1. 記憶。…そして今に至る。

サッカーといえば毎年元旦に天皇杯決勝戦をTVで観る程度だった。 そのころいつも決勝に進出し優勝していたのは日産。 日産こそは強くかっこよく美しいチームなのだと、 今思えばサッカーにそれ程興味のなかったその頃に既に恐らく刷り込まれていたのだろうと思う。 しかし、 その後すぐに継続的にサッカーを観たり日産を応援しはじめたりするということは特になかった。

Jリーグが始まりリーグ戦を最初に観たのは、 ブームさなか '93ニコス・シリーズ第1節のマリノス vs 読売 (@三ツ沢) だった。 とある親戚or知人 (たぶん日産の車でも買ったのだろうか??) を経由してプラチナ・チケットが手に入り、 幸いにもその試合を観戦することが出来たのだ。

超満員になった三ツ沢、 バクチクの鳴る中で中華街の人たちの獅子舞 (?) という余興があり ('93サントリー・シリーズ、 すなわちJリーグ開幕試合のあの国立でのセレモニーに比べたら当然ものすごく地味だったんだけれど)、 小雨がちの夜空のもとゲームが始まった。
喜びだった。 こんな楽しい空間があったのかと思った。 世界中で人気のあるNo.1スポーツだというのはうすうす知っていたが、 この一日でそれが分かった気がしたものだ。

ゲームのほうは、 単調にワン・ツー・パスで中央突破を試みる読売の攻撃をマリノスのDFがことごとく防ぎ、 攻撃でも圧倒。 歓声をあげて、 配られていたトリ・コロールの小旗を周りの人たちと一緒に振る。 マリノスの圧勝だ!

ところがその後しばらくは、 '94アメリカW杯をきっかけに一足先にワールド・サッカーにどっぷりつかってしまったため、 来日した外国人選手たちに興味が集中した。 目当ての 「有名外国人選手」 のいるチームや、 国立などで行われる 「有力チーム」 の好カードを年に数試合選んではぽつぽつ見に行くようないわゆる 「(一般の) サッカー・ファン」、 「代表ファン」 的観戦を続けていたのだ。

今と違って民放地上波でもまだJリーグの試合中継はよく行われていた時代だったが、 やがてめっきり減っていく。 '97年になるとJの観客数は誰の目にも明らかな程目立って激減していた。 前年度からすでに人気の凋落、 ブームの終焉がささやかれてもいた。 '97年といえば日本代表周辺においては'98フランスW杯の最終予選に沸いた、 あの年だ。 にわかにヒート・アップしていった最終予選のチケットは緒戦のウズベク戦しかGet出来なかったが、 Jリーグのチケットはもはや (浦和以外) 手に入れやすくなっていた。

この機を見て、 そう、 この機を見て本気でサッカーにのめり込みたくなり、 それには 「応援する特定のプロチームを1つ決める」 ことだと決意。 この期に至って、 ごく自然にマリノスをはっきりと選ぶことが出来たのだった。 私の住む東京にはまだJリーグのチームがなかったし、 この距離なら毎ホーム試合通えるという条件もクリアしている。

この年監督はゴル太 (アスカルゴルタ) になった。 市原から城が移籍してきて、 フリオ・サリナス、 バルディビエソがいる時代だった。 城がゴールを量産、 井原が絶妙なスライディング・タックル、 能活が怒鳴り、 オムさんが頭でドカーン、 山田も文丈もいた。 代表組が呼ばれて抜けても、 かっこいい7番サリナスが前線で体をうまく使いボールをキープ、 ゴールを奪う。 10番バルディがゲームを作りフリー・キックも決めた。 そんな折、 まだあどけない25番、 俊がデビューしていた。 まさに 「坊ちゃん」 という感じ。 当時三ツ沢のSB席に陣取った私の目の前で、 右45度からのフリーキックを初めて決めてくれた時のことは忘れられない。 観客は少なかったけれど私は通いつめるようになった。 ついにマフラーも買った。 もうのめり込んでしまったのは明らかだった。


試合中ゲームの流れと選手のプレイに一喜一憂。 結果に一喜一憂、 そのたびに愛憎は増幅。 少なくとも翌日にまで精神状態が左右される。 でも前節の結果にかかわらずなお、 週末近くには次のゲームが待ち遠しくなる。 そして試合の観戦が得体の知れない義務感のようなものにまで変化してゆく。 依存症だ…。

キック・オフのその時からゴールへの期待は高まり続け、 (試合の内容によっては、 期待感は感じられなくてもそれを願ってはいる、 という状態の場合もある。) それは一種のストレスのように溜まりに溜まってゆく。 ゴールがなくとも好プレーがある程度続けばそのたび若干量は解消されているが、 ゴールがなければ時間と共に鬱憤はたまる一方 (ごくまれに 0-0 の好ゲームというのもそりゃあるだろうけど。)。 このように得点機会の少ないスポーツのため、 いざゴールが決まれば解放される喜び・興奮は他の競技の比ではないと思う。 カタルシスとはこのときのためにある言葉だとすら思う程だ。

またそれだけに、 失点や負けることへの恐ろしさは計り知れない。 たった1点の失点でもその瞬間は立ち直れないのではないかというくらいの落胆が襲ってくる。 負けたくない (対戦相手に関係なく)。 考えるのもおぞましい。 それは今のレギュレーションでは降格という具体的な地獄、 形を持った恐怖へとつながることになるので、 なおさらの事なのだ。

'99年の合併 (想像もつかなかった信じられないこと)、 '00年第1ステージ優勝 (でもなんであの日あんなに国立は空いていたんだろう??) を経て、 '01年は何やらイヤな予感でシーズン開幕を迎えた。 主力放出、 補強極少で 「これではダメだ」 と開幕前にすでに不安を覚えてはいた。 結果、 これまでのところ経験したことのない苦しい1年になった。 スタジアムへいく道すがら気分が高揚しない。 行くのがイヤなくらいだったがそれでも通い続けた。 その前年には 「降格教団」 なるHPを見ても他人事だったのに、 もう見れなかった。 試合結果以上に内容が悪すぎた。 負けると選手にねぎらいの拍手は贈らずに、 笛と同時にわき目もくれず席を立って家路についたものだ。 毎週しかめっ面で帰った。 とにかくこの年残留できて本当によかった。 居た堪れずに最終節は観光抜きで神戸ウイングまで往復した。 (その前節、 三ツ沢では塩が盛られていた△。) あんなシーズンは2度とゴメンだ。 でもその反面、 はじめてのナビスコ戴冠を果たし、 その日だけはイヤなことも忘れて飲んだ。 泣いたよね。

(Mar.13.2003 byま)



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Mar.2003 byま