにも英国的だなと感じたのである。しかし,10歳でディケンズに親しんだ著者が,その後「ピックウィック・ペーパーズ」以外のディケンズ作品には(ユーモアがないので)肌が合わず,読むのをやめてしまったというオチもおもしろい。
 さらに英国ファンタジーの愛好者にとって本書が貴重だと思うのは,ミルワード氏がオックスフォード大学に在学中,教鞭をとっていた「ホビットの冒険」のJ・R・R・トールキンと「ナルニア国物語」のC・S・ルイスに関する思い出が語られていることである。「…そして,C・S・ルイスのような多くの著名な学者を擁するこの学部で,トールキンが唯一の天才であることをはっきりと実感するようになった…」という一節には,この二人を直接知っている人だけが言うことのできる言葉の重みがある。
 終章は多くの読者の興味をひくであろう「ハリー・ポッターは古典となるか」である。80歳近い碩学の老学者がハリー・ポッターのシリーズ4冊をちゃんと読み,公平に作品を評価しようとしている態度は尊敬に値する。
 和訳は全体的に平明であるが,「クリスマス・キャロル」の章で紹介されているキャロルについては,作曲者あるいは楽譜を併記しないと,読者が違うキャロルを想起してしまうだろう。英国人の著者が指しているのはまず間違いなく英国キャロルであろうが,"Away in a manger""O little town of Bethlehem"も日本で圧倒的に有名なのはアメリカ・キャロルの方だから。



子どもの本の森へ

河合隼雄・長田 弘(岩波書店)¥1,500

 臨床心理学者にして子どもの本に造詣の深い河合隼雄氏と詩人の長田弘氏が子どもの本の魅力について存分に語り合った対談集。本書はT「子どもの本のメッセージ」,U「子どもの本を読む」,V「絵本を読む」,W「子どもと大人,そして社会」 の4章からなる。とくにU章とV章は子どもの本が好きな読者にとっては随所に具体的な新しい発見があるだろう。児童文学と絵本を合わせて40もの作品が登場しており,まだ読んでない作品については読んでみたくなり,すでに読んだ作品についてはもう一度本を開けてみたくなる。ここで取り上げられた本のうち,たとえ1冊でも子どもとその素晴らしさを共有できたらどんなに楽しいことだろう。



幼い子の文学

瀬田貞二(中公新書)¥700

 トールキンの一連の大ファンタジー,C・S・ルイスの「ナルニア国ものがたり」などの翻訳により,日本に英国の本格的ファンタジーを紹介する先駆的な功績を残した瀬田貞二(1916-1979)の連続講話集。「幼年物語の源流」と「幼年物語の展開」では英国児童文学の歴史と発展が概観される。名翻訳家の確かな目で選ばれた質の高い作品の中には,本欄でも紹介したエインズワースの「ねこのお客」のように,近年になってようやく翻訳が出たものもある。講話だけに瀬田氏は直接的な言い方をしていないが,児童文学においては,読み手だけでなく,書き手(すなわち作品の質)でも日本はまだまだ英国に及ばない,英国に学ぶべきことはたくさんあると言っているのは明らかである。この状況は氏の死後20年以上たった今でも残念ながら本質的に変わっていないのではないか。日本のファンタジーと言えば,たとえばもう20年くらい前に書かれた作品だが,佐藤さとるの「誰も知らない小さな国」はすばらしいファンタジーだった。「ハリーポッター」みたいに世界的に大ヒットしなくてもよいから,このような質の高い和製ファンタジーがもっと増えてほしいものだ。